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あの街を思い、

仕事で忘れていた街にやってきた。

本当に忘れていればこの街に来ても何も感じないはずだから正しくは忘れようとしていた街。

全てが蘇った。
一緒に歩いた道。
買い物をしたスーパー。
近所のコンビニ。

こんなに静かだったか。
この街はこんなにがらんとしたものか。

大きな公園が駅の反対側にある。
池にアヒルボートが浮かんでいる。

平日だから今アヒルボートに乗っているのは
暇な大学生カップルくらいだ。

私もそうだった。千葉にある実家から毎日のようにここにやってきた。

行き来が面倒臭かったからしばらくここに滞在していた。

私は彼とアヒルボートに乗ったことがない。

ただの背景だったからだ。

どちらかが「乗ろうよ」と言ったらどちらかが「まあいつでも乗れるじゃん」と言って会話が終わった。

一生乗らないなら乗っておけばよかったな。

街全体にピントと合わせていないと
私は正常ではいられないかもしれない。
ぼやかしては彼の存在を探してしまうだろう。

あとあの頃のわたしも。

この街に最後に訪れたのは大学3年の冬だった。

春には梅がきれいな大通りを真っ直ぐ歩いて
彼の家に荷物を撮りに行った。

部屋には彼はいなかった。
恐らく気を遣って出て行ってくれたのだろう。

真っ暗な部屋にテレビがくたびれたように光を放って、赤、黄、青、と部屋の色を変えていた。

電気はつかなかった。
彼は電球に寿命が来てもさほど気にせず
生活を続けていた。
だからいつも私が買ってきて変えていたけど
それすらも嫌がった。

彼は「暗ければ部屋の汚さがバレない」
と訳の分からないことを言っていた。

吸い殻も私が捨てていたから灰皿に山盛りになったタバコを見て少しだけ安心した。

彼は彼のまんまでいて欲しい。
それは私の心からの願いだった。

セブンスターの箱にタバコが一本。
初めてタバコに火をつけた。

一吸いで数えられないくらい咳をして
頭がクラクラしたので仰向けに寝転がった。

テレビの光がタバコの煙を絡め取って、
離して、絡め取って、離した。

離れないように煙を吐き続けて
私はこんな感じだったなと思った。
話されないように必死だった。
彼の好きな私でいたかった。

そしたら心にぽっかり穴が。

カラスが公園のゴミ箱を漁っている。

本当はこの街はもっと汚くて
彼が綺麗に誤魔化してくれていたんだね。

潤んだ目が、過去を漁って
そしたら向こうから
あの頃の私達が向かってくる

風のように涙すくって走り去り
私、この街の背景に溶ける。

彼らがアヒルボートの少年少女と気づかずに





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