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【映画感想】夢の中から現実へ『すずめの戸締まり』

 ※ネタバレありの感想です。

 2016年公開の『君の名は』で新海誠は、過去といまを繋げる物語を作った。災害の被害者たちが奇跡によって復活するという物語を。一種のファンタジーとして作られたこの作品は多くの人に感動を与えたし、称賛された。同時に、災害を無かったこととして描いたこの物語には少なからず否定的な意見もあった。あまりにも美しいその物語はロマンチックではあるが、生々しい現実を作品内で描いてはいなかったし、仮にそれをやっていたとしても震災から5年という月日では時期尚早だったことだろう。
 そんな新海誠の美しさに対する憧憬とセンチメンタリズムは、この『すずめの戸締まり』にもある程度受け継がれている。でも、『君の名は』との決定的な違いは、東日本大震災を現実にあった出来事として描いている点だろう。
 
 この映画は、かつて監督が描いた奇跡を仮初のものとして、強い意志を持ちながらその先の領域を描いている。
 
 冒頭、主人公である鈴芽は夢を見ている。少女が草原と廃墟の中で母を探してさまよう夢だ。そして母らしい人と出会い、夢から覚める。彼女は震災によって母を亡くし、生まれた地を離れ、九州の過疎の町で叔母と暮らしていた。その日、いつも通り登校していた鈴芽は不思議な雰囲気の青年と出会う。彼は草太と言い、日本中の廃墟にある「後ろ戸」を閉じる旅をしていた。こうして「閉じ師」である草太との出会いから、彼女の旅は幕を開ける。「要石」であるダイジンを追い、災いの原因であるミミズを止めるために九州から四国、東京、そして東北を目指す旅が。
 
 災害の記憶を辿ることで、鈴芽自身も「閉じ師」の仕事を手伝うことになる。災害は残酷だ。家族、友人、愛する人たちを訳もなく奪っていく。後に残るのは荒涼としたさみしい風景と悲しい記憶のみ。死者たちへこちらから呼びかけても決して何も応えてはくれない。だからこそ「閉じ師」はかつてそこに居た人たちへ思いをはせることで、忘れないことで、彼岸の扉を閉じ、供養させるのだ。
 
 それは、誰かの死を受け入れる行為でもある。彼らと、私たちが二度と会えないということを受け入れる行為。「常世」は死者の世界であり、鈴芽が会いたいと願っていた母親との再会は描かれない。この映画はその類の奇跡を描いてはくれない。時間は巻き戻せないという残酷な真実が作品全体に横たわっているから。
 
 でも、だからこそ私はこの映画に感謝したい。仙台であの震災を体験した私にとって、そのことを忘れずに、なお描き続けてくれてありがとうと言いたいのだ。
 
 本作におけるロードムービーテイストな展開は、すずめの成長にも繋がっている。日本を縦断し様々な人と出会い、最終的に母親の死と向き合うという進行自体はそれほど珍しいものではない。しかし、民俗学的なモチーフと震災を絡めることで、世代をまたいだエンターテイメントとしてもしっかりと面白さを担保している。また、鈴芽を演じた原菜乃華と、草太役の松村北斗の演技もとても良い。二人とも声優初挑戦とのことだが、彼らの声が作品全体の質を高めていた。
 
 とはいえ物語の進行は全体的に駆け足気味ではある。本来はストーリーの内容的にも1話ごとに切り分けたテレビアニメでじっくりと旅先で出会うキャラクターを掘り下げていった方がいい。鈴芽が草太に付いていく理由も弱いし、二人の心と心の結びつきをしっかりとは描ききれていないため、クライマックスにおける「草太さんがいない世界で生きるのが怖い」という鈴芽の台詞も説得力が感じられない。
 
 だが、そうして駆け足ででも伝えたかったものがこの作品にはある。それは新海誠が何度も描いてきた、彼のシンボルとも言える「日常を美しく捉える」という行為についてだ。象徴的なのは、福島県の双葉町近辺であろう場所でのシークエンス。この地が、芹沢にとっては美しく映るが、鈴芽にとってはそうは感じられない。このシーンは新海誠の過去作を観ている人にとっては少々衝撃的で、自己言及的な皮肉が込められている。ここに本作が描きたかったテーマがあるように思う。見えているものの違い、感じ方の違いは当然あるもので、美しさを描くことが、誰かを傷つけることもあるのだということを新海誠は誠実に受け止めていた。
 
 最終的にすずめが「常世」で出会っていた女性とは、成長した自分自身だったことがわかる。死を巡る旅の果に、この不安だらけの社会の中で、自分を救えるのは自分自身であり、喜びも悲しみも受け入れなくてはならない。そうして彼女は自分で自分を救い、生への執着を取り戻す。
 
 これは彼女がいま生きている大切な人と出会い、生への執着を取り戻す、行きて帰りし物語だ。
 
 だからこそ、エンドロールで鈴芽は道中で出会った人にしっかりと再会しながら帰路へ着く。失われた過去と向き合う旅は、いなくなってしまった人たちへの追悼だ。同時に、さみしい別れだけでなく、新たな出会いが人生を紡ぎだしているのだというラストシーンは、新海誠の集大成であり、新たなステップのようにも感じられた。
 
 自分で自分を抱きしめること。私にとっての『すずめの戸締まり』は、さまよいながら過去に向き合うことで、未来に目を向ける、そんな映画だった。
 
 追記。クソ猫こと「要石」の「ウダイジン」からすれば、たまたま優しくされた女の子を大好きになってしまったが、勘違いだったことに気づき、それでも片思い相手のために一肌脱ぐという内容なので、これはウダイジンからすれば失恋映画なのでは。

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