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映画落穂拾い『ザ・キラー』『理想郷』『市子』

タイトルは極力シンプルであるべきだ。
名作と言われる映画の多くは短い言葉で名付けられたものが多く、みんなの記憶に残りやすい。「七人の侍」「タクシードライバー」「バトル・ロワイアル」。どうよこのシンプルさ。中身について想像力が働くし、ストレートに作品のテーマを伝えることも可能、何よりこっちの方がかっこいい
今年ハマったドラマ『サクセッション』は配信プラットフォームがころころ変わったこともあり、始めスターチャンネルでは『キング・オブ・メディア』、続いてアマプラでは『サクセッション』、最終的にU-NEXTでは『メディア王 〜華麗なる一族〜』というタイトル変更があった。『サクセッション』でええやーん。余計なものを追加すなよお。
まあ、もちろん長めのタイトルだからこそ良いって場合もあって、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』とか『博士の異常な愛情/または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』とか、"長いからこそかっこいい"ってのもよくわかる。今年観た『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』なんて実にイカしてる。シンプルな言葉が持つ強力さってのは確かにあるけど、こういう長いのも悪くないなって感じるよ。
でも仮に『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』を略したらなんて呼ばれるのかな。例えば「キラフラ」とか?そしたらみんな「キラフラ見た~?」「見た見た、キラフラ最高~」とか言うんだろうか。いや無いな。あり得ない。この映画に限ってそんなゆるい略され方が来る日絶対来ない。やっぱりタイトルは短くシンプルであるべきだ。
というわけでとってもシンプルなタイトルの三作品、『ザ・キラー』『理想郷』『市子』の感想です。どうぞー。

『ザ・キラー』

全体としては古き良きフィルムノワールを彷彿とするような抑制の効いた撮り方と進行になっており、淡々としたテンポから男のストイックな雰囲気が伝わってきます。ひとり、またひとりと職人気質な気構えで暗殺を実行していく過程は禁欲的ですらあるため、観ていて退屈に感じる人もいるかもしれません。しかし暗くシックな映像や、トレント・レズナーのズンズン腹の底に響いてくる音楽とは対照的に私にはこの映画がどこか「バカ話」にも見えて、終始ジワジワくすぐられているような気分で鑑賞していました。
そもそもこの映画は、これまで一度もミスを犯したことのない殺し屋がチョンボするところから始まります。モノローグとして「予測しろ、即興はよせ」「誰も信じるな」「感情移入するな、感情移入は弱さを生む」とご高説を垂れ、プロの姿を魅せてやるぜってとこからいきなり暗殺失敗!とりあえず逃亡しなきゃやばい!という状況から無事逃げ延びて、帰路に着くと恋人が何者かに暴行を受けていたことが判明、犯人を突き止めプロとして仕事を片付ける、という流れになっており、そもそもの出だしから「いや、あんたが仕事失敗したことがきっかけじゃん」とツッコミたい気持ちがずっとありました。
んでその後は、運転手、弁護士、マッチョ、綿棒(ティルダ・スウィントンを綿棒って笑)、クライアントと次々に殺していき、最初の失敗とは対照的に見事な仕事を果たしていきます。それがため余計にやや「逆恨み」っぽい状況設定が面白く、さらに上記したフィルムノワールっぽい抑制的な雰囲気も相まってシュールさというか新しいお笑いのかたちを観ている気分になってしまい、正直ずっと少しだけ可笑しさが続いていました。
主人公の好きな音楽がザ・スミスというのも硬派なイメージと違っていて微妙な可愛げを感じますし、主人公の容赦ない暗殺術を見せられれば見せられるほどクスクス可笑しくなる。っていうか多分これフィンチャー的にはシュールコメディのつもりでつくってるよね?画面内で起こっているヤバさとは対照的に最後までなーんか気楽な気分で観てられるしさ。
ある意味でこの映画は「思っていたのとは違う方向に話が進んでしまった場合でも、映画は映画として、物語は物語として、時間内にちゃんとした決着を着けないと行けない」という創作物の在り方を、角度を変えて(少々皮肉を込めて)描いた作品ともいえる気がします。そう考えると最後の場面の適当な感じとかも妙に味わい深いなあと。というわけで、一見地味な作品ですし、誰かに勧めるには文脈が多いのですが、個人的にはかなり好みな作品でした。


『理想郷』

フランスからやってきたアントワーヌは有機野菜の農業をすることで村おこしをしようと考えている。しかし村でリーダー格の兄弟はアントワーヌのことをよく思っていない。ノルウェーの電力会社から風力発電を行うという話を持ちかけられており、保証金が出ることからいち早く金を手に入れたいのに、「景観が乱れる」という理由でアントワーヌが反対しているためだ。
どちらにもそれなりの言い分があり、理解できる部分があるものの双方全く引く気は無く、互いに相手を受け入れようとはしない。会話をよく聞いていて感じるのは話している方向が一言一言微妙に食い違っているということで、それこそがこの映画に独特の空気感と緊張感を生み出している。アントワーヌ自身は村のことを考えていると言ってるし、思ってるのだろうが、他所からやってきた人がそこで長く暮らしてきた人の考えや苦しみを十分理解しないまま頑なに行動するのを見れば村民がよく思わないのは当然だと思うし、見下しているつもりがなくても、それが絶妙に表に出ている部分もあり上手いなと感じる。対して村民の嫌がらせはどう考えても常軌を逸しているし、警官たちの頼りにならない具合とかも見ていて心理的なストレスになる点だろう。
フランス・スペインの合作映画である本作は田舎の村の雄大で緑あふれる美しい景色を映しながら、排他的な空気も同時に捉え、人と人の相容れない思想、アイデンティティの違い、移民、ジェンダー、外国人嫌悪といった問題を描いていており、スリラーとしてもサスペンスとしてもヒューマンドラマとしても良質な作品です。反面、途中経過は胸糞に感じる人も多いと思うので、人を選ぶ作品であることも事実。とりあえずワンコには癒されます。誰にでも懐くという点でダメな犬だとする向きもあるかもしれないけれど、あれは多分人間がどれだけ諍いを起こしていても、そんなこととは無関係に生きている存在がいるという象徴というかメッセージみたいな気がする。というかそうであってほしいなと、そんなふうに思うのだ。


『市子』

『市民ケーン』や『砂の器』と同じタイプの映画で、時系列をいじり、その時々で彼女と関わった人たちの言葉を集め、市子という人物の人生を紐解いていく。これは、どこにも”いない”人の話であり、なぜそのようになってしまったのか、どうしてそうならざるを得なかったのか、それを徐々に明らかにしていくことで、法律の不備をあらわにし、その隙間から抜け落ちてしまった人の尊厳についてを描いた作品だ。きっと、真空の中にしか存在できない市子にとって、「嘘」とはアイデンティティとしての意味合いも持つのだろう。であるならば、長谷川がかけた「嘘じゃないよ」という言葉は、市子にとって救いと癒しの言葉であると同時に、彼女の存在そのものを否定する言葉であったのかもしれない
しかし例え真空に居たとしても、ケーキが好きで、ざぶとんを畳んで使い、花火が好きで、雨が好きで、やきそばが好きで、鼻歌を歌ながら歩く彼女の姿には、そのひとつひとつに間違いなく彼女の人生が宿っている。
杉咲花はそんな”市子”という存在を圧巻の演技で魅せ、魂の宿った人物にしてみせた。きっと、彼女のささいな表情やしぐさからは、市子の人生がしっかりと熱を持って伝わってくるはずだ。ちょっと凄すぎて他の俳優さんから若干浮いてしまうほどに。
汗や涙、雨や海、「水」を象徴的に映しているのもこの映画の特徴で、たゆたいながら生きていくしかない”市子”の力強さを表しているようにも見える。また、誰かと「食事をする」場面も印象的だ。一緒に何かを食べるということは、居場所の無い彼女に「居場所が出来る」瞬間なのだろう。それがため、吉田キキが作ったケーキを食べたり、北秀和と一緒にアイスを食べたり、長谷川と焼きそばを分け合ったり、彼女が何かを食べるとき、その側には必ず誰かがいるように作られている。
彼女が生きていくのは罪なのか。そんなはずは無い。あるはずが無い。しかし彼女を救い上げる法はいまだに存在しない。

以上、最近観た中から三作品ピックアップしました。年末が近づいてるので映画の年間ベストを考えてますが、あれも入れたいこれも入れたいで非常に悩み中。こん中からだと『ザ・キラー』も入れたいなあ。まあ年間ベストはこうして悩みながら考えてる時間が何より楽しかったりするものですが。「キラフラ」は確実にベスト10に入ります。キラフラいいよキラフラ。みんなもキラフラを観よう!

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