見出し画像

【小説】神社の娘(第36話 身一つで立つ場所)

 橘平は午前中、ゆるーく陸上部の練習があった。

 それを終えてスマホを見ると、向日葵からメッセージが入っていた。

〈今日の稽古、葵くるよ~!!〉

 これを見てすぐ、橘平は〈すっごくワクワクする!〉と、桜にメッセージを送った。桜も行きたくて仕方なかったが、今日までは妹の面倒を見ることになっていた。また辛さを味わう。

〈橘平さん!!動画撮ってきて!!〉
〈りょーかい!〉

「アオちゃん、ここ最近、剣術ばっかりみたいね。躰道来ないの?」

 息抜きにコーヒーでも買おうと休憩スペースに来た葵は、自販機の前で樹からこう声を掛けられた。

「あー、そろそろ行った方がいいか」
「そーよ、鍛えなきゃ!いっぱい鍛えなきゃ!僕も今週から毎週行くって決めたの。剣の方もね。春休みだし!大人だけど!最近ほら、いろいろ忙しくてしばらくお休みしてたから!」

 樹は発達した上腕とともに、葵の上半身を手でばんばん叩きながら「しっかりしてるけど、まだまだよ!一緒に鍛えよう!」などと言う。樹の隣にいる二宮蓮も、そうだよ一緒にさ、といいつつ、

「君、剣術は強いけど、素手はそうでもないじゃん。久しぶりに君がひまちゃんにぼっこぼこにされるの、すっごく見たいな」

 という余計な文言も付け加える。蓮はレディース服のSサイズが合うほど、男性にしては華奢で小柄で、一見すると害がなさそうだが、実は性格に難しかない。言い方にトゲがあり、特に葵によくつっかかる。

「やだレンちん!アオちんもけっこー強いでしょ!ぼこじゃないわよ、コツンよ!そうだわ、今日じゃない、ねえ今日の夜さあ、一緒にケイコ、しよ?」

 樹の邪気の無さすぎる圧と体格の圧に負け、葵は稽古に参加することになった。もちろん、樹も蓮も参加する。席に戻った樹は、早速向日葵にも「今日アオちゃん来るわよ~!僕もね!」と報告した。

 からの、即、橘平にメッセージ、である。

 そして稽古の時間がやってきた。

 稽古場は18時から開き、18時30分から子供たちが準備運動や基礎練習を始める。大人たちが集まるのは19時であり、それまで中高校生たちが先頭に立って稽古を行うのだ。橘平も18時から稽古場にやってきた。今日から道着も着ることになり、より稽古への意欲が増す。

 しかし、今日はなんだか保護者の数が多い気がする、と橘平は感じた。

 18時20分ごろ、道着を着た向日葵はがっしりした大柄な男性と、小さな男性、二宮蓮とともにやってきた。橘平と蓮はすでに挨拶程度の仲であり、今日もこんばんはを交わす。蓮はそのまま子供たちの方へ向かった。

 このがっしりした人、なんとなくは顔を見たことがあるけれど…。と橘平は記憶を探る。

「きーくん!こんばんちわ~」
「向日葵さん、こんばんは」
「やだあ、道着似合う~かわいい」
「最近入った子?」

 がっしりした男性が向日葵に尋ねる。

「そうだよ。きっぺいくん。あ、きーくんこっちは」
「きっぺい!?〈舎弟のきっぺい〉!?」

 柔道場が吹き飛ぶほどの大声。がっしりした男性は目が飛び出るほど大きく見開き、橘平を凝視した。なぜその名を知るのか、橘平も大きく見開く。お互い相手と目が離せない。

「あ、あ、あなたがひまちゃんの、お、思い人…?こ、高校生よね?」
「えええ??な、なに言ってるんですか!?」
「兄貴、何変な事言ってんだよ!この子はただの高校生で舎弟!この未成年にそんな気持ちあるわけないだろ!ってかなんでその登録名を」
「だだだだだって、ひまちゃん、お酒飲んでこの子に電話してたじゃない…」
「ああ!!あれは…ちょっとこっち!」

 と、向日葵は兄を連れて外へ出て行った。あれが向日葵さんのお兄さん?がっしりしてる…なあ…と橘平は二人の残像を見ていた。

 葵が柔道場にやってくると、表で二宮兄妹が言い合っていた。あのカワイイ系の男子高校生がきっぺーなの、女性じゃないの!?はあ、何バカ言ってんだ!!だってえ…と。ついに〈舎弟のきっぺい〉に出会ってしまったか、とため息をついた。

「樹ちゃん」
「ああああアオアオアオちゃん!僕ついに〈舎弟のきっぺい〉に」
「あの子の名前を借りてるのかも。事情が、ほら」

 樹は、は!と息を吸い、そうか、そういうことなのね…と妹を切なげな眼でみつめ、「僕は応援する」と言って稽古場へ戻った。

「ええええ、な、何何??」
「…暴走してるだけだから」

 俺のせいで、と心の中で謝罪し、葵も稽古場へ入っていった。戻った樹に、橘平は「ゴメンね。僕、樹。よろしくね」と話しかけられ、しかも向日葵以上の力で抱きしめられた。何がゴメンか理解できなかったし、骨がきしんだ。

 本格的に稽古が始まった。やっぱり今日は人が多い。絶対的に多い。さらに増えている。よく見ると、橘平の母もいた。恥ずかしくて仕方ないが、田舎は情報が早いので、葵のことが何かしらのルートでバレたのだろう。

 前半は基礎稽古。コートを分けて半分が子供、半分が有段者。まだまだ初心者の橘平は端っこの方で向日葵から丁寧に教わる。

 ちらっと有段者コートに目をやると、葵たちが技の稽古をしている。保護者の皆様はまったく自分の子供を見ていない。そのうち子供と大人合同でバク転やバク宙の練習も始まって、アイドル並みの視線がたった一人に注がれていた。

 何あの人、バク転もバク宙もできるの。

 橘平も一度は葵にくぎ付けになったが、向日葵と蓮のほうがバク転は上手い。アイドルよりもそちら二人の動きのほうが、橘平をワクワクさせた。

 休憩時間の時、向日葵に「桜から動画を頼まれた」と話した。撮ってもいいか一応許可を取らねばと思ったのだ。向日葵は快く許可してくれた。

 稽古の後半、有段者たちの試合形式での稽古が始まった。子供たちはその動きをよく見る稽古となす。躰道の試合は体重などでクラスが分かれたりしないため、練習試合も体格は関係なく行われる。

 初めて葵の試合を見た。妖物相手でも人間相手でも洗練された、刀のように切れ味が鋭い動き。相手は蓮だったが、二人はわりと互角のようで、技を繰り出しあうもなかなか決定打が出ない。身長差はかなりあるものの、それぞれの体格をいかした動きで、試合は進む。引き分けで時間切れとなった。

 向日葵は男性陣を身軽さで翻弄し、余裕の表情で勝っていた。他にも女性は居るが、彼女らでは向日葵の相手にはならないらしく、試合は行われない。

 ついに、橘平が見たかった対戦が始まる。葵と向日葵だ。助け合って戦う二人しか見たことがない橘平は、興奮で動画がブレそうだった。こんなとき三脚があれば。隣の小学生に「三脚持ってる?」と聞いてみたが「ないよ」と返って来た。

 さすがに向日葵相手は危ないのか、葵はメガネを外す。ギャラリーははわ、っとなった。

「すいませ~ん、ギャラリーの方々。皆様のアイドルけちょんけちょんにしちゃいます!今から謝っておきまーす!」

 と元気よく向日葵は宣言した。保護者含め大半の人間は向日葵の強さを知っているし、長く通っている人はこの二人の対決を何度か見ている。むっとはするが、まあ仕方ないと飲み込むところはあるのだ。葵が向日葵に勝ったところは、ほとんど見たことがないのだ。

 蓮はコートに立つ前の葵に「久しぶりにかっこ悪い君が見られるね」と余計なことを言った。

 俺はいつもかっこ悪いけど。

 その思いで葵はコートに立つ。

 周りからの評価にはいつも納得がいっていない。自分の何がかっこいいのか、素敵なのか、優秀なのか、全然わからない。一人じゃ何もできない人間だから努力しているのに、家族が医者だから勉強ができて当たり前、有術も見た目も持って生まれの物。努力は評価されたことがなかった。自分の持っているもの、どれにも自信がない。

 だから、身一つで立つ場所は、無意識に委縮してしまう。

 自分しか頼れない場所で、試合が始まる。

 やはり、向日葵の動きは速い。柔らかくてすべていなされる。それでいて力強さと体力もあり、簡単には疲れてくれない。葵はすれすれで技をかわすのに精いっぱいで、自らの技を出すことができなかった。

 向日葵は向日葵で、すべて寸前でかわされ、技が入らないことにやきもきする。他の男性陣ならもっと余裕で技があてられるのに、と。

 ばて始めた葵の隙をみて、向日葵は変体斜状蹴りを放つ。あっとした葵だがそれをかわして抑え、倒れた向日葵にえ字突きを入れた。

 そこで試合終了、葵の勝利で終わった。保護者たちは「良いものみた」顔で溢れている。

「…葵が…勝った」

 実を言うと、葵も勝てるとは思っていなかった。本当に向日葵は強い。まさか勝つとはと、自分でもびっくりしていた。嬉しいはずなのに、なんとなく向日葵に対して申し訳ない気持ちが湧いてきた。向日葵はうっすら涙を浮かべている。

「えと、向日葵」
「リベンジ!」

 彼女は勢いよく立ち上がり、葵を指さして

「次は勝つから!!もう負けない!!」

 試合終了のあいさつもそこそこに、ずんずんとコートから出て行った。挨拶が適当だと、唐揚げ課長に叱られていた。

 稽古後、橘平は向日葵に動画を桜に見せていいのか聞いてみた。彼女が負けてしまった試合だ、あまりいい気もしないだろう。

「え?いいよ。撮っていいって言ったわけだし」
「あ、じゃあはい。見せます。今度家来るし」
「はあ、あんだけ宣言したのに負けちゃったよ。恥ずかし~いままでほとんど負けたことなかったんだよ?くやし~次、次勝つからね!」

 そういって、道着からスカイブルーのジャージに着替えた彼女はよく見る笑顔で帰っていった。

 橘平の背後から葵がお疲れ様、と声をかけてきた。向日葵に勝ったというのに、なんだかうれしそうではない。敗北のようなオーラを放っている。その理由は全く橘平には分からないけれど、こういう時こそ、自分がお役に立てるのだと、葵の手を取り、お守りを描いた。

「は?なんで?」
「葵さん、勝ったのに負けた顔してるから。うーん、あったかい気持ちになれるように、かな?」

〈どうだった?〉
〈葵さんが勝った〉
〈えええ!?そうなんだ!?〉
〈うち来た時動画見せる!接戦だった!〉
〈楽しみ~妹の看病今日までだから、明日は行けるよ!〉
〈まじで?OK明日来て!〉

 古民家に戻った葵は風呂に入って汗を流した。そして朝に炊きっぱなしだったご飯で不格好な握り飯を作り、とりあえず腹を落ち着かせる。

 そして今、電話をかけようか、それともメッセージを送るかで悩んでいた。相手は向日葵である。なんと声をかければいいかもわからないけれど、向日葵と一言でいいから言葉を交わしたいのだ。おやすみなさい、だっていい。

 橘平には「互角」と言い張っていたが、負けるというのも少し恥ずかしかったのだ。圧倒的に負けるわけでもないから、そう間違いじゃないだろうというだけの。

 実際勝ってみると、彼女のアイデンティティを奪ってしまったような気持ちになってきたのだ。剣でも能力でも圧勝な葵、それが体術まで。二人の関係のバランスが崩れたりすることはないか、と心配になってきた。

 ごんごん、と玄関を叩く音がした。こんな時間に誰だ、と玄関を開けると向日葵がビニール袋を提げて立っていた。あがるよっ、とそのままソファのある部屋に直行する。

 向日葵は椅子をどかしてカーペットにどっかと座り、葵にも隣に座るようカーペットをバンバンと叩いて促す。葵はとりあえず、促されるままに座った。

 テーブルにビニール袋を載せ、向日葵が取り出したのは500mlのビール缶二本。

「あ、おい!なんで酒なんか」
「飲まなきゃ!飲まなきゃあ話せない気がするから!だって今話せないもん!!すっごく話したいのに!!」
「はあ?ぶっ倒れるだけだろ」

 とビール缶を奪おうとすると、向日葵が両手に抱いてダンゴムシになり阻止する。

「ぶっ倒れたら兄貴呼んで」
「何時だと思ってるんだ」
「ヤツは来る。大丈夫」

 ビール缶を二本ともあけ、一本を無理矢理、葵に飲ませた。樹から聞いたのと同じ手法である。なんとか怪力の向日葵の手を払う。いきなり飲まされ、悪酔いしそうだった。向日葵もぐいっと飲み始めた。

「あ!!飲むなって!!」

 半分ほど流し込み、顔が真っ赤を超えたところで、向日葵は葵をぎゅーっぎゅーっと抱きしめた。

「痛ぁっ!」
「嬉しかった!!!」
「はあ?!」

「葵が素手で私に勝ってくれて、すっごく嬉しかった!だって、葵はいつも何かに頼ってたから。有術とか刀とか!優れてるのは自分じゃない、生まれつきの能力。俺はダメだ、何もできない、だからモノに頼る。本当はできる奴なのに、自分にとことん自信がない。自分の力を信じられない。そこがね、私はずーっっっとやきもきしてたのさ。だから、素手じゃ私に勝てなかったの。私は分かってたのよ。本当は私によゆーで勝てるのに、最後の最後で自分の力が信じられなくなっちゃって、負けるの。あとあれか、遠慮もしてたかな。有術は、剣は、自分じゃないから、一人じゃないから自信がある。でも自分一人、頼れるものがなくなるとそう、うん、葵は葵に負けてた」

 葵から体を放し、光を反射しないほど真っ黒な彼の瞳をじっと見つめる。

「これでもう大丈夫だ。葵は自分に自信が持てた。良かった。『なゐ』とも戦える。私の分までぶっ殺して。ああ、そうきっとこれは」

 へへへー、と気の抜けた顔になった彼女はあの名を呼ぶ。

「橘平ちゃんのおかげだ~」

 また橘平か。
 でも今では葵も、その名が出ることに疑問は湧かなかった。

 葵が向日葵を抱きしめ返そうとすると、彼女は爆発したようにきゃはは、ぎゃははと高い声で笑い始め、ジャージのポケットから電話を取り出した。テーブルの上で電話帳を検索し、かけた相手は〈舎弟のきっぺい〉だった。

「おい、また少年に電話って」

 橘平はすぐ電話に出た。なんですか~ひまわりさ~んと眠そうな声だ。その声を聞くと向日葵は大声で笑いながら、

「わー、きーちゃんこんばんは~あのねー、わたしはあれよ、酒の力に頼らないと、言いたいことが言えない、さいてーのにんげんなの~あはははは!!!」

 え、はあ…と橘平が声というより二酸化炭素を吐き出して答えると、ふっと向日葵は陰のある表情を見せた。

「お酒にも、橘平ちゃんにも頼らないで、本音を言えるようになりたいな…」

 しんみりしたところで、また突如笑い袋のように高い声で爆笑しはじめ、今度は「とんでもない昔話」を始めた。電話越しの橘平はばっちり目が覚めてしまったことだろう。葵も血の気が引いた。

「お、おいそれ…!!」

 このままいくと、橘平が思う日本刀の君の尊厳にかかわる話に発展しそうだったので、葵はくねくねと逃げる向日葵から何とか電話を奪い取り、即、通話を切った。直後、彼女は泣き出し、彼に抱き着いて大量に嘔吐、気を失った。

「情緒…」

 泣きたいのはこっちだという気持ちだが、とりあえず葵は向日葵を横にし、お互いの服についたものとカーペットに落ちた嘔吐物を処理。それから樹に電話した。

 すると彼も酒を飲んでしまっていた。自分も無理矢理飲まされたと葵は告白する。

「え~…ホントゴメン、妹がご迷惑を…どうしようかな…じゃあまたゴメンね、なんだけど、一晩そこに泊めてくれるかしら?明日の朝うかがうわ」


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?