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組織の中で敬語をやめる!

子ども支援の事業をやっている僕たちがティール組織を目指してみた 第4話

こんにちは、りょうちゃんです。

「経営者は孤独だ」よく言われます。最初は「なんでそうなんだろう?そんなことないだろう??」って思っていました。
でも、経営者を始めてスタッフを雇って、色々あって、やっていくとわかっていきます。「経営者は孤独だ」って。
僕は比較的トップダウンを嫌うタイプだったと思います。トップダウンで職員を振り回して疲弊させている組織にいたこともあるし、同業でそう言う事業所で苦しむ職員たちも見てきました。
だからできるだけそうはありたくない、問いを投げかけて考えてもらって決める、そんなスタンスでスタッフと関わっていました。問いを立てることで「みんなで決める」「みんなで考える」っていうプロセスを大事にしたかったのです。

徐々に会社を大きくしていくとわかるのは、「制度をその都度整えていくプロセス」を作っていくことです。現場で奮闘するスタッフに制度についてその都度考えさせるのは酷だなって思い、僕が整える役割を担います。
初めはやはり「リスクヘッジのために労働者よりも法人(経営側)に有利な制度設計」をすることを考えます。それはおそらく「普通の平均的な中小企業の社長をやる」ってことです(たぶん)。そうして制度設計をしていきます。就業規則とか雇用契約とか賃金設計とかしていくわけです。
その底に流れているのは中小零細社長のお金に対する不安への気持ちの対処。これらの作業「とんでもなく孤独だな」って感じます。僕はスタッフを仲間と思いたい、でも不安を動機にして制度設計をする自分、スタッフと僕の間に壁ができる。何かがどんどん離れていく感触がありました。対等性がなくなっていく。

さらに、僕自身、スタッフに指示命令をしなかったわけではない。指示命令をするってことは権力を行使するってことです。権力の行使にはある種の快感が伴います。
指示命令をする=権力関係による権力者の快感と権力を持たない人の従属、両者の思考停止を加速させることになる感じがありました。この快感に身を任せるのはキケンだ、そう思いました。孤独だなーっていう気持ちと相まって、これをなんとかしていかないとならない、と。
また上下関係を前提にすると、スタッフが「仮面を纏う」ってこともヒシヒシと感じます。言いたいことが言えていないのがわかるのです。
(この「仮面を纏う」「思考停止」っていうのがティール組織の「全体性」や「自主経営」の話と結びついていきます)

この辺りから、「経営者の孤独を受け入れつつ、でも対等性を作っていこう」って思うようになりました。少しずつではありますが…それを体得していく…そのプロセスがこの数年でした…。

とりあえずとった処置は「敬語をやめよう!!」っていうことです。そして「〇〇さんと呼ぶのはやめてくれ、りょうちゃんと読んでほしい」と。ミーティングでスタッフに敬語をやめようとお願いしました。もちろんスタッフも愛称です。

「敬語やめよう、愛称で呼び合おう」…大した発想ではないです、でも結果的に大きな転換であったと思います。

続く。

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