見出し画像

2/24「変化の私へ」

随所で教養の崩壊に警鐘を鳴らすモノを観測するが、果たしてそれは教養の崩壊なのか。

今やその辺の高校生に「祇園精舎の鐘の声!諸行無常の響きあり!」と叫んでも、「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」なんて返答ができる人間は一部のみかもしれない。しかし、その部分が完全に欠落したのではなく、代わりに別の“教養”が埋め込まれていたとしたらどうだろう。
「あの日の悲しみさえ、あの日の苦しみさえ」と歌えば、「その全てを愛してた貴方と共に〜」と歌ってくれることだろう。 

ここで重要なのは、「我々も『ああ〜  川の流れのように〜』と歌えば『緩やかに〜  いくつも時代は過ぎて〜』と歌える!」と自分たちに置き換えるべきでは無いということだ。そんなこと聞いてもないし、どうでもいい、喩え話に喩え話をぶつけても何にもならない。

とまあ、本や楽曲に限らず、ゲーム、メディア、ネットミームなど教養(?)の姿は多岐にわたる変貌を遂げたように感じる。私から言わせると所謂「旧人類」は自分たちの時代を想うがあまり、新しい時代を恐れているようにも思える。
“ああ、あの頃は良かった!あの頃のままであるべきだった”

時代は常に変化しているのだと実感、ところで明日は国公立大学の2次試験である。ピンチ!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?