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ポケモンキッズと旅する 第26回 ヌマクロー|群馬県沼田市

本記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。

ポケモンキッズと旅する第二十六回、ヌマクローと沼田です。

沼田でヌマクローという、地名的にここまで最適な人選は他にないでしょう(笑)

まずは沼田駅。

沼田に行った時のことは特に強く記憶に残っています。

電車の時間の都合により、沼田での滞在時間は約40分でした。

沼田駅で降り、沼田城まで上がる、また沼田駅まで戻る。

これを約40分で行いました。

これがどう大変だったのかは、後ほど解説で出てきます。

沼田城に上がりました。

沼田城は、戦国時代から江戸時代初期にかけて、北関東の重要な拠点として大きな役割を果たしてきました。

そもそも、群馬県北部の盆地に位置する沼田市は、利根川が刻んだ河岸段丘の上に広がっています。

河岸段丘とは、河川の中流から下流にかけて、流れに沿って形成される階段状の地形です。

河岸段丘は平坦な部分(段丘面)と急な部分(段丘崖)で構成されます。

沼田の河岸段丘は、日本でも特に典型例とされます。

沼田駅と沼田城との高低差は約70メートルあるなど、この独特な地形が沼田の景観を際立たせています。

沼田城は、この河岸段丘の頂上に位置し、周囲を見渡せる絶好の場所にあります。

そう、何が大変だったかというと、沼田駅と沼田城との高低差約70メートルという、この高低差を40分で往復する必要があったことです。

孫子の兵法「高所に陣取る者が有利」にも記されている通り、沼田城の立地はこの原則に合致しています。

なぜならば、高所からの視界の良さは敵の動きを把握しやすく、また急な崖は天然の要害となり、攻める側にとって不利となるからです。

沼田城は河岸段丘の崖の端という高低差を、城の防御に適するよう立地しています。

だからこそ私も身をもって沼田城攻めの大変さを体感しました。

沼田城は2辺を河岸段丘の段丘崖、更に他の1辺を小さな川が削った小さな谷に面しており、城の立地としてよくある「川を天然の堀として」ではなく、「河岸段丘を天然の石垣として」利用する形で位置しています。

この沼田城は戦国時代、上杉氏・北条氏・武田氏などの有力な戦国大名が奪い合う場所となりました。

武田氏傘下にあった真田氏がこの地を主として治めたものの、結局何度も争奪戦の舞台となりました。

その後、沼田城は武田氏が潰えたことで強制的に独立してしまった真田氏、真田昌幸の長男である真田信之(※この表記で統一します)の居城となりました。

関ケ原の戦いの際、真田氏は親子で東軍と西軍に別れることとなりました。

東軍についた真田信之の妻・稲姫が沼田城の留守を預かっていた際、西軍につくことになった真田昌幸らの入城を許さなかったという話は特に有名です。

現在、沼田城は石垣など一部がわずかに残るのみです。

こちらの鐘楼には、真田信之の長男・真田信吉が鋳造させた城鐘のレプリカが、往時の栄華を偲ばせています。

ついさっきまでいた沼田駅が崖下の低い位置にあります。

この高さまでまた戻ります。



原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。

Marshtomp in Numata, Gumma 12 (Numata Castle remains)

ここまでご覧いただきどうもありがとうございました。
次回もお楽しみに。