ポケモンキッズと旅する 第50回 クレセリア|奈良県大和郡山市
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第五十回、クレセリアと大和郡山です。
桜の季節です。
さくら祭りの際に来訪しました。
筒井順慶が織田信長の命を受け、筒井城から移り、ここ郡山城を築き始めました。
その後、豊臣秀吉の弟、秀長が入城し、大和百万石にふさわしい城郭として整備が進められます。
この城は、西ノ京丘陵の南端に立地し、わずかな高台に築かれています。
古地図によれば内堀、中堀、外堀という三重の堀で囲まれています。
外堀は現存せず、埋め立てられ、緑地などになっていますが、この外堀の内側が城下町という広大な城でした。
また、当時は石材に乏しい土地柄だったため、寺院の礎石や石造りの地蔵などを転用させてまで石垣として利用しています。
関ヶ原の戦い後には一時廃城となりましたが、その後水野勝成や松平忠明らによって修復・拡張されます。
特筆すべきは、郡山城の堀の内側に一般の民家や高等学校が存在していたことです。
外堀の内側が開発された例は他にもありますが、その開発がほぼ城内といってよいほどの中堀の内側だという点はなかなか珍しい例ではないでしょうか。
この郡山城は二の丸跡に高校があったりしますが、これ以上の極端な事例といったら、福井城くらいでしょうね。
福井城の場合、福井県庁が城の本丸跡地にあるという、城の中枢部分が現代の行政機関によって利用されている珍しい例です。
原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。
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