私が放課後デイサービスを退職したわけ
1 放課後等デイサービスとは
「放課後デイサービス」とは何ぞや?って人もいると思います。
主に6歳から18歳の障害のある児童を対象として、放課後や夏休み等長期休業日に生活能力向上のための訓練および社会との交流促進等を継続的に提供する施設のことです。
これは、児童福祉法に準じた政策の一つでもあって、今は雨後の竹のごとく、ポコポコポコポコ、新しい事業所ができています。
ですが、問題点も出てきていまして、「療育」が目的であるのに、営利目的に走ってしまい、「療育? 何それ、美味しいの??」っていう状況になってしまっている事業所も多いのが本当のところです。
2 放課後等デイサービスのできた目的
発達障害の子達も、グレーゾーンと言われる軽度の子達から、重度の子達までと様々ですが、そもそも放課後等デイサービスのできた当初の目的は、「ソーシャルスキルの向上」でした。
発達障害と言われる子ども達の中でも、一番問題視されていたのが、ソーシャルスキルが低く、上手く人間関係が構築できないことです。
今は昔と違い、人生の選択肢がたくさんあります。
これは一見良いことのように思えますが、意外と難儀いのです。
昔は、人生の生き方には、決まったパターンがありました。
例えば、女の子であれば、学校を卒業したら腰かけ程度に仕事をして、25歳までに結婚して、結婚後は専業主婦になって、子育てと家庭のことに選任することが幸せだ、と。
この文章を読んで、「どこの昭和!? 窮屈でたまらないわ!!」となった方々もいらっしゃると思います。ええ、私もその一人です。
ですが、社会的にそのパターンを強制することが「悪」となった現代では、「全て自分で選択して、決める」ことになります。
間違っていても、自己責任になってしまうわけです。
さらにお仕事についても、昔は農家とか漁師とか林業とかがほととんどで、次に商店や伝統的な手工業が中心でした。
ほとんどの方々が、「自営業」だったわけです。
対して、今の職業のほとんどは、会社勤めであり、大多数の「人」を相手にしています。昔は人間関係が家族やごく近くの近所ですんでいたのが、今現在では、不特定多数のしかも顔を知らない相手、フィールドは世界中、というかなりバカ広くなってしまったわけです。
これはね、本当にきついと思います。
「選択する自由がある」ということは、「はっきりした答えがない」と言うことで、「はっきりした答えがない」ことに不安を抱く性質の方は、きついと思います。
しかも、人間関係は不特定多数で、顔を知らない相手とも繋がっている以上、相手に対するマナーや気遣いの細やかさ、ネットに対しての注意事項は、最低限のスキルになっています。
常に「信頼できるか」「そうでないのか」「正解なのか」「間違っているのか」を自分で判断する社会は、とてもとても細やかなソーシャルスキルが必要になってくるのです。
しかもそれに対して、社会では「1人」でも時間を過ごせるアイテムがあり、地域の社会も希薄化、人間は「集団」の中で成長していくものなのに、その機会や場所は失われていっています。
放課後デイサービスは、そういった「失われた場所」を再現して、発達障害の子ども達に、「ソーシャルスキル」を教えることが目的で作られたわけなのです。
3 しかし、実際は
「発達障害児の預かり所」になってしまっています。それ自体は、悪いことではないのです。
放課後等デイサービスの目的には、保護者のレスパイト(休息)があるからです。
しかし、本当の目的は、「生活能力の向上のために必要な訓練、社会との交流の促進その他の便宜を供与すること」(児童福祉法)なのです。
けれど残念ならが、現在の放課後等デイサービスにとって、利用児さん達は、「お客様」です。
特に企業系の放課後等デイサービスは、その傾向は強いと思います。
利用者の子ども達を「お客様」と見ると、指導員の立場は下になります。
私は、利用者である子どもと指導員は、対等だと思っています。
一人の人間同士として、コミュニケーションを取りながらやっていくのが教育であり、福祉だと考えているのですが、実際は指導員の地位は、子どもより「下」です。
4 指導員の命はとても安い
なのに、何かあった時、指導員の責任はとても重くなります。
例えば、部屋を飛び出しそうになった女の子を、男性職員が止めようとして抱きしめたら、それだけで「セクハラ」になります。
指導員が何かの対応で子ども達に怪我をさせたら、行政に届けを出し、場合によっては行政処分だってあるのに、その逆になれば、「なかったこと」にさせられます。
例え子ども達の行動で職員が命に関わる大けがをしたとしても、「指導員が悪い」ということになって、有り得るわけです。
車での送迎だって、バカでかい車で狭い住宅街を走るだけでも危険なのに、そこに発達障害の子達を何人も乗せて行かなければなりません。
では、そこに会社は安全の対策をしてくれるのか?
と言うと、私の勤めていた事業所は、タイヤの溝がツルツルになって、変えてくれるように頼んでも、結局無視。
それなのに、新しい教室は次々と開設して行ったのです。
そして、事故が起きれば、「指導員の責任」。
どこの教室で、誰が起こしたのか。
わざわざラインで報告してくれました。
さらに、子ども達の暴言も諫めることができず、しかし、厳しい口調で注意しようならば、「虐待」と言われてしまいます。
私達は、確かに「大人」でもあり、「指導員」でもあります。
でも、感情だって、自尊心だってあるわけです。
5 さらに対価は少ない
そんな中、給料がそこそこあれば、まだ耐えられたのかもしれません。
しかし、ご存知の通り、放課後デイサービスに勤めていると、給料はたかだか手取りで16万円程度。
子ども達にボロクソに暴言を吐かれ、自分の命を危険に晒しながら送迎し、責任だけは立派に追及され、そして自分の命は軽く扱われる。
それなのに、二十万もないのですよ、このお仕事は。
「それでも、頑張る!」
と言う方々もいらっしゃるのかもしれませんが、「仕事」で自分の人生を潰するのは、賢い選択ではないと思います。
他のお仕事をしていた方が、まだ賢いと思います。
付け加えて言うならば、事業所として、「放課後デイサービスの神髄を追求するぞ! 子ども達のためにどんなことをするのが良いのか、皆で考えよう!!」と言う姿勢があれば、頑張れたのかもしれませんが、そんな事業所は、たいてい人が辞めないので、求人は出ていません。
6 だから、自分で作りたいと思いました
けれど、それで絶望していても、何も変わらないのです。
とりあえず、私は自分が「何ができるのか」を、考えたいと思い、放課後デイサービスのお仕事を、一旦辞めることにしました。
当事者であれば、なかなか俯瞰して物事を見れません。
一旦、その場所から離れて、離れた場所で「放課後等デイサービス」を見て、そうして「自分の作りたい場所」を練り上げて行きたいと思っています。
一番良いのは、色んな子どもが出入りして、遊べる場所です。
昭和の公園のイメージでしょうか。
ただ、今の時代、「公園」を作っても活用はされないので、それは、じっくりと考えて行きたいと思います。
もし、この「note」を読まれた方で、良いアイディア等がありましたら、教えてくださると嬉しいです。