自分という「個」もそうだけど、周りとの相性って大事だよね

今週、インスタグラムのアプリを削除しました。

大学の「インターネットと社会」という授業で、インターネットが人にどんな影響を与えているかについて考えさせられ、「ああダメだ!スマホばっかり見ていたらダメだ!」と思い、とりあえず私にとって一番危険だと思うアプリ、インスタを消しました。笑
何か投稿したい時にまた再開すると思いますが、とりあえずしばらくはSNSから離れてみようと思います。

インスタを消してから数日が経ったわけですが、ただいま絶賛、「シェアする・アウトプットする場が欲しい!」という思いに掻き立てられています。笑
私は今まで、日々過ごしている中で思った事考えた事、自分に戒めたい事、などをインスタグラムの小規模アカウントでシェアしていたのですが、その場所を失った今、すごくもどかしい気持ちを抱えているというわけです。
なので、これから、思った事、気付いた事、なんか喋りたい事をこのnoteに気軽に投稿してみようと思います。

さっそく、今日見つけた大きな気付きについて話します。

今日、仕事ぶりやコミュニケーションに関して褒められるという出来事がありました。嬉しいことに。しかも短期的な自分の行動に対してではなく、数週間お手伝いさせてもらった先の方からのお褒めの言葉でした。(ご本人から直接ではなく間接的にですが) それを聞いて、素直に「嬉しいな」と思ったと同時に、「そんな調子に乗ったらあかん!私はそんなすごい人じゃないー!」と思ったのです。 謙遜しているとかではなく。
そう、だって、フランスで初めてのworkawayをした時、同じworkawayerとしてきていたドイツ人の女の子に比べて私はどれだけポンコツだっただろうか、笑
最近は、大人数で雑談をするというような場面になると基本自分を出していくことができず会話に参加するのを諦める、という自分の特徴を見つけた。こんなんじゃ社会で生きていけないんじゃないか?!って軽く悩んだところだった。(これに関しては諦める笑)

でも、今日私のことを褒めてくれたお手伝いさせてもらっていた所では、自分自身すごく心地が良かった。常に自然体な自分で、そこにいる人たちと楽しくコミュニケーションできたし、あのとき自分イキイキしていたなということを思い出した。
そう、「あの場所や人が、私に合っていたんだ!」と気付いた。

もちろん、「自分」という一つの軸の存在自体に「すごい」と思わざるを得ない人や場合もある。けど多くの場合が、「その人自体がすごいかどうか」というよりはむしろ、その<人>とそこの<環境・人>との相性が良いかどうかが、その人の生き生き度、ないしは周りからの映り方を左右するんじゃないか。

この人と話しているとイキイキするけど、この人と話すときは遠慮が出ちゃうなあっていう違いは、
自分自身がどうこうっていうよりも、その人と自分の相性がいいかどうかなんだろうな


まあ結論だけ見ると、『まあそうだよね』って思っちゃうような内容だけど、今日の褒められるっていう出来事を通して、ああこれじゃん!ってハッと気付いた内容でした。笑

うーん合わないなあ、って萎縮しちゃうような場所じゃなくて、自分がイキイキするような環境に身を置いて、自分がグッドバイブスを感じる人たちに会っていく!そうやって生きていこう
そんでそんな場所や人に出会えたら感謝しなきゃね
と思います。

これは買わなきゃ!と思い最近買った本。めちゃめちゃ良い。

今書いたこと、頭の中では体感1分くらいでたどり着いた思考なのに、文章に起こすとめっちゃ時間かかりました。わ〜

またすぐ書くので、良ければたまに覗きに来てください。

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