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エリック・ロメール二本立てをみたわ。

※画像は観る前にタイトルだけでイメージしたポスター。

目黒シネマで1週間上映していたエリック・ロメール二本立てを観に行った。
名前は聞いたことあったけれど、観たことなかったロメール作品。
10代後半〜20代半ばまではよく一人で地味〜な日本映画を観るのが好きだったけれど、仕事や趣味が増えてあまり観なくなった。
最近はまた映画を観るようになりフランス映画もチョボチョボ観るようになったけど、フランス映画の雰囲気はその頃好き好んでいた日本の映画と何となく似ている気がする。
大事件が起こることもなく、淡々と情緒の波に揺られ進むでもなく戻るでもなく。
小さな変化を間に受けて少し泣いたり、重い腰を上げたり。
ハリウッド映画のドーン!ドッカーン!エンド!!みたいな華美なものがあまり得意ではない小心者の心に、気怠く結論のない小さな物語は寄り添ってくれる。

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海辺のポーリーヌ、緑の光線の順で観た。
最近なにかと自信を失いがちで気持ちが沈んでいたので、この順で観てよかったとおもう。元気なときには逆もまたありかな。
両方ともバカンスを題材にした作品。
海辺のポーリーヌは頭からつま先まで私がイメージするザ・フランス映画な展開。
緩やかにダラダラと流れる日々、会話、小さなイザコザ。
だいたいみんな裸で寝るし、わりと寒いのにちっさいビキニで海に入る。
鮮やかな色彩とハイレグのちっさい水着の奥にしっかりと見える、フランスの女の強さ。
信じたい人を信じ、自分自身を信じる強さ。
信じたことと現実が違うものだったとしても、気高く凛と立ち直れるのは『自分は自分』と生きて来た全てが強い芯となり支えているからだろうか。
そして少女と大人の境界線は、いつの時代・どこの国でも曖昧でこそばゆい。

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緑の光線は…まさに自分の話だった。
観ていてアイタタタ…となる、我が儘な女の葛藤。(どうやらこれを“こじらせ女子”というらしい…痛)
あまりにも身に覚えがありすぎて可笑しくなってくると同時に、その時その時の不安感や焦り、孤独感(というかただふて腐れてるだけなんだけど)が甦ってきてどうしようもない。
女友達と居るときに男性から声をかけられ、無駄にガードが固い自分だけ着いて行けず「さき帰るわ」とか、友人とその家族らとワイワイ過ごしていても結局独りになっていたりとか。わかるわかる〜といった感じ。
でもこじらせもこじらせなりに、気づかれないくらいの少しの勇気とか変化で成長するもので。それは植物のように目で追えないくらいゆっくりなのだけど。
この見ているうちには気づかないほどのヒロインの成長が、見終わった後にもほんのり温かいちょっとの希望として寄り添って、後を引く。
そして終わり方が素晴らしかった。今まで見た映画の中で一番かもしれない。
フランス映画らしいブツッとした終わり方だけど、胸の中に不思議な光がブワッと広がってなんとも言えない気持ちに満たされる。
“緑の光線” 自分もいつか必ず見ようと思う。きっと好きな人の隣で。

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初のエリック・ロメール、独特の静かさや描かれる街や女性たちの魅力に釘付けになった。ファッションもとても素敵。
あんな薄い布のテロテロの可愛いキャミソールで川沿いや海辺を闊歩してみたいな。

どちらの作品も観て印象的なのは、愛とか、色々な事について其々の考えをただ話しているシーン。特に結論が出るわけでもなく、ただ話し聞き、受け入れたり意見したり。
画としての変化はなくただ淡々と語り合うシーンは退屈なようだけれど、私はこの描写がとても好き。
フランス映画ではこういうシーン多いそうだけれど、こういう年齢や立場関係なく意見を率直に言い合うというのはとても豊かで濃厚なものだと思う。
自分自身も、そういうふうに答えのないことを延々と話せる相手を大切にしようと思った。
決して華美でない揺らぎの中で小さな一つ一つを味わいながら、私も植物のようにゆっくりと成長できているだろうか。していけたらいいな。

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