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ブレイクポイント

年明けから低空飛行がながらく続いた。
そうであることを意識しながら、日々過ごしていた。
自分が時間やなんらかの資源を無駄遣いしているという気がしていたのだが、それよりも無力感が大きかった。
そんな状況で過ごす自分自身を、ただただ無駄飯食らいのような、ごくつぶしのような、どうしようもない低迷した姿としてとらえていた。

やる気がでない。
というか、やりたい気持ちが起こらない。
なにかをしようとか、なにかに一生懸命になろうとか、ひいてはやるべきことにそろそろ取り組まければならないときに、いつもよりもエネルギーを要する。
人に迷惑をかけないようにと努め、必要最低限のことはこなす。どこかでやる気が再燃したかと思うと、唐突に虚しさを覚える…………。

自分のやっていることは何にもならない――何の役にも立たない、というような。

低迷のきっかけはわかっている。
1月初旬、日曜の昼間にかかってきた一本の電話だ。

その後丸二日くらいなぜだか動揺がおさまらず、なんとなく落ち着かない日が続いていた。
二週間くらい経ったところでなんとなくおさまったような気はしていたのだけれど、それでも消化しきれないなにかが残っていたらしい。

それは、その電話の主が、”ご自身のために”電話をされてきたからだ。

申し訳なかった、これを最後にするから、ということをおっしゃるのだが、その内容はごく抽象的でなんのことやら?であった。
だいたい「最後にする」もなにも、電話がかかってきたこと自体がほとんどないのに。
本人が申し訳なく思うその内容については、うすぼんやりと推察はできるが、それでもそのことをどう解釈して受け止め返事をすればいいのかわからない。
おそらくは、後悔を打ち明けずにいられない、なにはなくとも自分の気がすむために贖罪的な気持ちを伝えずにはいられない――そういうことなのだろうけれども。

つい「気にしなくていいですよ」と答えてしまったが、答えながらもそれでいいとは思えてはいなかった。
だから、その後動揺が続いてしまったのだ。

そういう電話をかけてくる気持ちもわからなくはない、想像はできるが――と思いながらも、受け取る側としては納得して終わるわけではない、ということを実感する。

電話を切ってから、なんとも落ち着かない気持ちが続き、なにかをしようとしても上の空になり、手が動かない。
料理をしようとしていたのに、なにをしていたか・すべきか、わからなくなる。
心と体がバラバラ、って、こういうことを言うのだ。
しばらくシンクの前を意味もなく行ったり来たりして、今の電話は結局なんだったのだろうかと答えのない疑問にとらわれる。
ふいに大きな不安にのみこまれ、突如として宇宙の中のちっぽけな自分の存在(決しておおげさではなくそのイメージ)が突き付けられ、何の力もない、何のスキルも持ち合わせていない自分であることを強烈に意識する、いや、させられた。

そうして、無力感で自分がすっぽり覆われてしまった。

たぶん、それから。
その日のその電話を契機に、どこかすっかり「やる気」が失われたような日常を過ごすことになっていたと思う。

ちいさなアイディア、なにかを創り出す、思いつく――そういうことから遠ざかるようになってしまった。
すでに枯渇している才能、何のとりえもない自分の無能力さ加減があまりに大きく感じられ、そういったことに触れる・かかわるのにはふさわしくないと思えてしまった。
これまでもっていた「根拠のない自信」もばかばかしく思え、自嘲的になる。自分は無能だと、ただひたすら感じる。

自分の好きな活動から距離を置く。

自分でも、そんなことができるんだ、いや、そんなことに陥ってしまうことがあるんだ、と今では思う。
「クリエイティブ」とか「アイディア」とかと向き合う気力を失うことがあるなんて。


そういう状態から復活できるタイミングや方法は、正直よくわからない。
時間が解決してくれるよ、ということなのかもしれないが、自分ではちょっと違うような気がしている。
もちろん、時間がある程度進まないと何事も起きない、という意味では、時間もまた解決の一要因を担ってはいるのだろうけれども…………。

今回はブレイクポイント――不測の事態というか予想外の出来事のおかげだった。そのおかげで、ポロリと憑き物みたいなものが取れた瞬間があって、それで気力が復活したようだ。

長らくあっていなかった幼なじみの友人との思いがけない再会。
その日の朝ふいにどうしているだろうかと思い出したこともあり、ほんとうに驚いた。
突然の訃報2件。
お一人は旅先で、お一人は何の前触れもなく急きょ入院したものの――という突然さ。
ごくふつうに健康で、笑顔も声もまた見聞きできると思っていた方々だった。悲しむよりも驚きのほうが大きく、いまだに実感がない。

しかしながら、この自分で想像もしなかった驚きをともなう出来事が起きたおかげで、悪循環みたいな低空飛行の思考ループが断ち切られたようだ。
喉につかえていたアメがスポッと抜け落ちたように。
あきらめではなく、腹をくくる。

これもまた一種のブレイクポイントなんだろうか。

ブレイクポイント、といえば、『ゴルゴ13』にある「破局点」というエピソード
これ、好きなのだ。
なんとなく閉塞感のある状況のときには、いつも連想する。
破局点=ブレイクポイント。

ああ、そうか。

今思えば。
今思えば。

そんなことの繰り返しだけど、今思えば、いつだって「ブレイクポイント」があって、それが再生のチャンスになっている。

そんな気づきがあって、少し前進できるような思いになり、気分転換のサンドイッチ作製に向き合う気力が出てきた。

よし!!

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