見出し画像

話し言葉書き言葉

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
きのう、思いついたことをメモしておこうと思って、
試しにiPhoneの音声入力を使ってみた。

その精度に驚いた!

漢字変換も間違いなかったし(自分の癖でひらがなにしたいところはあっても)、
「改行」っていうとちゃんと改行してくれるし。

口述筆記、ってこういう感じなのかな。
これ、手をけがした時にも有効かも。

ただ、声に出してメモに落としてもらうのって、
結構気恥ずかしいものだなぁ。

会話は話し合うことであらたに展開・構築する内容が
生まれてくることがあるけど、
とりあえずメモをと思って、自分の考えを口にするというのは、
少し違う。
自分の思いを言葉にし、それが声に出されたことで
よりはっきりとした形になり、ダイレクトに向き合わされる。
突如として自分の声に「我に返る」瞬間があって、
それまでは無意識でいられた自分の姿を急激に意識して
恥ずかしくなる。

アダムとイブが知恵の実を食べたあと、
自分たちが裸であることに気づいて恥ずかしくなった心境って、
こんな感じだったのかしらと思う。

書く場合であっても、自分の使う言い回し、単語の使い方で
ちょっとカッコつけすぎかな、 と居心地の悪さを覚えることも
もちろんある。

ただ、文字にした自分の思いは、行きつ戻りつする間に
変化する猶予があって、整えていくチャンスがある。
直線的だった部分がなだめられたり、
どう表現すべきだったかわからずにいたところが整理できたり。

思いがけず、話し言葉と書き言葉、それぞれ使う自分の意識に
違いが生じるのだと、妙に感心しながら考えたというわけだ。

以上!

(2020年8月19日・Facebookノート投稿)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あれから4年。
あれ以来結局、音声入力を活用してはいない。

画面を注視していなければならないことには変わりがないし、指を動かしながらことばを生み出していくほうが自分には合っているようだから。
あとは、脳が退化してしまうんじゃないかという思い込みが、少しばかりあるから。

「手を動かし・頭を使い・目で追う」という作業のうち、「手を動かし」が省かれると、文字通り手持ち無沙汰になってしまう。もともと注意散漫なのに、その手持ち無沙汰という状態それだけで、何をするでもなくともさらに注意散漫になる。集中力が落ちる、というか――落ち着かない。

わたしの場合、ことばと手はいつも連動しているものだからかな?(あ、これはみんなそうかしら?)

手書きの機会はだいぶ少なくなってしまって、思考はすっかりキーボードに連動している。
そう、文章入力はキーボードを使うのがいちばん落ち着く。

もっとも、わたしのタイピングはうるさいらしいので、周りの人にとっては「落ち着かない」かもしれないけれど。

ただ、音声入力は、いずれ指が思うように動かなくなったら頼れる機能になるかもしれないな、とは思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?