見出し画像

500日間、毎日スナップを続けてみて

皆さん、お久しぶりです。2023年も年の瀬ですね。
今年は皆さんにとってどのような一年だったでしょうか。私にとっては、やはり上京と転職が一番大きなライフイベントでした。
毎日写真を撮っているお陰か、写真を見返すことでその時の心情や記憶を思い出すことができます。写真は自分にとって、日記的な役割も果たしているようです。

さて、前回のnoteの投稿から100日以上経ち、私の写真に対する考え方にまた大きく変化がありました。今年一年撮ってきた写真たちと共に、その変化や気づきについて3点ほど共有できればと思います。

1.その瞬間、その光景を写す意味を考える

374日目、小児が止まった瞬間をスナップ。
この子の視線の先にいた人たちが手を振り、穏やかな時間だった。

私は今まで、スナップで街中の人を撮ることが多かったです。しかし最近は、ほとんど人を撮らなくなりました。上京当初は東京という見知らぬ地で、真新しさや好奇心のままに写真を撮っていたのだな、とある時気づきました(もちろんそのような写真が悪いわけではないですが)。その結果無闇に撮るのではなく、その瞬間に自分なりの「意味」や「価値」を感じることができた場合のみ、シャッターを押すようになりました。

 438日目、八王子市の喫煙所にて。
不鮮明な雰囲気が好きでよく撮るのだが、特にこの時は等間隔・同じ向きに人が並んでいるのが面白いと思った。

2.撮影する視点を言語化する

394日目、銀座にて。
枯れ果てた紫陽花に無常感を感じ、
思わずシャッターを押した。枯れ際から美しさを感じる。

前項の内容とも関連があるのですが、毎日スナップを続けることで「何を撮りたいのか」「何故その対象を撮るのか」を考えることが増えました。
特に日常的なスナップは、撮影者自身が「どのように世界を捉えているのか」という視点の現れだと私は考えています。旅先でのスナップももちろん良いと思うのですが、どうしても「観光者」としての視点が入ってしまい、被写体そのものの面白さや新鮮さが占める割合が増えるように思います。

私個人で言えば、世界に対して恐怖や悲しみ、あるいは無常感や切なさを感じることが多いです。なのでそのような瞬間や片鱗を感じるものに心が動き、シャッターを押すことが多かったです。

429日目、八王子市某所にて。
曇天+鳥の大群を見かけ、さらに赤信号を入れることで不穏な雰囲気を狙った。

3.日常の中に潜む光景に目を向ける

389日目、八王子駅構内にて。
ドラえもんが青いビニールカバーから顔を覗かせているように見えた。

旅行先での旅スナップも良いとは思いますが、自分が住んでいる街や普段歩いている道にも目を向けてみましょう。皆さんの身近な環境にも面白さや発見はきっと転がっています。普段カメラを持ち歩かない方も、休日にカメラを持って自分の家から徒歩10分圏内を歩いてみてください。思わず撮りたくなる光景を見つけることができると思います。

476日目、自宅近くの空き地にて。
地面に咲く鮮やかな花と、寂れたポールと枯れた蔦の対比が面白い。

終わりに

今日も街へ。

いかがだったでしょうか。前回の投稿とは内容がだいぶ変わったしまったと思いますが、毎日スナップが500日経過した時点での私の気づきを3点共有させて頂きました。本当に自分が気に入る「いい写真」というのは、毎日撮り続けたとしても数千枚に1,2枚くらいだと思っています。それでもそのたった1枚に出会うために、これからも撮り続けていこうと思います。
今回の内容が皆さんの写真ライフの一助になれば幸いです。
では、またどこかで。

假屋佑貴/Yuki Kariya

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?