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「鑑賞者」としての美術解剖学

1.美術解剖学との馴れ初め

 タレントの松嶋尚美さんは地元に司馬遼太郎の石碑があったことをきっかけに司馬遼太郎を読み出した…という消されたWikipedia情報がある。真偽のほどはわからないし、わざわざ確認する気も無いんだけど、人はそういう、「なんで?」と言われそうなきっかけで突如として新たな趣味・関心を開拓することがある。

 私の場合、美術解剖学がそれだった。過去に漫画っぽいイラストを描いていたこともあるけど、私の指向は4コマ漫画だったりもして、美術解剖学の知識がいるほどのものは描けないし、描く必要もなかった。「美術解剖学」という言葉がこの世の中にあるのはなんとなく知っていたが、それが何なのかもわかっていなかった。やがて美術鑑賞に力を入れ、絵ではなく文字を書くことが増えると、美術解剖学はより遠くなったようにも見える。

 それが変わったのは3年ほど前。私はある博物館に行った後、首都圏にあるビジネスホテルに早めにチェックインし、ダラダラとしていた。翌日にある美術館に行くための「前乗り」だったのだが、その日の夜の予定を一切立てていなかった。私は酒を飲まないし、ドがつく都心部で、何か名物やB級グルメがあるというタイプの街でもない。足も痛かったし、休んでいても良かったのだが、スマートフォンを見ると、徒歩15分ほどの場所にある美術館が夜間開館をしているという。「せっかく行ける場所に行かずして、なにがヒップホップだ」という信条(?)を掲げていた私は、足の痛みも押して美術館へと向かうことにした。

 私が美術館に到着したのは午後五時前後。展覧会はあるベテランの現代芸術家による映像やオブジェクト、絵画、写真といった作品の展覧会だった。現代芸術は好きだけど、そこまでよくわかっているわけでも無い。なんとなく作品を眺めては、またスタートラインに戻ろうとすると、そこに初老の、妙にオーラのある男性が入ってきた。

 解剖学者・批評家の布施英利さんを目撃したのはそれが最初である。私としてはなんとなく名前とお顔を把握していたというレベルだったが、それでも一つのオーソリティのような先生だということは知っている。もちろん美術館という会場なので邪魔はせず、私は鑑賞を続けた。

 とは言いつつも、布施さんが30分の映像作品を30分、立ったままじっくりと眺めていたことが印象に残っている。当然のことのように見えるが、それまでの私は一定時間で作品を見回ることだけに頭を回し、映像作品をほとんど最後まで観たことが無かった。布施さんの真似をして、30分立ちっぱなしで一つの映像作品を観通した(コロナ禍初期ということもあり、会場のソファが撤去されている時期だった)。足は痛かったが、そういうふうにして観ないとわからないことがあるということも知った。

 帰り道、晩ごはん代わりにたこ焼きか焼きそばかを買い、ビジネスホテルに帰る私はホクホクだった。そして布施さんのことを調べ、開講されているウェビナーに申し込みをした。美術解剖学というものを本格的に関心の埒内に入れたのはその頃だったかと思う。

 ちなみにそれより更に半年前、私が入学した通信芸大のカリキュラムに美術解剖学の授業は無かった。有名な東京藝術大学では大学院進学後に受講できるとのことだし、イラストレーターなどの科目では開設されていたが、私の入学した学部は文章系の学部ということもあり、受講することができなかった。むしろそれが普通なんじゃないかとも思うが、少し物寂しい気持ちもある。

2.美術解剖学の再マイブーム到来

 美術解剖学の授業と言っても、実際に臨床が行われるわけではなく、どちらかと言えば「解剖学者の伝聞を聞く」というような気持ちだった。自分の生半可さを隠すつもりは無い。大学や別の私事に追われ、美術解剖学に関する勉強をしっかりできない時期もあったが、ここ最近になってその関心を復活させている。chatGPTを使って動画のサマリーを作るということができるようになって、それでひとまず関連用語を片っ端から頭に詰め込むことができるようになったのも大きいのかも知れない。

 専門家や大学の授業を受けている学生からすれば私の知識など噴飯ものだが、それでも人よりは筋肉や骨の名称に詳しいんじゃないかという気がする。通信芸大の前は大学の経済学部を卒業していて、ファイナンスなんかもあるなかで思想史なんかをやっているバリバリの文系だったから、解剖学を入口とした「理系の世界」はどこを見回しても新鮮な世界だった。美術関係のお勉強ごとというと美術史が支配的ななか、芸術理論や美学に近いことを学べたというのも、トータルで見れば大きかったんじゃないかと思う。

 美術史が嫌いというわけではない。しかし作品を通じて「作者の意図を読み取る」というのはいかにも学校的で、「それしかない」ように見えていた状況を心のどこかで倦んでいたようにも思う。解剖学はそういう「誰かの観方」を真似するしかない、時代劇のような予定調和から抜け出すための、一つの手立てとなった。

3.ポリュクレイトスと仏像 - 美術解剖学を通じて

 美術解剖学に出会えて良かったと思うのは、(ある意味当然だが)人体に関する作品に出会えたときだと思う。例えば2022年に開催された『ポンペイ』東京展では、人体造形における比例理論を提唱したポリュクレイトスの作品《槍を持つ人》が展示された。

オリジナルは紀元前450-440年頃、本作は紀元前1-紀元後1世紀ごろの模刻。

 BANされることもあながち無いわけではないらしいので、上半身アップのみで諸々ご容赦願いたい。正面の完成度もかなり素晴らしいこの像だが、この像の素晴らしさは特に背中の筋肉に顕著にあらわれているように思う。

背面

 これを観てなんとなく「引き締まってるな」でも良いのかも知れないが、生半可でも知識があると「この隆起はなんだろう?」「この溝は…」という、解明したいという欲がふつふつと沸き起こる。腕を後ろに引いていないために肩甲骨による骨のでっぱりによる溝が表現され、おそらく広背筋と僧帽筋の腱による溝が逆ハート型の形を作り出している。大理石の首と胴体をプラモデルのようにくっつけたと見られるが、穴の部分に隆椎(第七頸椎のでっぱり)があったのだろうか…と、色々吟味をする余地が生まれる(人によってはこれだけで卒業論文やらレポートやらを書けるんじゃないかと)。美術解剖学および、それを通じた人体の知識・関心があるというだけでも、読み取れることはだいぶ多くなるんじゃないかと思う。

 また、美術解剖学はデフォルメした身体には役に立たないというのは少し違っていて、現実の人体の基準が頭に入っていたほうが、目の前にある像がどのようなものか、より具体的に見えてくる。

作品名失念…だが、東京国立博物館所蔵

 写真は私のスマートフォンに入っていた日本の仏像(作品名等失念…)だが、現実の肉体と大きく違うのは腕だろうか。通常肘の位置は胸郭(胸椎、肋骨、胸骨によって肺や心臓を覆っている箱状の箇所)の下端あたりに来るが、この肘の位置はそれよりもかなり低く、そのために腕がかなり長い。私は美術解剖学で人体に関心を持つまで、この腕の長さにまず気がついていなかったし、気がついていたとしても現代人特有の優越意識でスルーしてしまっていたかも知れない。
 ちなみに「どうしてこんなに腕が長いのか」と調べると、こんなWikipediaの記事にぶつかる。

正立手摩膝相(しょうりゅうしゅましっそう)
 正立(直立)したとき両手が膝に届き、手先が膝をなでるくらい長い。

「三十二相八十種好 - Wikipedia」より

 この正立手摩膝相を含む三十二相というのは大般若経に記載されている、釈迦の姿について描写したものだそうで、最初から仏教の知識がある方ならむしろ「そりゃそうでしょう」とへへーんとしてられるかも知れないが、このように解剖学・人体比例の知識から到達することもできる。

 今ある美術解剖学がギリシャ・ローマ時代に端を発する西洋式で、歴史的にも美術解剖学の研究が先行する西洋の作品に注目しがちである一方、個人的にはむしろ仏像を観るのが楽しくなった。日本では学術目的の解剖というのが江戸時代まで行われていない。しかし、写実的なローマ美術の影響を受けたガンダーラ様式が日本にも伝来したからか、例えば慶派の仏像の人体造形はところどころに正確さを残していて、そこに気がつくたびにギョッとさせられたりもする。

おわりに

 絵を描かない自分が美術解剖学を学ぶことに、過去に全く葛藤が無かったわけではない。布施さんも作品制作を行わないタイプの美術解剖学者だが、布施さんほどの高い見識が私にあるというわけでもない。しかし、考えてみると目の前にある絵や彫刻を「芸術」と呼んでいるのは、要するには後代の美術好きが「芸術」「作品」と呼ぶに決めたに過ぎない。たとえば浮世絵は美術館の中では「芸術」でも、民俗資料館ではその地域を知るための「史料」にもなりうる。

 「芸術」と呼ばれている資料を、必ずしも芸術学上の「芸術」として取り扱わなければいけないというルールは存在しない。自分の中の「正しさ」「誠実さ」というものが担保される限り、むしろ鑑賞は自由でいていい。どこかのアートメディアに書いてあることを焼き直したような、コピーのような感想ばかりじゃつまらない。むしろ心理学者だったら心理学的な、専業主婦なら主婦的な視点から、相手の自由を担保しつつ自由に感想を言ってくれたほうがむしろ作品の観方が広がってくれて、よほど世の中が楽しくなってくれる気がする。そういうところにも当然、「解剖学好きの素人」の視点がいてくれても良いんじゃないかと思う。

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