きっときっと会いに行きます!
2017年から始まった障がい者グループホームの建設。
建設地は北海道秩父別町。
生まれ育った町の隣町だ。
1棟目から設計をさせていただき、昨年12月に3棟目が竣工し、これをもってすべての計画が終了となった。
本当は今年1月に、竣工した建物を見に行く予定でチケットも取っていたのだけれど、コロナの感染が拡大し、キャンセルとなってそのままになっていた。
3棟並んだ姿が見られて本当によかった。
地元を離れて大学で建築を学んだ頃には、まさか自分の設計した建物が故郷に建つ日が来るなんて夢にも思っていなかった。
だって、建築士になんてなれなかったかもしれなかったのだから。
これまでの2棟の建築中やそのほかの仕事で北海道を訪れたときには、高校の恩師に連絡していた。
先生は小樽に住んでいて、時間と都合が合えばお宅にもお邪魔した。
3棟目の建設の時はコロナの影響で途中経過を見ることはできなかったので、お会いできなかった。
その昔、この先生が力を貸してくださらなければ建築士の今の私はいない。
人生の分かれ道
大学1年生の秋、実家の工務店がつぶれてしまった。
奨学金を受け、何とか2年生はもちこたえたものの、3年生になろうとする春休みにとうとう大学をやめるよう宣告されてしまった。
経済的な理由と、借金がある家の娘が大学なんて、という周囲の感情的な理由から。
私はやめる覚悟をして、高校の部活の顧問の先生に会いに行って事情を話した。
養護教諭の先生は保健室でゆっくりと話を聞いてくださった。
ひとしきり話した後、「あなたはやめたいの?やめたくないの?」と問う。
「できることならやめたくない、でも前期の授業料が払えない」と答えた私に
「じゃあ、あなたに一度だけチャンスをあげる」と先生。
「私が前期の授業料を貸すから、それでやりたいと思うならやってみなさい。私が貸したからといって無理をする必要はないから、つらくなってやめたくなったらやめてもいい。でもこれで続けられるならやってみたら?」
そして私は先生に貸していただいたお金で前期の授業料を払い、周囲には東京で就職したと嘘をつき、奨学金とアルバイトで生活費と授業料を何とか捻出し、無事大学を卒業し、就職して一級建築士の免許を取得した。
あの時が私の人生の分かれ道だったと思うし、先生が私の未来を開いてくださったと心から感謝している。
感謝と共に
チャンスをくださった先生はもちろん、たくさんの人たちに助けられてきた。
アルバイト先の大人のみなさん
友人たち
当時の恋人
就職してから出会った人たち
夫
そして、この建物を建てるにあたって設計を依頼してくれた高校の同級生。
彼に私を紹介してくれた、施工会社を営む同級生。
誰一人欠けても、この3棟揃った建物の姿を見ることはできなかった。
もしもあのとき、大学を辞めて、地元で違う仕事に就いていたとしても、そこで誰かと出会ってそれなりに幸せに暮らしていたかもしれない。
でも何かにつまづいた時に、あの時大学を辞めなければ、と人のせいにしてくすぶって生きていたような気がする。
とてもとても大変な大学時代だったけど、それをやり切れたことは大きな自信になっている。
北海道に行って、先生のお宅におじゃまするとき、私は前回お会いしたときからその日までの間に設計した建物の写真を持っていく。
先生はそれを見て、いつも喜んでくださる。
今回はコロナのこともあり、ホテルから電話をして、お話ししただけだった。
この日先生がご自身のお年をおっしゃるのを初めて聞いた。
86歳だと言う。
コロナの少し前にお会いした時、先生は最寄りの駅まで車で迎えに来てくださった。
その時私は、ご自身で運転していることもあり、70代半ばくらいかな、と勝手に思っていた。
また会いましょう、とおっしゃってくださったが、どうやらあまり時間が無い。
ここ数年に設計した建物の写真をもって、近いうちにきっときっと会いに行きます。
それまでどうかお元気で!
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