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8月15日~終わらざる夏~
昭和20年8月15日、祖母はこの日、軍需工場があった鹿屋から実家の有明町までの数十キロの道のりを、一人トボトボと帰ったという。
祖父は、大人たちと一緒に雑音がひどい玉音放送を聞いていたという。
この日を境に、それまでの正義が悪に、それまでの悪が正義に変わった。
「今までのはなんやったとけぇ?こげん変わっもんかねぇ」
(今までのはなんだったのか、こんなに変わるものなのか)
祖父はこんなふうに思ったそうだ。
ただ、こんなふうにも言っていた。
「まぁ、しょうがね、戦争に負けっしもたでねぇ」
(まぁ、仕方がない、戦争に負けてしまったからねぇ)
昭和の初めに生まれた世代は、10代の多感な時期に、この境目と遭遇している。
このあまりの変わりように対して、当時の人たちはどんなふうに自分の中で納得していったのか。
あるいは、納得できたのか。
想像してみるけれど、、、あの時代の空気を吸った人にしかおそらく分からない。
祖父や祖母よりもっと上の世代、明治期に生まれた人たちの中には、軍国主義に染まっていく日本の様子を冷静に、一歩引いて、あるいは少し小馬鹿にして見ていた人もいたという。
祖父や祖母たちは生まれた時から軍国教育がなされ、まだ大人になりきらないうちに、
「すべては間違いでした。これからは平和主義でいきます。アメリカを見習いましょう」
となった。
「今までのはなんやったとけぇ?こげん変わっもんかねぇ」
今は亡き祖父のつぶやきがきこえてくる、、。
僕が生まれる前に戦争は始まり、僕が生まれる前に戦争は終わった。
日本人としてどのようにとらえるべきか、長らく宙ぶらりんであった。
夏が来るたびに、なぜこんな戦争をしなければならなかったのか、回避するすべはなかったのかと、関連する様々な本を手にはしてみるけれど、イマイチ釈然としない。
いろんな人がいろんなことを言っている。
おそらくどれも間違ってはいないんだろう。
ゆえに長らく宙ぶらりんであった。
その後、祖父と祖母がどのようにして出会ったのか詳しいことは分らない。
ただ、今改めて思い返してみると、2人の話から推測するに戦争になっていなければ、2人は結婚していなかった、あるいは出会っていなかった可能性が高い。
このことを僕はどんなふうに思えばいいのか、、
戦争はあってほしくはなかったけれど、もしあの時あの時代に日本が戦争をしないという歴史を歩んでいたら、おそらく僕は今頃、影も形もない。
このことを僕はどんなふうに思えばいいのか、、
「生まれる前だから」だとか、「宙ぶらりんのまま」だとか、言っている場合ではない。
歴史を学ぶ意味、ではなくもっと重い責任というものをひしひしと感じている。
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