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立国は公にあらず、私なり

石原慎太郎さんは、1932年生まれ。

少年時代は戦時中で、のちの彼の言動や思想は、戦争を経験したことによるところが非常に大きいようです。

彼はだたただ、日本が負けたことが口惜しかった。

なのに世間はまるで戦争がなかったかのように平和を謳歌し繫栄していく。

なんともやりきれない思いでした。

◇◇◇

石原少年は戦争中、敵機に襲われます。

爆音が迫る中、芋畑に飛び込み伏せようとしますが、他の畑と比べると身を隠せない。

やられた!と観念した瞬間、爆音はやみ敵機は去って行きました。

彼は思わず身を起こし、空を見上げます。

そして彼の目に飛び込んできたのは翼と胴体に日の丸が記されていた味方の戦闘機でした。

敵機が爆撃をやめ、過ぎ去っていったのは日本の戦闘機の追撃があったからです。

石原さんは、このことについてこのように語っています。

「日の丸が見えたあの瞬間のふるいつきたくなるような感動を私は一生忘れない」

◇◇◇

石原慎太郎さんは、

「生きている以上、国家社会の背景からは逃れることはできない」

というような主旨のことを述べています。

この先、時代が進んで行けば行くほど国家と言う枠組みは薄くなっていくでしょう。

(このことは例えば、巨額な予算を必要とする宇宙開発が国家プロジェクトではなく、民間企業によって行われている現実からも簡単に予測がつく)

しかしそれはずっと先の未来の話で、自分らが生きている間は石原さんの言うとおりだと思います。

◇◇◇

福沢諭吉が残した言葉に、

「立国は公にあらず、私なり」

というものがあります。

国家の理念と私の理念が重なり、同じ目的で行動することこそ幸せである、

明治から昭和初期にかけての若者にはこういった感覚がありました。

これについて個人的には、至極真っ当と言うか、ちっともおかしくない、そしてうらやましく思います。

国家とは言うなれば家族です。そしてご先祖様であり、子孫です。

自分の命よりも大切なものは、ある。

◇◇◇

石原慎太郎さんの悲願は「憲法改正」でした。

都知事を辞してから再び国政に舞い戻ったのも憲法改正を果たせていないからで、せめてその足掛かりだけでも作りたかったからではないか。

日本国憲法は前文を読んで分かる通り日本語としては成り立っていない悪文です。

どこかで読んだか聞いたか、これは、

「こんなしょーもない憲法認めん!早く改正してくれ!」

という思いが込められているとか。

日本の歴史や大日本帝国憲法の成立過程も知らないような、よその国の学生風情の若い法律家たちが短期間で作った日本国憲法。

それを押し付けられた(戦争に負けたのだから受け入れるしかなかった)当時の人たちが精一杯の抵抗をした、それが日本国憲法が悪文の理由というわけです。

国の最高法規である日本の憲法は、日本を愛する日本人が自分たちの手で作らなければならない!

そう思いません??

それにしても石原慎太郎さんが総理大臣になる世界線、見たかった、、。




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