見出し画像

考えるを考える

職場で仕事ぶりがイマイチな人を見て、「何でもっと考えてやらないんだろう」とか、「こう考えればうまくいくのに」とか思っちゃったりします。

まあ、自分自身も若いときは、、、。

仕事自体、特別なスキルや、生まれ持った才能的なものは必要としないので、できる人とできない人の違いは、その考え方にあると思っています。

できる人の仕事ぶりを観察してマネて、その通りやってみたりなんかして、考えて自分なりのものにすればいいんじゃない?と思うのですが、できない人はずっとできないままです。

考えてやってはいるんだろうけど、浅いねん!みたいな。

てか、そもそも考えるって何??

◇◇◇

古代ギリシャの哲学者、アリストテレスは、人が物事の性質や出来事の原因を探すとき頭の中で何が行わているか最初に説いた人物だそうです。

いわゆる思考法ってやつです。

人間らしい思考には、演繹、帰納、類推、実体、意味、証拠の6つがついてまわると言います。

「演繹」は、一般論や法則を、個別の事象に当てはめて結論を導く手法です。

まず、地球には引力ってあるよね、だからりんごは木から落ちたよね。ということは、みかんも落ちるんじゃね?みたいな。

「帰納」は、同じような事象を複数見つけ、その共通点から結論を導く手法です。

りんごが落ちる。みかんも落ちる。なら地球には引力があるんじゃねぇ?みたいな。

「類推」は、2つのものがある点で似ている部分があり、それを根拠に別の点でも似ているだろうと推測するものです。

「実体」はそれは何か?と問うこと。

「意味」は、その意味は何なのかを問うこと。

「証拠」は、何が証拠かと問うことです。

というか、アリストさんに言われるまでもなく、人が何かしら考える時って、この6つ、普段からやってますよね?

でもまぁあれか、普段からみんな無意識的にやっているからこそ、アリストテレス以前は、考えるとはどういうことなのか問われなかったんでしょうな。

考えるとはどういうことか、これを言語化したアリストさんはやっぱすごい!

考えが浅いと思われる、仕事がイマイチな人が思考法を学べば、仕事ができるようになるんかな?

◇◇◇◇

アリストテレスは、思考の設計図を描こうとしたと言います。

前提の組み合わせ、演繹的な結論を導くとき、物事を観察し、帰納的に理論を立てる時、未知の難題を、既知の物事になぞらえて類推的に論じる時、実体、意味、証拠を想定し、真実を導こうとする時、頭の中で何が起きているのかを解明しようとした。

つまり、思考はランダムな営みではなく、法則があると思ったわけです。

それは紛れもない事実で、なぜかというと、こうして古代ギリシャの知見が今でも通用するからです。

なら、学校教育も知識の詰め込みではなく、思考法を教えるのに重きを置いた方がいいんじゃねぇ?

◇◇◇◇

アリストテレスが構想した教育は、思考を出発点として、知識を身につけるために思考法を応用するという順に進めるというものだったそうです。

知識を身につけるために、思考法を学ぶ。

今はどうも逆のようですな。
各分野の知識を中心に学習を進め、そのうち手法も理解できるだろうとするものです。

義務教育の期間に教えられる知識など、たかが知れています。
そしてそれさえも、今はもう忘れてしまっています。

例えば、学校で教わることが知識ではなく、思考法なら忘れることなんてないんじゃないでしょうか。

だって事あるごとに、その教わった思考法を用いて考えるから。

昔、テレビだったか、雑誌だったかで偉い人が、次のような意味のことを言っていました。

「大人になって何が問題が起きた時、それを解決しようとすぐに本に手が伸びる、そういう人を育てるのが教育」と。

これってアリストテレスが考える教育に近いですよね?

ネット記事などは、知識や情報だけですが、本は知識とともに考えを深めてくれますからね。

(この場合、拾い読みやななめ読みではいけません。一冊読み切ることが大事です。その本に長く触れることで、考えが深まるからです。正確には本を一冊読み切れる人を育てる、これが教育。と言う意味でその偉い人は言ったのだと思います。)

そういえば仕事ができる人って本好きが多いような。

これは偶然ではないような気がしますな。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?