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私小説の終わり わたしの場合

 嘘か本当か知らない。しかし、ある有名な小説家が、三島由紀夫の作品には視点の乱れがあると書いていた。視点なんて作者の視点に決まっているだろう。三島由紀夫ならそう言い放つはずだと、その有名作家は書いていた。視点の乱れなどなにほどのこともない。必要なのは作家の揺るぎない自信だとも、その有名作家は書いている。
 まだ小説を書こうとも書けるとも思わなかったそのころ、小説家の感性は凄いと思い、同時に憧れた。しかし、何が凄いのか、どこに憧れるのか、自分自身に対して、わたしはうまく説明できなかった。
 その作家は三島由紀夫の「花ざかりの森」を唾棄すべき作品として毛嫌いしていた。その一方で「憂国」を人間社会の本質を描いた作品として高く評価していた。三島由紀夫の作品について、わたしがあれこれ言えるはずもない。きだみのる氏の娘を育てた三好京三氏は、きだ氏の書いたものを読み、
「おれの評論など超えている」
 と、きだ氏の娘に言ったらしい。同じ気分だ。
 小説という表現形式の頼もしさはマヨネーズをつくるほどの厳密さもいらないと書いていたのは、司馬遼太郎さんだった。この一文を読んだとき、そうなんだと思った。いまは勇気づけられている。なんだっていいんだ。
 結局、小説というのは書いた本人が、これは小説だと言い切ってしまえばそれで小説なのだろうと思う。
 言うのは自由だ。しかし、それを社会に納得させるためには、才能があって、なおかつ知名度も必要だ。いまのところ、どちらもわたしにはない。悲観しているのではなく、大笑いをして書いている。一瞬でも自分の人生に才能とか知名度とか、いくら言葉の上とはいえ、そんな大それたことを考えた自分に対する嘲りだ。そんな上等な人生は送ってこなかった。
 作家になりたい、小説で食べたいと思った瞬間、わたしにとって、それはけっこう気恥ずかしい意思の表明だ。なぜならわたしの実人生と、それはあまりにもかけ離れた望みだからだ。作家になりたいことと小説を書きたいことは別だと思っている。小説を書きたいというのは、趣味で短歌を詠み、俳句をひねる、そのようなちょっとした趣味なのだと思っている。もちろんわたしにとっての話だ。その世界で生きて生活している人もいる。しかし、それは職業選択の一形態だ。自分が絶対になれない職業は、確かに存在する。職業作家でなくても、たとえばわたしが一流企業に就職したいといってもできるはずがない。政治家も無理だ。医者にも弁護士にもなれない。経済学者にはどんな奇跡が起きてもなれそうもない。小説家になるというのはそれと同じことだと思っている。日本語の読み書きができても小説家になれるわけではない。なれないものは無数にこの世の中にある。それでも才能と運には憧れに似た思いを持つ。
 才能と運。果たして自分にそれがあるのか。不安になるのは、小説家になれるかどうか。そんなことへの不安ではない。ひとかどの者になれるかどうか。わたしの場合、そんなことへの不安であるはずがなかった。この先、経済的に困窮せずに生きて行けるかどうかの不安だ。チャップリンは、もっと暮らしを、映画であろうがなかろうがもっと暮らしを、と言ったらしい。子どものころ、父親不在の家庭で、母親とふたり貧窮した経験を持つわたしが何よりも恐れるのは、貧困だ。チャップリンが、映画でなくてももっと暮らしをと言った、その気持ちはよくわかる。
 子どものころに経済的困窮を味わい、運を味方にそこから抜けだした。身から出た錆ですべてを失い、また経済的に困窮した。その後、今の仕事について何とかどん底の暮らしを抜け出した。そんなわたしにとって、何よりも大切なことは、とにかく今日を生きて行くことだ。今日を無事に生き抜いて百点。その先に行けるかどうかは、お天道様の気分次第という感じでいる。今日を無事に生き抜いて、明日も無事に生きて行けるかどうかにこそ、実は才能と運が必要なのだと思っている。わたしだけではなく、実は、皆そうなんじゃないだろうか。
 最近、俄かに思い立って小説を書きはじめたとわたしは書いた。そこに嘘はない。しかし趣味の文章を書くのは、今が初めてというわけではない。その昔はブログを書いていた。性別を曖昧にして、一人称は〈ぼく〉〈おれ〉〈私〉に〈わたし〉、そのあたりを書く内容によって使い分けていた。明確に意識していたわけではない。ではあるのだが、自分を書いていたのは確かだ。自分ではない自分を書くということなら、それはすでに小説だったのかもしれない。自分ではない自分に、好きな小説やドラマ、映画について語らせていた。書いている主体はわたしだが、そのわたしは、ブログの中で、様々な書き手を演じていた。
 それでも、意識してこれは小説だと思って書いたのは、noteがはじめてだった。
 小説を書いてやれと思ったきっかけは、やはり今の仕事だったのだろう。わたしはいま福祉の仕事をしている。福祉の仕事で誰かを支援する場合、その人物を理解しなければならない。そしてそのためには。一定の文章能力は、どうしても必要だった。
 わたしが受けた研修で、優れた講師のひとりが、
「支援計画が活きたものになるためには、利用者を深く理解する力が必要なのだけれど、その理解を支える力というのは文章能力です。計画をどのように作成するか、つまり書くかということは皆さんの文章能力にかかっています。だから、普段から本をたくさん読んで、良い文章に接してください」
 目から鱗だった。そのころ、ブログはすでに書いていた。ブログを書くこととサービス計画書や個別支援計画を書くことは、わたしの中で別ものだった。しかし、ちょっと知的なイケメンの講師の言葉を信じれば、それらは同じだということになる。もしそうなら、本が好きだったわたしは知らない間に仕事に必要な能力を身に着けていたのかもしれないと、わずかながら心を強くした。
 とはいえ個別支援計画から一足飛びに小説に駆け上がったわけではなかった。ただ何かを書きたいという気分は間違いなくあった。どうして自分が何かを書きたいのか、自分自身にもよくわからなかった。そのころはまだ見えていなかった。そもそも、自分が本当のところ何が書きたいのかさえもわかっていなかった。
 この業界に来る前、わたしはどん底にいた。自分で自分を追い込み、重い病を得て、かろうじて助かったが、生きる気力も失ったような状態にあった。重くはあってもその一瞬さえ乗り切れば、生きることのできる病だったのは幸いだった。しかし、生きる気力をわたしは失いかけていた。それでも生活は重くのしかかっていた。やがては老いさらばえる母に頼って生きることはできないとわかっていた。生きて行くのなら、どんな仕事にでも就いて働かねばならなかった。そして福祉の世界に流れ着いた。まさに流れ着いたという気分だった。もうそこにしか行くところがないと思って飛び込んだ福祉の世界だった。
 だからこそ、わたしは自分の仕事に意義を見いだそうとしていた。社会のなかで絶対に必要な仕事だと思っていたし、この点については今も揺るぎなく思っている。だが、必要な仕事であるはずなのに、どうしてこれほどわたしたちは虐げられているのだろう。それは疑問ではなく、怒りの感情に近かった。誰でもできる仕事と思われ、他に仕事のなかったものがそこに集まり、外の世界で行き場を失ったものが最終的に流れ着く場所。給料は安く、人間関係は悪く、いつも誰かが誰かをいじめている。経営陣はおままごとのような経営をして、経営の責任も取らず、問題が起きれば部下をトカゲの尻尾のように切り捨てていく。男女関係は乱れていて、不倫があり、複数の交際相手を持つ男や女が当たり前のようにいる。
 それらの風評は、もちろんフィクションだった。しかし、確かにそれに類した現実は、福祉業界の内部に存在していた。それらが外の世界に漏れ出すとき、誇張され、デフォルメされ、まるでホラーのように語られていた。
 しかし、わたしの周りにあるのは、やはり、すんなりと受け入れるには困難な複雑怪奇で残酷な現実であることも、また事実だった。
 当たり前の社会から放り出され、流れ着いた福祉の世界で、わたしは自分がそこにいる意味を見いだそうとしてもがいていた。しかし、見いだすことはできなかった。一種の絶望がわたしの中にあった。そして絶望は、わたしに、たとえ何者かになれなくても、小説を書かせる動機となった。
 たとえば利用者という言葉。福祉サービスを受ける人々をわたしはそう呼ぶ。しかし、利用者というのは、ただひとりの人を指す言葉ではなかった。普遍的な事実ということではなく、わたしはそう考えているということだ。利用者、それは知的障害者、高齢者、全ての福祉を必要とする人々を中心に張り巡らされたネットワークの総称のようなものだった。本人がいる。家族がいる。行政があり、医療関係者がいる。それらを含めて利用者なのだ。そして、そこにあるのはすべて人間の営みだった。人間の営みが美しいはずがない。わたしに、深いため息をつかせる現実がそこにあった。わたしが追い出された世界と等質の、あるいはそれ以上の醜い、剥き出しの人間たちがそこで蠢いていた。
 わたしはその世界にどっぷりとひたり、長い時間を過ごしてきた。今も過ごしている。かつて所属した当たり前の世界に、もうわたしは戻れないことを知っていた。かつて所属した世界から、放り出されたわたしは、そこに戻ろうという意思を持つことはできなかった。それに、十年間、福祉の世界で過ごしてしまった人間は、どのみち普通の世界で生きて行くことなどできないとわかっていた。
 わたしは溜息をつく重苦しく、救いもなく、人々の思惑が絡み合い、打算と虚言が当たり前の言語として話されている世界に、この先もとどまっていくしかなかった。わたしの前で繰り広げられている現実を、最も簡単な言葉で表現すれば、〈毒〉だ。
 わたしは〈毒〉に侵されて、中毒状態にあった。わたしのなかにあるこの〈毒〉を何らかの形で吐き出さない限り、ほんとうに死んでしまうような気がした。
 のたうち回るようにして、わたしは小説にたどり着いた。ほんとうのことなど何ひとつ書かなくていい。嘘を並べて、あたかもそれが真実のように語ればいい。わたしが見たという映画、わたしが読んだという本、出会った人々、関係を持った異性、裏切られた真心も、そんなものは現実になにひとつ存在しなくてもよかった。そんなものはすべて嘘でよかった。下手くそなわたしの言葉たちが紡ぎだす世界はすべて嘘。でも、この言葉の中に〈毒〉があれば、それだけは本当のことだ。
 わたしの能力では、何をどう書いても、小説の中に大きな社会的テーマを持たせることなどできないとわかっていた。しかし、ちっぽけなわたし個人の世界を書き続けることなら、もしかしたらできるかもしれない。人生における普遍的な何事かを描こうという気もないし、そんな力もないことはわかっている。しかし、わたしの中に溜まっているこの〈毒〉を、吐き出し続けることはできるかもしれない。首尾一貫した物語などわたしには描けないかもしれない。優れた物語性を持った言葉の群れを紡ぎだすことはわたしにはできない。たぶんできないだろう。しかし、人を、社会を、呪う言葉なら、あるいは生み出すことができるかもしれない。憎しみと怒りと絶望に彩られた憎悪の言葉が描く世界は、物語としては壊れているだろう。それでもいい。どうせ虚構なのだ。わたしには、わたし自身が嘔吐し続ける汚い言葉さえあれば、ほんとうのところ物語などどうでもいい。わたしの体験もうどうでもいい。それが体験であろうとなかろうと、どうでもいい。
 だから、私小説は終わる。そして、新たな虚構の世界が始まる。
 しかし、それもまた私小説なのかもしれない。

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