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来る! 1

 夫の愛人に子どもができたことが原因で離婚をして、失意の中にいたわたしは、親友末永美幸に誘われ福祉の仕事をはじめる。仕事は順調で、わたしは気がつくと主任になっていた。すべてが順調に行っていたが、わたしは美幸の夫、篤と不倫関係になる。その関係が美幸にばれて、殺されそうになる。しかし、篤に救われる。美幸は精神病院に入る。
 そのすきを狙い再び篤との関係を持とうとする反省のないわたし。まるでその罰のように激しい頭痛に悩まされるようになる。そして、激しい雷雨の夜、入院中の精神病院を抜け出した美幸がわたしを殺しに来る。
 わたしは美幸と対峙する。わたしは篤を自分のものにするために美幸を殺そうとする。

 人間という生物は自分で思っているよりもずっと愚かなものだ。自分がことの当事者であるにもかかわらず、まったく気づかないことがある。まさかという思いが、真実を隠してしまう。わたしがそうだった。
 その日、わたしの住んでいる地域が梅雨入りした。六月の初旬。雨は二日前から、しとしとと降りつづいていた。梅雨入り宣言の前に、感覚として、すでに梅雨だという気分があった。アパートの窓から外を眺めると、いかにも重たい灰色の雲が空を覆い、強くもないが弱くもない雨が降っていた。
 わたしが暮らしているのは田舎町のアパートだった。一応八万人の人口を持つ地方都市だったが、中心部から少し離れると田園風景が広がっている。わたしのアパートもそういったところにあった。そのあたりは、まばらな集落があちこちに点在しているような場所で、二階の部屋から見える光景も、ちょっと遠くを見れば田畑が見え、さらにその向こうを見れば連なる背の低い山々が見えた。
 それらすべての景色が雨に煙っていて、
(今日がもし公休なら)
 と、わたしは考えた。雨に煙る緑の多い田舎の風景に、何某かのもの悲しさを感じ、感傷に浸ることができたかもしれない。しかし、その日は仕事だった。仕事のことを考えると、感傷などどこかに吹っ飛んでしまう。気分の滅入る朝だった。起きて、雨が降っていて、でも職場に行かなくてはならないのかと思うと、当たり前のように気分が重くなる。何かつまらないトラブルが職場で起きるような気がするのだった。
 わたしは社会福祉法人緑風会の入所施設に勤務していた。一応主任だった。入職して七年目で主任になったのは、早い方ではなかったが、それでも主任は主任だった。主任になれたことを誇りに思っているのではなかった。福祉の世界で、主任というのは一種の貧乏くじだった。責任は重く、権限は少ない。ようするに現場の取りまとめ役のようなもので、上司からは突かれ、下からは突き上げられる。現場の仕事は普通以上にしなければならないが、書類作成や記録の整理などの事務作業もさせられる。つまり、一般職員以上に仕事をしなければならないということだ。
 主任、副所長、所長あたりまでは、なったところで、誰も羨ましいとは思わない。特に所長などは、管理職であることを理由に、時間外手当もつかない。もちろん所長手当はつくが、その金額を時給に換算してみると、とても所長たちがしている時間外労働には釣り合わなかった。しかも責任は誰よりも重く問われる立場だ。
 役職がつき、苦労に見合うほどの報酬もないとなると、主任以上所長までには、頼まれてもなりたくないというのが、大方の本音だった。実際、所長に昇格したとたんに退職した職員をわたしは知っていた。
 わたしが勤務する入所施設は知的障害者が入所している施設だった。わたしがこの仕事に入ったのは三十三歳のときだ。
 大学の同級生だった夫と二十三歳のときに結婚した。それから十年の結婚生活。わたしたちは、子どもに恵まれなかった。医療に頼り、ときに怪しげな拝み屋や、占い師に相談したことさえあったが、子どもを持つことはついに叶わなかった。
 結婚して八年目、ふたりが三十一歳のときに、夫が不倫をした。子どもができなかったことが理由だったのか、それともわたしに対して不満があったのか、いまとなってはわからない。夫の不倫を知ったとき、そのあたりを問い詰めたが、夫は答えなかった。
 夫の不倫相手は、七歳年下の会社の後輩だった。容姿にまだ幼さの残る可愛らしい娘だった。わたしはなんとか夫との関係を修復しようとしたが、一度壊れた関係はもう二度と戻ることはなかった。夫との関係が元に戻らないということを、刺されるような思いで、わたしが理解したのは、相手に子どもができたと言われたときだった。わたしも夫も欲しくてたまらなかった子どもが、彼女との間にはできたのだ。わたしにとってあまりに残酷すぎる事実は、わたしたち夫婦にとっての、いわば死刑宣告だった。わたしたちは離婚をした。わたしは三十三歳になっていた。不倫発覚から離婚までの二年間は、わたしにとって地獄の日々だった。
 離婚をしてひとりになったわたしはしばらくぼんやりとして過ごした。わたしは夫が好きだった。子どもを持てなくても、この人とずっと一緒に生きて行くんだと心に決めていた。その夫に裏切られたとき、わたしは人生の半分を失ったようなものだった。
 わたしは失意のどん底にあった。そんなときだった。友人が福祉の世界で働いてみないかと声をかけてくれた。彼女は大学の同級生だった。旧姓大下美幸。結婚して末永美幸になっていた。美幸は大学を出て一時期、一般企業に勤務していたが、突然福祉の仕事に転職した。当時、わたしは専業主婦だった。美幸に、
「どうして、そんな大変な仕事に転職したの」
 と、訊ねたことがあった。美幸は、
「人の役に立ちたかったから」
 と、答えた。その時、美幸は笑っていた。美幸が本心を隠したり、建前を言ったりしないことをわたしは知っていた。美幸が人の役に立ちたいから福祉の仕事を選んだというのなら、その通りなのだろうと思った。美幸はその後も仕事を辞めることなく続け、同じ緑風会に勤めていた男性と二十七歳のときに結婚した。ご主人の末永篤は一歳上だった。
 離婚して落ち込んでいたわたしは、深く考えずに美幸の誘いに応じた。そのときのわたしには、新たな場所で新たな人生を始めようというような、前向きな気持ちはなかった。続けられなければすぐに辞めようと考えていた。そういうことを美幸にも、最初に言っておいた。美幸は快く、
「いいよ、それで」
 と、言ってくれた。
 長くは続けられないだろうと、福祉の仕事を始めたころは思っていた。しかし、結果はその逆で、気づいたとき、わたしはそこに生きがいを見いだしていた。残酷にわたしを傷つけ、去っていった夫を忘れようとして、仕事に没頭したことも、あるいはよかったのかもしれない。明日辞めてもいい。その場だけを乗り越えて、生きて行く。バラ色の未来も、漆黒の闇が待ち受ける将来も想い描かず、目の前にあることだけに専念した結果が、精神の深部で思わぬ化学変化を起こし、結果として、わたしはそれなりに仕事のできる職員になり、気がつくと主任になっていた。
 では、わたしは過去を、全て整理できたのか。それはなかった。わたしの中には、確かに、裏切り者だった夫への割り切れない気持ちが残っていた。どれだけ今が充実しても、夫への、憎しみが消えることはなかった。福祉の仕事を始めたころ、新しい環境に慣れるための多忙さから、夫のことを瞬間忘れることはあっても、それは忘却の彼方へ、夫の記憶を押しやることではなかった。環境に慣れ、仕事がそれなりに面白くなってきたころ、夫のことを考えることが多くなった。たとえどれほど今が充実しても、痛めつけられた過去の時間への憎悪が、心の中に確かに残っていて、それはわたしの人生の方向性に影響を与えていた。
 わたしは自分の中にある、そうした負の部分、底なしの深淵に通じているかもしれない闇を覆い隠し、日々明るくなっていく自分を演じていた。明るく、朗らかに、活発に、まるで過去の傷が癒えたように働くわたしの姿をもっとも喜んでくれたのは、わたしを福祉の世界に誘ってくれた美幸だった。心に底なしの闇を抱えたわたしは、そのころから、どこかで美幸を裏切っていた。そして、裏切りの気持ちは、少しずつわたしの中で育って行った。わたしは優しい夫と子供に恵まれた美幸が羨ましかったのだ。
 わたしをこの業界に誘ってくれた美幸は、子どもが生まれたこともあり、一旦仕事を辞めた。育休をとるという方法もあったが、美幸は退職を選んだ。子どもから手が離れれば、パートとして復帰するとわたしに言った。
 入所施設は二十四時間、一年三六五日、年中無休で稼働している。職員は変則勤務が基本だった。早番、日勤、遅番、夜勤とそれぞれの時間帯に勤務する。主任であるわたしは日勤が多く、夜勤に入ることはほぼなかった。変則勤務に絶対に入らないということではなかった。職員が突然休んだ場合、
(これはけっこうある)
 わたしが代わりに変則勤務をすることもあったし、夜勤職員が突然休み、代わりにわたしが夜勤に入ったこともあった。要するに主任というのは何でも屋だった。権限も少なく、仕事は多忙で、意見具申をしても取り上げられることは少ない。確かに貧乏くじだ。わたしが貧乏くじに甘んじているのは、四十の独身女で、他にすることもないということが、最大の理由、というかそれしか理由がなかったのかもしれない。
 出勤したわたしは、デジタルタイムレコーダーに、社員証と一体になっているカードをかざして出勤時刻を打刻した。それから自分のデスクに行ってパソコンを立ち上げた。わたしが勤務している入所施設の職員は四十名を超えていた。当然、全職員分の机を用意することは不可能で、一般職員用のデスクはなく、皆でデスクを共用していた。だいたいひとつのデスクを2.5人くらいで使っている。主任のわたしは自分のデスクを与えられていた。わたしが事務所に入るのは、八時十五分ごろだった。八時半になり、朝礼が始まった。
 朝礼の主たる目的は、夜勤者からの報告だった。報告が終われば堀川所長の話しが始まる。
 正直に言ってしまうと、朝礼の時間の大半を占める堀川所長の独り語り、
(あえて訓示とは言わない)
 は、時間の無駄だと思っていた。わたしだけではなく、他の職員にとっても、意味のない、堀川所長のプライドを満足させるためだけの時間だ。所長の堀川忠義は、所長を貧乏くじと思わない、福祉業界にはたまにいるタイプだった。自分の仕事に誇りを持ち、福祉の仕事に対する心構えや利用者に対する愛について滔々と語ることに陶酔できるタイプだ。自分自身の言葉に酔うことのできる人物だった。職業人というよりも宗教家的で、悪意を持っていえば、カルト的な匂いのする人物だった。ただ、堀川所長が、毎朝職員に語っているような、愛と使命感に満ちた人物かといえば、そうではなかった。わたしひとりがそう考えているのではなく、一般的な感覚を持った職員ならそう考えている。たまに堀川所長に心酔する職員が現れるが、それは、言ってしまえば変わり者だった。
 一般的な職員の見るところ、堀川所長は福祉への愛よりも自己愛の方が勝った人物だった。福祉に身を捧げているというよりも、自己中心的な人物だった。現実の堀川所長の行動は、語るほどの愛に満ちているとは到底思えなかった。問題が起きたときなど、露骨な自己保身を優先させる姿をわたしは何度も見ていた。主任であるわたしは、堀川所長の生の姿に接することも多く、一般職員が感覚的に感じていることを、事実として認識できる立場にあった。
 ガン!
 堀川所長の話しが佳境に入ったまさにそのとき、激しい音がした。その音が事務所の引き違い戸を誰かが、強い力で開けたときの音だということにわたしが気づくのは、音を聞いた後だった。わたしは事務所の入り口を見た。そこにいたのは、美幸だった。
「美幸」
 思わず声が漏れた。わたしの声は小さく、呟くようだった。何が起きているのか、まだわたしにはわからなかった。美幸はずぶ濡れで、まさかそんなことはないだろうが、雨の中を自宅からかけてきたのかと思った。髪も、服も、全てが雨水にぬれて重く、水滴がぽたぽたとしたたり、美幸が立っているその場所には、小さな水たまりができていた。
「堀川所長!」
 美幸は叫んだ。わたしの体が、一瞬電気にでも触れたように、ビクッと震えた。
「え? どうした」
 堀川所長は呆気にとられていた。声にも表情にも戸惑いがあらわれていた。
 美幸は一直線に堀川所長に向かった。堀川所長の前に立つと、いきなりその胸倉をつかんだ。
「末永さん落ち着いて」
「ここは人の旦那を寝取るような泥棒猫を働かせてるのか!」
「え?」
「ここには人の旦那と寝るような淫売を働かせているのかって聞いているのよ!」
「落ち着け、末永さん。何を言っているのかさっぱりわからない」
 美幸は堀川所長の胸倉をつかんでいた手を離した。体の向きを変えた。
 美幸は、ものすごい目でわたしを見ていた。濡れた髪がべったりと顔にへばりつき、雨に打たれて体が冷えたからだろうか、蒼白な顔をしていた。その白い顔の中で、目だけが異様にぎらついている。まるで恨みを飲んで入水自殺した女が、水底から復讐のために這い出てきたようだった。美幸はわたしに向かってきた。その時になってもまだその出来事の中心にいるのが、美幸ではなく、私だとは思っていなかった。美幸はわたしの前で立ち止まった。
「美幸」
 わたしが言った瞬間、美幸は咽喉が裂けるのではないかと思えるほどの叫びを放った。その声は物理的な力を持っているようだった。わたしは思わず少し後ろに下がった。叫び声と共に、美幸がわたしに飛びかかってきた。呆気に取られていたわたしは躱すことも防御することもできなかった。そのまま押し倒され、後頭部を床にぶつけた。一瞬、気が遠くなった。自分から離れていこうとする意識の中で、わたしは美幸の叫びを聞いていた。
「このくそ女! よくもわたしを裏切ったわね! あんたが旦那に捨てられて、落ち込んでいたとき助けてあげたじゃない! それなのに、よくも、よくも。
 よくもわたしの旦那を寝取ったわね! 石女! 殺してやる! ほんとうに殺してやるから! あんたを殺せたら死刑になってもかまわない!」
 わたしは美幸の殺意をはっきりと感じていた。待って、話を聞いて。そう言いたかったが、わたしののどにかかった美幸の両手が、凄まじい力でぐいぐいと締め上げていて、声を出すことができなかった。本当に殺されるかもしれない。そう思うと、意識がさらに遠ざかった。
 ほんとうに死ぬ。そう思ったとき、首にかかっていた美幸の手の力がすっと緩んだ。同時にわたしは気を失った。

 救急隊がやってきたとき、わたしは意識を取り戻していた。実際に意識を失っていたのは、短い時間だった。体を起こそうとしたが堀川所長から、
「動くな。頭を打っている。じっとしているんだ」
 と、言われ、そのまま横になっていた。
 わたしは後頭部を強く打っていたこともあり、救急搬送された市民病院で精密検査を受けた。問題はないということだった。しかし、頭を強く打った場合、硬膜下血腫の可能性もある。慢性硬膜下血腫の場合、一ヶ月か二ヶ月くらいたってから症状が出る場合もあるので注意してくださいと、医者に言われた。
 もちろん、知っていた。障害福祉の現場にいれば、利用者が転倒その他で、頭部を強打することはありうることだった。転倒して頭を打った利用者を、病院に連れていったことが何度もあった。何度も同じ言葉を医者から聞かされていた。
 しかし、まさか自分がその立場になるとは思ってみなかった。そういうことがおきるのは、まだずっと先だと思っていた。年老いて、どこかの施設に入って、そこで転倒してと、そんなことを考えていた。わたしには想像力がなかった。篤との関係がばれないと思っていたことも、言ってみれば想像力の欠如だ。
 美幸に殺されそうになっていたとき、
(あのときの美幸の殺意は本物だった)
 わたしを助けてくれたのは、美幸の夫、末永篤だった。
 篤は去年まで、わたしが勤務している入所施設の副所長だったが、今年の人事異動で、通所事業所の所長になっていた。通所事業所は緑風会の敷地内にあった。部下職員のひとりに、美幸らしい女性が入所施設に入って行くのを見かけたと言われ、篤は駆けつけたのだった。やってきた篤は、わたしに馬乗りになって首を絞めている美幸を見つけた。篤は美幸を、わたしから引き離してくれた。もしあのとき篤が来なくても、誰かが美幸を、わたしから引き離してくれたとは思う。だが、誰も、何もしなければ、わたしは確実に美幸に殺されていた。美幸のわたしへの殺意は揺るぎがなかった。
 わたしの首には、美幸に絞められたときにできたあざが、くっきりと残っていた。その日は大事をとって病院に一晩泊まった。後頭部にたんこぶができていたが、
「今のところ異常はなさそうですから自宅に戻っていただいてけっこうです。でも吐気がしたり、めまいがしたりしたらすぐに病院に行ってください。いいですね」
 と、医者に言われた。その時点で、美幸がどうなったのか、自分がこの先どうすればいいのか、わたしにはわからなかった。
 病院を出て職場に電話をした。
「退院しました。これからどうしましょうか」
 電話に出た堀川所長は、
「自宅療養ということになった。とりあえず一週間」
 と、言った。自宅療養という言葉が引っ掛かったが、
「承知しました」
 と、答えた。
 わたしはアパートに戻った。布団を出して、横になった。朝食は病院で食べてきた。昼食は、ありあわせのものを使って何か作ろうと考えていた。どちらにしても空腹はあまり感じていなかった。
 一週間の自宅待機。あるいは出勤停止。自宅待機というのは何だろうと思い、就業規則を調べてみた。就業規則はデータ化されていて法人のグループウエアにログインすれば閲覧することができた。少なくとも就業規則に自宅待機という項目はなかった。懲戒規定に出勤停止はある。懲戒による出勤停止は、解雇に次ぐ重い処分で、十労働日の出勤停止となっていた。わたしの場合は一週間。どうやら懲戒ではなさそうだった。では、何だろう。
 よくわからなかった。法人もきっとわからないのだろう。ただひとつ、はっきりしていることは、わたしが問題を起こしたということだった。わたしと篤が問題を起こした。
 人には目の前で起きていることの本質がわからない場合がある。ずぶ濡れの美幸がやってきて、
「ここは人の旦那を寝取るような泥棒猫を働かせているのか!」
 と、堀川所長の胸倉をつかみ叫んだときでさえ、わたしはそれが自分に対する叫びだとは思わなかった。本当ならすぐに、
(ばれた!)
 と、青ざめて然るべきだった。
 だが、なぜかわからないが、ふたりの関係は絶対にばれない、ばれるはずがないと、岩のように思い込み、美幸の怒りはわたしではない別の方向に向けられていると頭から信じ出疑わなかった。
 篤との関係が始まったころは、秘密の関係に怯えていた。こんなことをしていたら、いつか美幸にばれて、大変なことになるかもしれないと、わたしも篤も怯えていた。わたしも篤も、自分たちが許されないことをしているということを理解していた。許されないことをしているから、絶対にばれてはいけないと思い、細心の注意を払っていた。しかし、時が過ぎて、秘密の関係でも安定してくると、いつか怯えは消え去り、ふたりの関係は絶対にばれるはずがないという愚かな思い込みに変化した。
 隠し事はばれて当然。そう考えればこそ、人は正しく生きようとする。しかし、少数ながら、一生涯秘密を抱えて生きて行く人がいるのもまた事実だった。わたしは自分が少数に属していると信じていた。人は理屈をつけて悪に堕ちる。他者には正義を求めても、自分の悪行には仕方がないと目を瞑る。わたしは、夫を奪ったあの娘と同じことをしていた。同じことをしながら、美幸の気持ちを考えなかった。だから篤との関係をやめようと思わず、ばれないようにしようと思った。わたしに、夫を奪ったあの娘を攻める資格はなかった。
 こんな想像をしたことがあった。わたしも篤も美幸も年老いたある日、三人で日当たりの良い庭で、お茶を飲んでいる。三人で懐かしい昔話をしている。三人とも笑っている。だが、わたしと篤の笑顔の中にある秘密を美幸は知らない。わたしたちは逃げ切った。
 なんて都合のいい未来予想図。罪を犯したものは罰せられるのだ。いまわたしは罰せられていた。その罰は重く、一週間の出勤停止程度で済むことではないということはわかっていた。
 一週間が過ぎた。職場に行くのは勇気が必要だった。首の痣はまだ残っていた。だいぶ薄くなっていたが、まだ見えることは見えた。バンダナを首に巻いていこうかと思ったが、止めた。わたしは罰を受けるべきだと思っていた。罰を受けたいとまでは思わないが、罰を受けても仕方がないとは思っていた。浮気がばれて、相手の妻に首を絞められたという事実は、それが自分の受ける最低の罰だと思っていた。江戸時代、あるいはそれ以上昔、罪を犯したものは刺青を入れられたという。首の痣は、いわばその刺青のようなものだと考えた。人の夫を寝取った女であることの証を我が身に残して人前に出ることは、当然の報いだと思った。
 職場の状況については、出勤前に、親しくしている同僚がlineで教えてくれていた。美幸は警察に逮捕された。殺人未遂だ。一応取り調べは終わり釈放されたらしい。実家に戻ったという噂もあるが、詳しいことはわからないようだった。
 篤は懲戒処分を受けた。今回の騒動は、謹厳実直な理事長の逆鱗に触れたらしい。今年七十五歳になる理事長は、騒動の原因が不貞行為にあると知ったとき、激怒したという。温厚な理事長にしては珍しいことだった。噂だが、そのとき理事長は篤を解雇するよう指示を出したという。幹部がそれはいくら何でも無理だということで、理事長を押しとどめた。わたしが首を絞められたその日のうちに、懲戒委員会が招集され、出勤停止十日の処分が決定した。わたしも処罰されることを覚悟していた。
 篤との関係がはじまったのは、二年前、ふたりで食事にいったときだ。世の中はコロナ流行の最中、そんなときの外食など許されるものではなかった。まして入所施設の職員だ。当時、篤は副所長でわたしはまだ主任ではなかった。篤と、そんなふうに食事に行っていることは、もちろん秘密だった。
 ふたりの関係が決定的なものになる出来事があったのは二年前だが、その前からわたしは篤に心惹かれていた。夫の裏切りを経験して、男性に対してどこか信頼を置けないわたしにとって、篤は唯一心を許して、悩み事を打ち明けることができる相手だった。そして、篤にとってもわたしは、妻の友人ということもあり、話しやすい相手だったのだろう。
 信頼が愛情に変わることはよくあることだった。篤との時間が長くなるにつれて、わたしの心に占める篤の割合は大きくなっていった。気がつくと、わたしは篤のことばかり考えるようになっていた。わたしにだって自制心はあった。篤は親友の夫だった。好きになってはいけないという思いはもちろんあった。美幸はただの親友ではなく、わたしがもっとも苦しんでいたときに、救いの手を差し伸べてくれた本当の親友だった。それでも篤に傾いていく気持ちを抑えることが、わたしにはできなかった。
 ときどき、気持ちが高ぶって眠れないときがわたしにもあった。そんなときは自分の指で、自分を慰め、昂った気持ちを鎮めた。自慰をするとき、わたしは篤に抱かれることを想像した。わたしの性体験は、そのほとんどが夫とのものだった。夫に去られ、この仕事を始めたとき、誘われるままに関係を持った相手が二人いたが、そのセックスは高揚感をもたらすようなものではなかった。正直に言ってしまうと、夫とのセックスでも肉体的な快楽の頂点に達したことはほとんどなかった。それでもわたしは夫とのセックスに満足していた。ときに好きだという気持ちは、肉体的な快楽を超えるときがあるのだ。誘われるままにベッドを共にした二人の男たちのセックスは、ただの行為で、それ以上でもそれ以下でもなかった。あの頃は心が死んでいた。篤に抱かれることを想像し、性器に指を這わせるとき、わたしは夫との経験、彼らとの経験を篤に当てはめた。そして、必ず、性的興奮の頂点に達した。
 二年前、篤と二人で食事に言ったとき、わたしのなかにすでに気持ちの昂りはあった。チャンスがあれば、篤を自分のものにする。篤と体の関係を持つ。できるだけ見ないようにしていたが、わたしの心には、どうしようもなくいやらしく、そして、卑しく暗い歪んだ思いが巣くっていた。
 ちょうどそのころ職場で虐待の疑いがある事案が発生した。その対応に追われて、わたしも篤も疲弊していた。結局、その件は虐待ではなく、不適切支援の範囲であるということで収まった。不適切支援とは何だろう。それは見つかってしまった虐待を少しでも小さく見せるための詭弁でしかなかった。
 その詭弁は、法人を救うものではあったが、釈然としないものが、支援の最前線で働く者の心に残るのも事実だった。そういった、福祉業界ではいわば当たり前のことが、いつもにまして心に刺さる棘のように感じられたのは、きっと酒のせいもあったのだろう。運転をする篤は飲んでいなかったが、わたしはけっこう飲んでいた。
 あえてデートと言ってしまうけれど、篤とのデートのときわたしはいつも飲んで、少し酔った。あるいはかなり酔った。酒の酔いに任せて話すわたしを、篤は優しい目で見つめていた。わたしの話をよく聞いてくれた。わたしたちが食事に行っていることを、美幸は知らなかった。
 食事を終えての帰り道、わたしは突然泣き出した。篤は車を本線から少し入ったわき道に入れてとめた。道路は人気のない場所を走っていた。周りは山で、本線から少し入ると、誰かに気づかれることは少ない。まして夜だ。
 そのとき、わたしがなぜ泣き出したのか。仮にその場で訊ねられれば、あるいはこう答えたかもしれない。
「福祉という仕事の抱える偽善的な部分、虐待を不適切支援と言い換えてでも逃げきろうとするその剥き出しの自己保身に、悲しくなった」
 しかし、それは真実ではなかった。
「どうしたの?」
 と、篤に訊ねられて、実際にわたしはそういった意味のことを答えた。しかし、それが本当の気持ちでないことは、誰よりも言っているわたしが知っていた。
 わたしは篤が欲しかった。篤の気を引くために、わたしは偽りの涙を流して見せたのだ。わたしは涙の勢いに任せて、自分から篤にしがみついた。唇を重ね、さらに勢いに任せて、車のなかで行為を持った。
 篤はハンサムだった。そして優しかった。性器はわたしが関係を持ったどの男性のものよりも大きかった。だから最初は少し痛かった。性器の大きさなどセックスの良し悪しに何の関係もなかったが、それを褒めることが男性の自尊心を満足させることかもしれないと考え、終わった後、わたしは篤に、
「大きくて素敵だった」
 と言っていた。わたしは篤に中で射精することも許した。安全日だとわかっていたが、リスクはあった。心のどこかで、妊娠してもかまわないと思っていたが、自分はたぶん妊娠できないことも知っていた。でも、もし妊娠できれば、それはそれでかまわなかった。ひとりで産んでひとりで育てようと、心のどこかで思っていた。あざとく性器が大きいと褒めて、避妊具なしの射精を許したことも、全て篤を自分のものにしたかったからだ。
 思惑通りに、そこから篤との関係が始まった。最初のころは月に一回、気を使いながらあった。そのうちにそれは二回になった。密会の回数は増えていき、最も多いときは月に四回、ほぼ毎週あっていた。それほど逢瀬を重ねて、なぜばれないと思ったのだろう。細心の注意は払っていた。だが、秘密はどこかでばれる可能性がある。秘密の部分が大きくなればなるほどばれる可能性が高くなるという当然のことを、なぜかわかっていなかったのだ。

 深呼吸をして事務所に入った。その場にいた職員の視線がわたしに集中した。そこにいた全員にじろりと睨まれたような気持になった。軽蔑と憎悪の混じった視線が、わたしに注がれ、事務所に入ったところでわたしは立ちすくみ、突き刺さってくるような皆の視線を受け止めた。それしか、わたしにできることはなかった。誰もわたしに声をかけてくるものはいなかった。lineで情報をくれた友人は、別の事業所の職員だった。しかし、彼女がいたとしても、この雰囲気の中で、はたしてわたしに声をかけてくれただろうか。裏切り者に声を掛けるようなリスクは、彼女も犯さなかったはずだ。
 しばらくして、皆の視線が遠ざかった。さすがに、このときはほっとした気持ちになった。視線を向けられたのは、その一回だけだった。その後は、もう誰もわたしを見ようとしなかった。
 それらすべては、わかっていたことだった。親友の夫と不倫の関係を持って、親友に殺されそうになった女。それがわたしだった。不本意な注目も、陰口をたたかれることも、向けられる嘲笑も、みんな当然のことだった。そういう事態を避けるために、退職届を郵送するという方法もあったが、わたしはこうして出てきた。職場に行けばどうなるのか、その結果は百も承知だった。あるいはわたしは罰せられることを、望んでいたのかもしれない。辞める前に、この程度の恥を忍ばなければ、美幸に申し訳が立たないように思えたのだ。わたしは退職するつもりだった。退職届も持参していた。
 わたしは堀川所長に連れられて理事長室に行った。どんな処分も受けるつもりだった。もし、自主退職をするように言われれば、それに従うつもりだった。それを言われなければ自分からそれを言うつもりだった。
 理事長室では、真壁博理事長と竹森雄介業務執行理事が待っていた。真壁理事長は七十二歳、竹森理事は六十五歳だった。真壁理事長は普段座っている大きなデスクではなく、そのデスクの前にある。来客用のソファーに竹森理事と座っていた。わたしたちが入って行くと、ふたりはほぼ同時にすっと立ち上がった。立ち上がったのは、真壁理事長の方が少し早かった。
 わたしは拍子抜けしたような、妙な気持ちになった。わたしの頭の中でいっぱいに膨らんでいた想像は、篤を解雇しろと激怒した理事長だった。わたしが予想していたのは、もっと険しい表情だった。湧き上がってくる怒りを抑えた低く、重い声だった。しかし、待っていた理事長はとても穏やかで、強い自制心があり、人前で感情的な自分を見せることなど絶対にない人のように思えた。
「どうぞおかけください」
 理事長は言った。声は優しく、ここでもわたしは予想を裏切られた。言われるままに、わたしと堀川所長はソファーに座った。わたしたちが座った後で、真壁理事長と竹森理事は腰を降ろした。
 真壁理事長と竹森理事、わたしと堀川所長は向かいあって座っていた。真壁理事長はやはり穏やかな表情でわたしを見つめ、
「体は大丈夫ですか」
 と、言った。
「はい」
 わたしは小さな声で答えた。
「大変でしたね」
「いえ、全てわたしのせいですから」
「あなただけが悪いわけではないと、私は思いますが。人が間違いを犯すときは、よくよくの事情があるものです。間違いを犯した人の背後には、そうせざるを得ない事情、言ってしまえばその方の抱えている過酷な運命のようなものがあることが多い。面白半分で、人を傷つけようとする者もいないし、面白半分で横道にそれる者もいないと、私は考えています。
 末永君のことは、何か聞いておられますか?」
「いえ、知りません」
 わたしは嘘をついた。
「末永君には出勤停止十日の懲戒処分が下りました。ことが、あなたとの不適切な関係だけなら、そこまでの処分はしませんでしたが、それが原因で殺人未遂まで起きた以上、それなりの処分は避けられませんでした。解雇するべきだという声もありましたが、私は反対しました。
 不道徳な関係はもちろん、あってはいけないことですが、人はわかっていても過ちを犯す場合があります。聖書にある姦淫の罪を犯した女の話をご存じでしょうか。
 姦淫の罪を犯した女がいて、当時その罪は石を投げて打ち殺すということになっていました。立法にある以上、それは避けることができないことだった。しかしイエスは、
『まず罪なき者が石を投げよ』
 と、言った、すると歳をとった者から去っていき最後には女とイエスだけが残りました。二人だけになったとき、イエスはこういったといいます。
『私もあなたを裁かない。行きなさい。そして、二度と罪を犯さないように』
 私はクリスチャンではありませんが、この話はとても好きで、心に残っています。
 竹森理事、お願いします」
「承知しました。主任は解任します。それから、異動していただきます」
 わたしは自分への懲戒処分を他人事のように訊いていた。
「よろしいですか」
 竹森理事は言った。
「はい」
 わたしは答えた。自分の声が他人の声のように聞こえた。竹森理事から伝えられた異動先は、法人が二年前から始めた高齢者グループホームだった。
「ケアマネージャーとして勤務していただきます」
 竹森理事長は言った。わたしはどうこたえていいのかわからなかった。まだ混乱していた。
 真壁理事長は、
「先ほどの聖書にある話をしました。あなたも末永君と不適切な関係を持ったということでは、無罪とはならない。しかし、過ちを償い、生きなおすチャンスはあって然るべきです。頑張ってください」
 わたしは放心したように真壁理事長を眺めていた。
「どうした?」
 堀川所長は言った。わたしはすぐに答えることができなかった。
「どうしたんだ? 言いたいことがあればいま言うんだ」
 堀川所長は言った。
「あの、わたし」
 と、わたしは言ったが、その後の言葉は、すぐに出てこなかった。真壁理事長は無言でわたしを見つめていた。その眼差しも表情も穏やかで、わたしの沈黙に苛立っている様子はなかった。ひとり苛立っていたのは、隣の堀川所長だけだ。しかし、堀川所長も黙っていた。言葉のない時間がしばらくあって、それからわたしは、
「退職を考えています」
 と、小さな声で言った。
「なぜですか」
 真壁理事長は穏やかに訊いた。
「職場にはいられません」
「気持ちはわかります。しかし、辞めないでいただきたい」
「なぜですか?」
「あなたが本気で辞めたいというのなら、わたしたちにあなたを止める術はありません。法的には二週間前に退職の意思を示せば我々としては受け入れざるを得ない。しかし、どうでしょうか。そんな心の傷を抱えたまま、緑風会を辞めて、果たして次の人生が開けるでしょうか。確かに、介護福祉士で介護支援専門員であるあなたなら、次の仕事を探すことは難しいことではないでしょう。ただ、ここでの失敗を引きずったまま次に行くことがあなたにとって良いことなのかどうか。そこは考えていただきたいと思います。
 私の率直な意見を申し上げると、ここを辞めるにしても、今回のことも含めて、自分で納得できる答えを見つけてからでないと、あなたの人生に暗い影がつきまとうことになりはしませんか。こういうことを申し上げるのは失礼かもしれませんが、美幸さんはあなたの親友だったという。親友の夫と不適切な関係を持ち、美幸さんを犯罪者になるまで追い詰めた。果たして、あなたがいまここで苦しみから逃れることは、許されることなのでしょうか」
 もちろん、許されることではなかった。ここにいれば、親友の夫を寝取った女として、わたしは多くの非難を浴びることになるだろう。しかし、それこそがわたしの引き受ける罪なのだと真壁理事長は言っていた。罪人であるわたしが、せめて苦しむくらいのことをしなければ、人生はあまりにも不公平だ。わたしは理事長にそう言われているような気がした。
「わかりました。仕事を続けさせていただきます」
 わたしは、心に躊躇いを抱えながらも言った。
 理事長は穏やかな表情で頷いた。

第2話


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