【文庫版】三国志(全12巻)【著者:宮城谷昌光】 [(1) 第1巻、第2巻の感想]
ようやく宮城谷昌光氏の「三国志」を読み始めました。
7~8年ほど前に、電子書籍で全巻買い揃えたのだが、なかなか読む気になれずに放置していた。
四知
実は、一度読み始めはしたのだが、世間一般の「三国志」と同様に後漢末の黄巾の乱から物語がスタートすると思っていた。
だが、著者はそうではなかった。後漢の名臣である楊震の、「四知」から物語がスタートした。
当時、しばらく読み進めてみたが、馴染みの人物が登場せず、興味関心が他の本へと移り自然と「三国志」から遠ざかってしまった。
ちなみに「四知」とは、
「天知る。地知る。我知る。子(なんじ)知る。たれも知らないとどうして謂えるのか」
これが四知である。
どんな密事でも天が知り、地が知り、当事者が知っている。それが悪事であれば露見しないことがあろうか。
(『三国志』(第一巻)より抜粋)
とある。
たとえ、「誰も知らない、二人だけの秘密」と言っても、当事者が知っている段階で、「誰も知らない」は成立しない。そして、当事者がその秘密を洩らさないという保証はない。
外戚と宦官
そして著者は、第1巻から第2巻のおよそ2冊をかけて、後漢王朝がどのようにして衰退していったのかを執筆している。
その原因として「外戚」と「宦官」の存在がある。
「外戚」とは、皇帝、皇后の親族である。主に、皇后の父親、兄弟、親戚が要職に就くことが多い。
「宦官」とは、去勢した男性のことである。本来、「宦官」は皇帝や後宮のお世話をする役職である。
その「宦官」が権力を持ってしまったことで、後漢王朝が急速に衰亡へ向かってしまうことになってしまう。
後漢王朝の衰退
では、何故「宦官」が権力を持ってしまうようになってしまったのか?
それは。「宦官」が皇帝に協力し強大な権力を持った「外戚」を取り除いたことが大きい。
後漢王朝は、「宦官」「外戚」「その他の官吏」とい人々で運営されていた。強大な権力を持った「外戚」を「宦官」の力を借りて取り除いたことで、皇帝は「宦官」の言うことを聴くようになってしまう。
そして「宦官」が要職に就くようになっていく。
たとえ「その他の官吏」が苦言を呈しても、「宦官」が違うと言ってしまえば、その苦言が皇帝には届くことはなくなっていく。
著者は2冊分を費やし、後漢末の時代背景を書いたのか。第1巻の巻末の寄稿文で
――三国時代はむずかしい。
その時代の切りかたとして『三国志演義』があり、作者の趣旨も明確である。みごとな作品であるといわねばならない。が、そこには多くのものがかくされていて、時代の真実がみえにくい、と往時に感じたことを中心にすえて、歴史をじかに視るという工夫をしないかぎり、他人の小説の上にあらたな小説を載せる作業に終始するだけになってしまう。それゆえ私は『三国志演義』を忘れるということからはじめた。つぎに後漢という時代をできるかぎり正確に知ろうとした。
<中略>
曹操を知るためには、祖父の曹騰を知らねばならぬということであり、曹騰が宦官であるかぎり、宦官を識る必要があり、宦官に権力を与えた垂簾政治を理解しなければならない。
と書かれている。著者は歴史小説を書く上で、知りえることを全て知った上で物語を書いていくというスタイルなのだと思う。物語の中でも、知りえなかったことについては著者の想像で書かれているが、「史実かどうかは分からないがこうではないか」という書き方をしている。
そして「黄巾の乱」へ
そして、第2巻の後半でようやく、「黄巾の乱」が起こる。
私は、今まで「三国志」の物語の始まりは「黄巾の乱」からと何ら疑問も感じていなかった。「三国志」とはそういうものと思っていた。
だが、著者は違う。何故、「黄巾の乱」が起こったのか。曹操の祖父、曹騰が「宦官」で子孫を残せないのに、何故、曹操の父、曹嵩を養子にすることができたのか。その疑問を調べることで「三国志」という物語に深みが増すのだと思う。そして、その態度が、真に「歴史に学ぶ」ということだと思う。
第3巻は、いよいよ「黄巾の乱」討伐である。
私も、しばらく「三国志」から離れていて、大まかなことしか覚えていないので著作を通じて、もう一度「三国志」を楽しもうと思う。
また、読み進めて、感想を書こうと思います。
【文庫版】三国志(全12巻)【著者:宮城谷昌光】は
文芸春秋社から文春文庫で出版されています。
「三国志」に興味のある方に是非、お薦めです。
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