いることへの評価

職場における、ただ「いること」への評価。
今読んでいる「マチズモを削り取れ」(武田砂鉄著)から印象に残った箇所だ。
簡単に言うと、「会議にいること」「飲み会にいること」「休日会社にいること」「緊急時、緊急的に職場に残ること」などへの評価である。

独身男女、特に男性の側に有利な評価であり、結婚して家庭がある場合でも、大概の場合女性には圧倒的に不利となる悪しき評価基準である。

と書いてはいるが、31歳独身男性である自分にとって、これまで大いに活用しようとしてきたものだと気づいた。
「一人暮らしで、ひまなもんで、使ってください」というようなセリフを、今まで幾度となく繰り出してきた。

自分では謙虚なおれの積極的な申し出、というふうに自認していたが、なかなかそういうわけにはいかない立場の人からすれば、これほど「うざい」ものはない。

飲み会やその他勤務時間外のコミュニティを評価につなげたいとは思わないし、これらから一定の距離をとってきたということはある。
こういうコミュニティにどんどん入っていって、恩恵(おこぼれ)に与ろうとするものは本当に多い。(若い男に多い印象、将来のマチズモ的管理職候補)

そのコミュニティの年長者や中心人物にとっては、可愛い後輩という名目で自分の取り巻きが増える事自体が気持ちいいし、「いいね、積極的で」とか適当に評価しておけばよい。

取り巻きにしてみれば、適当によいしょしておけばおごってもらえるし、評価も上がるし、これを人脈づくりだと勘違いしていることも多いと思うが、この閉鎖的なコミュニティあるいはその連鎖的なつながりが、多くの職場で「人脈」として人事評価にも機能しているのだろう。

自分としては、先に書いたとおり、こういっためんどくさいコミュニティからは一定の距離をとってきたけれど、(単にご機嫌取りができないだけ)勤務時間内のことを考えれば、同じ構造をとっている「いることへの評価」を獲得しようと常に身構えていたことに今、気づいたのである。

物理的に、未婚独身男性にとって、「いることへの評価」を獲得することは、圧倒的有利な立場にある。

実際、こういった立場の社員によって会社が大いに助かっている事例もある
だろう。(これらを一つ一つなくして改善していくことが必要だし、働き方改革ってことだと思う)

しかし、この個人的な生活環境により、社員間で評価が変わってくる、ということはあってはならないのがやっぱり原則だ。

問題は常に、「いた」時間や仕事の中身であり、それ自体ではない。

自分としても、「いること」が必要な仕事や場面に遭遇したとしても、それを評価につなげようとする意図について自覚的でありたいし、そうであることによって、手を上げる際に周りへどういう心理的ストレスを与えるかについても慎重になることができると思う。

「マチズモ」は嫌いだし、男性であるというだけでこれまで得られてきた恩恵(社会的不平等による搾取)について薄々とだが違和感を覚えてきた自分としては、社会的マジョリティだからこそ必要なアクションを起こしていきたいし、その責任がある、と自分に言い聞かせている。

しかし本当に、これまで自分が浸ってきたマチズモは、いたるところに空気のように存在しているなと思う。

いかに自覚的でいられるか、気付きのアンテナの精度を高めていくために、今後も質の高い情報を摂取し続けていこうと思う。

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