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あとでもやもやしない方をえらぶ

2024/05/15(水)

ここ2〜3週間、感情が激動の日々で日記を書く余裕もなかった。
特にゴールデンウィーク中は何をしても楽しくなく、何もやりたくない、という状態で。自分自身も、つくりあげてきた暮らしのことも、すべて気に入らずどうでもいいと感じていた。

それがピークに達して、寝たくも起きたくもなくてあまり眠れなかった夜が明けた翌朝、月のものがきた。前月もこんなふうに、その前あたりに落ち込んでいたのを思い出し、もしやこれもPMSの一種なのでは…?と気が付く。
学生の頃は、体も心も症状がほぼないに等しく、悩んだことなどなかったのに。今は初日は痛みでご飯も作れなく、UberEatsにお世話になっている。体はどんどん変化しているんだな。

実家に帰るタイミングも、思えばいつも時期が重なっていた。なんだか可笑しい。
体のサインに従って行動していたということかな。

最近は落ち着いてきて、日記も書きたかったのだけど何か忙しくしていたな。仕事が立て込んでる状態が続くと、忙しくするクセみたいなのが付くよう。量は減っても、前倒し前倒しでやっていくから終わりがなくなっちゃうんだよな。ハッと気付いて、そんなに焦らなくてもいいんだよ、と言い聞かす。そうじゃないと、依頼が途絶えない限り休めないからね。

今日は朝起きて、なんだか家にあるものでごはんを済ませる気分ではなくて。久々に朝のカフェタイム。
お勤め時代のほうが、休日によくこんなことをしていた。憩いを必要としてたんだ。

今でも、余裕がなくなっているときや節目のときなどに訪れる。静かで淀みない空気が流れている。
家の近所のカフェで、5,6年くらい通っている。私は勤め先をやめ、引っ越し、結婚し、フリーランスになった。でもここは変わらない。流れる音楽も、食器も、メニューも、空間も。
変わらないことはすごく難しい。決して必要以上には距離を縮めてこないあのお店の人たち(だからすごく良い)の、うちに秘めた静かな決意を感じられて、好きなんだ。

店内で食べるものの組み合わせは、私も変わっていないな。
ベーグルを4つほど持ち帰り、半分にして冷凍。これで8日分の朝の楽しみができた。

カフェでは、最近つくった自分のデザインを眺めていた。今度、大学のサークルの卒業生でライブがあって、昨日そのフライヤーデザインを幹事に送ったところだった。
ライブフライヤーはやってみたいと思っていたし、楽しそうなのでエイヤッと自分から名乗りを上げてみた。前はこんなふうになれなかったな。

学生のころは、批判されるのが怖かったり、自分より上手にできる人がいるからと必要以上に遠慮してしまうところがあった。今は、それは違うなと思う。やりたいと思ったことは、やるかやらないかだ。
仮にもっと上手な人がいて、「自分のほうが上手にできる」と思われたとしても、声を上げてそれを実際にやったのは私だ。そのことが何よりも大事で、あとはやり切るだけだ。そして「上手」の尺度は人によって違う。

そうは言っても、みんなの反応はもちろんとても気になって公開後はどきどきした。どのクライアントにデザインを送るよりも、知人のときが一番緊張する。
手応えは良さそうだったのでひと安心。そしてやっぱり、名乗りを上げてよかったなと思った。自分の得意なことで誰かに、特に知人に喜んでもらうことのうれしさは大きい。

帰って、数時間やることをやって、自分のターンのものを数ヶ月ぶりに一掃できた!早めに切り上げて、また散歩。
いつもお世話になっている雑貨屋さんに行って、気になっていた麦わら帽子をかぶったり、近況報告をしたりする。最近ビールラベルをデザインしたので近々持っていきます、と話すと、「かりそめさんの絵は、その場の雰囲気を伝えるのにとてもいい」というようなことを言ってくれた。

可能な限りその場所に行ったり、食べたり、自分が主観で感じたことを雰囲気に入れられるように努めているつもりなので、その言葉はそれを感じとってもらえているようでとても嬉しかった。

麦わら帽子は手づくりされたもので素敵だったけれど、購入するまで気持ちがグッと上がらなかったので今日はやめておいた。麦わら帽子、ここ数年ずっと探して夏が終わってしまう。帽子選びは難しい。
前は、カンカン帽のようなしっかりしたものがほしいと思っていたけれど、それはそれで、折り畳めてサッとかぶれるものでもいいなと思っている。行く行くはどちらも買うかもしれないけれど、取り急ぎ後者で良いものがあれば買っておいたら、ゆっくり前者のほうを選べる。
日除けは急務である。

家に帰り、できあがってきたレモンシロップでスカッシュをつくる。外は暑かったので、いっそう美味しい。ちなみに小さい瓶がライム、ジップロックの茶色いのは仕込んでいる味噌。食べられるのは引越し後かな。

仕事が落ち着いたので、ようやっと荷造りの余裕ができる。旦那さんは先々詰めていて、もう自分ができることはなくなってしまったらしい。
収納用具を整理しつつ、箱に詰めていく。仕分けしながら、今回いらないものは極力捨てる以外の方法で手放していきたいなと思う。なんでも捨てると、きっと自分がもやもやするだろうから。

最後に。先日実家に帰ったとき、父と母と3人で川沿いにある記念館に行った。近所なので、小学校の社会科見学で一度行ったところだった。当時はやはり面白みがなかったようで、あまり記憶がない。
今、旅行先なんかに行ってもその地の歴史資料館だとか、神社をまわるのが一番楽しい。この記念館に行きたいんだよね、と話したら父も最近同じことを言っていたらしく、じゃあ今日行こう、となる。

江戸時代からある、とても古い建物だ。三階建てもあって驚いた。
どうにもこういう日本家屋は胸がぎゅう〜っとなる。ときめく。次暮らす家はもっと新しい平成に建てられたものだけれど、私はこういう家での暮らしを諦められないな、と思った。

昔の人には、誇りと遊び心があるなあと思う。障子の格子や、柱にそういう気持ちがある。
大量生産にはない、使う人を楽しませてやろう、と張り切ってつくる姿が見える。とても良かった。二階と三階は特別公開のときにしか開放されないようなので、そのときに来よう、と約束して。




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