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誰にだって、仲間がいる。

この前雑草を抜いていて、思ったことがある。

それは、どんなに邪魔者扱いされようと、どんなに暴力を振るわれようと、地球上に生息する者は誰一人とも「決して一人ぼっちじゃない」ということだ。


「雑草を抜いてください」
それが労働の対価だったから、私は雑草を抜いた。
私も雑草は「排除すべきもの」として認識していたから抵抗はなかった(あぁ恐ろしい)。


でも、そんな雑草を守ってくれる存在がある。

例えば、みみず。
ある雑草を抜いた瞬間、みみずみたいのが出てきた。当然私はその周りの雑草を抜けなかった。

例えば、蝉。
蝉の死骸を隠すように見守る雑草に、私は近付くことができなかった。

雑草も、みみずも、蝉も、私から嫌われている。私どころか本当に多くの人間から嫌われていると思う。存在を否定されていると思う。


でも、どんなに嫌われ者だって、必ず自分を助けてくれる「仲間」がいる。


たとえ少数であっても、自分を守ってくれる存在があることに、私達は感謝すべきだと思う。人数の問題じゃない。そんなんただの見栄っ張りだ。実際本当に「ひとりぼっち」と感じ孤独で辛い時空を生きる中、たった一つでも灯が垣間見えた際には、本当に本当に安心したでしょう?その気持ちを忘れてどんどん「数」で頭をいっぱいにしないで。数はね、あとからついてくるんだよ。


この世の中を過ごしていると「生きづらい」「孤独だ」と思うことはまだまだある。なぜなら私たちの心はとても繊細だからだ。だから言葉や身振りをベースに人と比べてしまう。それに疲れて居場所を求める。あぁなんて生きづらい世の中だ。


けど、「生きづらい」ということだけに囚われないでほしい。それで価値観をいっぱいにしないでほしい。今いる場所から一歩踏み出した先には、温かい心の持ち主がその辺を歩いてるって私は知っているから。


自分の想いをすぐに諦めないで。
それが自分の本当の本気であるならば、たとえ何度叩かれたって、女の片手じゃ抜けないくらいに力強く根を張り、何度も何度も生えていこう。


尚、これは数に頭が縛られかけてる「私」に対する手紙である。

#日記 #コラム #エッセイ

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