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出来事は遠ざかり、感情は醗酵する。
時々、ありがたいことに「noteに書いていたあれ、よかったね」なんて言ってもらえることがあります。それから、自分でも「うん。これはなかなかうまく書けたかも」なんて思うこともあります。
どういうわけか、それって、過去のことについて書いたものが多いのです。最近の出来事や感情ではなくて、10代や20代の頃の物事について書いたもの。
若い時代の物事の方が、ポップでカラフルだからかなあと、最初は思ったりして、それもちょっとさみしいなと感じていたんですが、少し考えて、それはちがうかもと思い直しました。
もしかしたら、ありありと物事を書くには、ある程度の時間が必要なのかもしれないなと。高い木を見るにも、大きな湖を眺めるにも、海の広さを測るにも、きちんとした距離が必要なように、出来事の全体像を見つめるためには、必要な時間があるのかもしれないなと。
そして、大切な感情は、時間をかけた方が、よりくっきりとしていく気がするのです。煮詰められたジャムみたいに、醗酵していく果物のように、時間が、想いそのものを、際立たせてくれる気がするのです。
覚めた場所から見つめる出来事と、余分なものを含まない感情が、ただの「語り」を「物語り」に変えてくれるのじゃないかなと、思うのです。
そう考えると、今の私が抱える出来事や感情たちも、きちんと語ってあげるには、もう少し時間を置いた方がいいのかもしれません。それでも、こぼれてしまうものはそれにまかせて、いずれはもっときちんとしてあげられるかも。そんな風に思うと、人生が(おそらく)これからも続くことが、ますます嬉しく感じられます。
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