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002_惜春の昼下がり

徒然に物を書くって、難しいですね。

これまで書いたページを見直したら、自分が表現したいと思ったことがあんまり書けていなくて凹みました。ボキャブラリーが少ないという問題もあるのでしょう。ここにきて『徒然に』が玄人の技であることに気づきました。でも、めげずに書き続けたいと思います。

「言葉は使ってこそ」。

そして。
「惜春」の時期はきっと過ぎましたね(笑)。

もう、5月です。
まだ朝晩が涼しい日もありますが、昼間は日射しが強いので「初夏」ですよね。
でも、今の気持ちにぴったりだったのです。この言葉が。

先日の連休で実家に帰りました。
コロナ渦ということもあり、帰省は約1年ぶりでしょうか。
自家用車での帰省です。
今も新規感染者数が少ないという状況ではないので、最初は帰省しないつもりだったのですが、春先に亡くなった従姉の法事があるとのことで、悩みに悩んだ末に帰省することにしたのです。

従姉は41歳で亡くなりました。私のひと学年上です。
そんなに頻繁に連絡をとる仲ではありませんでしたが、中学校では部活が同じで「先輩」でしたので、それなりに思い出があります。個人的なやり取りこそあまりなかったけれども、突然この世から居なくなるなんて考えもしなかった大きな存在です。

本当に突然のことで、今も実感はありません。

遠方に住んでいて通夜や告別式に参列できなかったことが余計にそうさせているのかもしれません。それなのに、暇さえあればずっと従姉のことを考えてしまうのです。これからもうすぐ無職になるというのに、何だか気もそぞろになってしまって転職活動なんてする気になれずぼんやりしてしまうことが多くなりました。

従姉のせいにしてはいけませんよね。
それでも、地元から遠くに居れば、遠方に住んでいることを理由にすれば、きっとずっと従姉の遺影や位牌を見なくてすけれども、でも、やっぱりきちんと向き合っていないからいつまでもモヤモヤと従姉のことを考えてしまうわけで。。
きちんとお別れをしなければいけないのだ、と思いました。

それもあって、連休は帰省することにしました。

法事の日。
憎々しいほどの晴天で、涼やかな風が吹いていました。
お寺で初めて従姉の遺影やお戒名が刻まれたお位牌を見ました。
昼下がりからお経を聞きながら、ずっとお寺の天井の方を見ていました。
天井に弁財天のような、白くてふくよかな女人の絵が描かれていました。
その女人の絵をずっと目で追いながら、涙があふれてしまうのをこらえていました。
この世にこんな悲しいことがあって良いのかと思いました。

法事に参列して、従姉とちゃんとお別れできたかはわからないけれど、自分の上で一区切りついた気はします。
「私は私でしっかり生きていかなければ」と少しだけ前向きな気持ちで先のことを考えられるようになりました。転職活動を頑張らなければ。


帰省すると一応両親には会いますが、大抵は「ゆっくり自由にしなさいな」みたいに放っておかれるし、私も積極的に話しかけたりするわけではないので、毎回「なんのために実家に帰ったのか?」みたいな状況に陥るのですが、今回は何だか両親が妙に優しくて変な感じでした。両親は両親で姪を亡くしたわけで、思うところがあったのでしょうか。

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