自分を育てなおす
サバイバーであり神経症でHSPである自分を、育てなおしている。
別居してから1年以上が過ぎ、裁判での離婚成立からも半年が過ぎた。不機嫌や暴言・暴力に晒されることもなく、度々の怒りと不条理感を感じずにいられる「普通の日常」に少しずつ適応できてきたとは思う。
その「当たり前の普通」が、以前の私にとって「特別なこと」であった違和感なのか、理由もなく疲れてしまうことが多かった。だからと言って「以前の普通」に戻りたいとは決して思わなかったけれど。
戦場から平和な日本に来た人みたいなものなんだから、と友人には言われていた。やっと安全なところに来ても、後ろから銃を突きつけられるんじゃないかと、まだ緊張し続けている、そんな状態なのだから回復を焦るなと。
やっと今の生活に慣れてきたとはいえ、落ち着かない気分になることがある。約1年かけて慣れてきた「日常」とは異なることが起きた時に、感じる不安が尋常じゃないのだ。自分でも呆れるくらい些細なことでそうなる。
不安癖
例えば、この前の週末こんなことがあった。管理会社から家賃の督促がポストに入っていたのだけれど、口座振替で支払い済みだし通帳にもその記載がある。何かの手違いなのは明らかだった。だから別に焦ることは無いのに、連絡がつく月曜日まで落ち着かなくて不安でしかたなかった。
自動的に悪いことを考える変な思考になるのだ。この住まいを出て行かなければいけなくなったらどうしようとか、そこまで考えが飛躍する。
それも長く大変な結婚生活の後遺症と言えなくもない。元夫が甲斐性無さ過ぎで、あらゆる支払いの督促をされるということが頻繁にあったし、それはすべて私に丸投げされていたので、何とかしなくちゃといつも焦っていた。責任や問題があるのはいつも自分とされていたから、向こうのミスだとわかっているのに、それでも自分を疑い自分のミスなのでは、と考える。
自分に対する思い込み
それまでは、あまりに毎日が必死過ぎて、立ち止まると動けなくなるのがわかっていたから、無理やり不安に気づかないように動き続けていた。離婚までのことを考えてみてもそうだ。
自分の予定よりも早まったとはいえ、別居の数か月前から私は相談機関に行ってアドバイスを受け、物件を探して契約し、少しずつ荷物の運び入れや家財の配送も手配していた。せっかく動く決心をしたのに、立ち止まって考えると不安でたまらなくなるから、とにかく目の前の計画をこなそうとして。
考え始めると動くまでいつも時間がかかる。いったん動きを止めれば、また動けなくなると感じた。
相談員の人には、あなたのようにひとりで計画して準備を進められる人は稀です、と言われた。そこに相談に来るDV被害者は、相談と同時にそのままシェルター等に避難している人が多いそうだから、同じような被害の状態なのに、自分で計画的に準備している私のような人は珍しいという。
「とても論理的で客観的に落ち着いて話している」と感心もされた。私自身、いつも「しっかりしよう」「冷静でいよう」と頑張ってきて、それでもまだ足りないと思ってきたから、全くの第三者である他者からそう言われるのはうれしかったけれど、考えてみると「そうならなければいけなかったから」しっかりした人になっていただけ。
いつもそのように期待され、そうでいるように強いられたから、自分でもそういう人間なのだと、この歳まで思い込んでいただけだと今は思う。
自粛期間に気づいたこと
元々すぐに不安になる性質だったのだ。その不安や怖さも動揺も、力技で抑えて(そうでなければあんな環境で仕事も生活も回らなかった)なんとか過ごしていた。
余りにも長い間、感受性を押し殺して自分がどういう人間だったのか曖昧になっていたから、この自粛の期間、自分のことをゆっくり振り返る時間が(おそらくこれまでの人生で初めて)心置きなく持てたことで、元から持っていた性質が再び出てきたのだと思う。抑圧しなくていい環境の中で。
このひと月は、まるで記憶喪失の人が、かつての自分の情報を集めながら自分という人間を再構成していくかのように、「思い出すこと」に専念していた。自分が何が好きで何が嫌いか、できることとできないこと、何の制約もなかったはずの幼い頃はどうだったか。
そうした自分の内面を分析するみたいなことは、キツイといえばそうなのだけれど、でも私はそのままにしておく方が嫌なのだ。自分の手に取ってよく見て、わからないなら「わからないということ」を確かめたくなる。
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