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モラハラ・DV夫との離婚手順ーその11「その後の結論」

これを書いている現在、世界中が大きな災禍に見舞われています。外出を自粛し自宅待機や自宅勤務になり、DVやモラハラ、虐待の被害者が加害者と長時間過ごさなければならないことで、相談することも逃げることもできない状況になっている、と被害の悪化が懸念されています。



noteにまとめた意味

私は、これまで8年ほどアメブロで自分が日々考えたことや、自分の家庭のとんでもない状況について備忘録のように書き記し今も書いていますが、それは自分の精神安定のためだったり、吐き出しの意味合いが大きかったと思います。

ここで1~10までにまとめた文章はブログとは多少異なり、これから実際に別居や離婚に動こうとする人に、自分が体験したことを読んでもらい役立ててもらえるよう、具体的なことを書きました。

ただでさえ、不安定な精神状態の人が(仮に自分ではそう認識していなくても、長らくDVやモラハラのある家庭に暮らしていると、健康な精神状態ではなくなっています)やっと動こうと思えたときに、先にどんなことがあるのか、少しでも見えていれば、その不安が軽くなると思ったからです。

*実体験に基づいたことだけ書いたので、興味本位に読まれたり加害者側の情報とされないよう見る人をある程度制限するために、有料記事とさせてもらいました。それでどの程度ふるいにかけることができたかはわからないですが、いずれもっと良い方法を探し、自分と同様の体験をしている人に確実に何かを届けられるようになりたいと思っています。

「共存」ということば

ブログやSNSなどで交流している、モラハラ夫を持っている被害ツマの間では、よく「共存」という言葉が使われます。それは、離婚という決定的な決断をせずに、モラハラを封じ込める工夫を続けることで、夫婦として形を保ち一緒に暮らしていくということを指します。私がブログで出会った人の多くもその共存中の被害ツマで、その後別居や離婚に至る人もいますし、経済的なものやその他の理由で共存を続ける人もいます。

ブログを書いているこれまでの間に、私のブロ友さんの中にも別居や離婚に至る人がおそらく10人以上はでました。交流していた人が離婚を期にブログを離れたことで、取り残されたような複雑な気持ちになったことも何度かあります。

ストレスまみれの生活の中で精神的に疲弊しきったツマにとっては、離婚にしろとりあえずの別居にしろ、行動に移るということがかなり大きなハードルになっているので、自分の心身を守る対処をしながら暮らしていくことが、最低限の気力や行動力を回復するために、必要な段階になっているとは思います。

私自身も自分の家庭にモラハラやDVがあることを認識できてからも、なかなか行動に移せないまま何年も経って、「いつかは」離婚したいけれど共存でもいいのかもしれない、何とかやっていけると思っていました。

しかし、普通の夫婦ならしなくてもいいような「工夫」や「対処」を、延々と続けていくことが大半の人生で本当にいいのかな、と。

ブログにも何度も書いていますが、モラハラは単なるケンカや気持ちの行き違いではありません。経験していない人にはなかなか説明しづらく、わかってもらえないことも多いですが、モラハラは精神的に相手を破壊する暴力で、DVと同様な犯罪だと私は経験から思います。

私が長年そうだったように、モラハラだけでDVは無いと被害者が思っていても、それは本人が認識できていないだけで、身体的な暴力(恫喝や物を破壊することで威嚇することなどを含む)や性暴力(望まない時に性行為を強いられる、断ると報復されるので断れないなど)とセットになっていることが非常に多いと思います。

モラハラによって精神的な個人の境界を侵し、尊厳をないがしろにする人間が、身体的な境界や性的な境界は守っていて相手を尊重できているなど、まずあり得ないからです。

対処によって表面的な平穏が保たれていても、いつまたひどい状況になるかもしれない、という緊張は被害を受けた人の無意識のうちにいつも残っています。安心して暮らせるはずの「家庭」で、どちらかが死ぬまでそのような不自然な努力や対処をして暮らしていくことが、果たして自分にとって良い事なのか。

私は、罵られたり、馬鹿にされ蔑まれたり、時に掴みかかられたり殴られるような、そんな扱いを受けるために生きているわけではない。もっと人と心の通う話をしたり、穏やかな時間を一緒に過ごしたり、壁や家財の壊れた様子ではなく、もっと美しいものをみて毎日を過ごしたいと、そう思いました。

考えるきっかけ

明確にそう思えるようになったきっかけは段階的にいくつかありますが、そのうちの大きな一つは、私が住んでいた地域に起きたある天災でした。

私が生まれてからそれまで経験したことのない、何日にもわたる停電と断水によって、子どもの学校も休校、仕事も休業を余儀なくされました。その状況はある意味、いまの状況と似ています。規模は小さく期間ももっと短くはありましたが。

自営の仕事で夫が家にいる時間は日ごろから長かったため、普段から仕事と家事に忙殺されて(合間には夫のモラハラやDVがあり)自分の生き方や本当の感情など考える余裕はほとんど無かったのが、その天災の時は仕事ができない状況だったことで、逆に時間がありました。

休業期間が数日だったことと、自宅も職場も損壊の被害を免れたことで、(元)夫のいら立ちはそれほど無かったのが幸いし、私はひとりでじっくり自分と向き合う時間ができました。

考えもしなかった天災が起きて、いつどうなるかは本当にわからない。もし明日死ぬとして何をしたいか考えたときに、私が家庭の中で経験したことは、もし夫が変わったとしても消えないし変わらないし、もうこの人とは一緒に居たくないと思いました。もしも短い間だとしても、死ぬまでには自分らしい人間らしい生活を送りたいと。

今回の大きな災禍によって、より過酷な状況に置かれているひとが、1分1秒でも早く援助に繋がってくれることを願っていますが、普段モラハラやDVのある家庭だけれどいま差し迫った危険に無い(と自分では思っている)人も、このことが意識や行動を変える何かのきっかけになってほしいと思っています。


殴る男と殴らない男

別居を考え始めたころに、知人友人(男性)数人に、女性を叩いたり殴ったことがあるかと尋ねたことがあります。いずれも「無い」という回答で、殴られたことがあるの?!と逆に驚かれました。

『女性に対し腹が立って手を挙げたいと思ったことはあったけれど、しなかった』という人に、なぜしなかったかを尋ねたら『(自分より弱いものに)手を挙げたら負けだと思った』という答えでした。

自分の怒りを適切にコントロールできないこと、(その人の場合)自分を怒らせようとして敢えて嫌なことを言ってきた相手にそういう行動をすることが、自分自身と相手のどちらに対しても「負け」だと感じて、したくなかったからだそうです。

『世の中には、殴る男と殴らない男しかいない』と、以前誰かのエッセイで読んだことがあります。殴る男は一時的にしない期間があっても、殴れる相手や状況があればやっぱり殴るし、殴らない男はいつでも殴らない。まともな大人の男性は、してはいけないこと、したくないこと、を考えて自分の感情と行動をコントロールすることができるのです。

加害者は変わらない

モラハラやDVをする男性は、根本的には変わりません。こちらの対処で行動を変えるように誘導できたとしても、精神性はそのままなので、できる状況になればまた同じことをします。

私の元夫も裁判の最後まで自分の非を認めることは一切ありませんでした。調停や裁判の過程で、その場しのぎに謝罪しながらも「でも、言うことを聞かないツマが悪いのだ」と言い続けました。挙句に私が病気であるとか、精神的におかしい、という主張までし始めました。結局、自分の保身しか考えず、自分が何をしたか、何で訴えられているのか、全く自覚できていない(自覚から逃げている)ということです。

加害者プログラムなどで専門的なカウンセリングを経なければ、そのような人は変わらないし、受けたとしても行動を変えることができる男性はごくわずかです。本人が本当に変わりたいと思えなければ不可能で、一般的な夫婦喧嘩のようにツマが夫をうまく扱えばいいとか、そういう次元の問題ではないのです。


私なりの結論

何を幸せと感じるかや、どんな人生を選ぶかは、そのひとの自由なので、今すぐ別居・離婚するべきだとは言えないし、「離婚しなさい」「何で一緒に居るの」ということばが、長年の共存で傷んでいる人を、より追い詰められた気持ちにさせてしまうことも知っています。自分がそうだったので。

でも私自身が以前「この人生は自分が選んだのだから仕方ない」「自分が犠牲になってもこの家庭を保たなければならない」と思っていたのは、モラハラやDVによって精神をコントロールされて、自分を見失っていたからで、私は一度選んだものを変えてもいいし、自分の身を守っていい、安心と安全が人間が生きる上で最低限大事なものと思えなかったから、その結論になっていただけで、私の本心ではありませんでした。

本当の意志を取り戻すには、加害者と離れた十分安心できる環境と時間の両方が必要です。モラハラやDVのある環境に長く居ると、どんなにひどい奇妙なことにも慣れてしまいますが、その環境では自分が何を考えているか感じているか、ほんとうのことが見えづらくなっているはずです。そして離れてみないと、そのことに気づかないのです。

私は別居の提案は夫にしましたが、きちんと取り決めをして家を出たわけではありません。もう限界、と感じたある日に突発的に家を出て、結果としてそれから二度と戻らないまま調停・裁判を経て離婚に至りました。

まとめ

家を出てから住んでいるアパートでの暮らしも1年が過ぎました。ここで子どもと過ごしていますが、物が壊れることも怒鳴り声も舌打ちもなく、とても静かで落ち着いた生活です。

緊張したり怯えることなく話しながらご飯を食べ、それぞれが邪魔されずに好きなことをして食後の時間を過ごし、自分のベッドで安心して自由に寝返りを打ち眠ります。(共存していたころ、夫が寝ている方へ背中を向けるように、いつも同じ方向へ向いて緊張して寝ていたので、半身に不調がでていました)

買い物や外出も帰宅時間を過度に気にすることなく、調味料や洗剤は好きなメーカーのものを自由に買い(どこのメーカーのものか、という些細なこともモラハラやDVのきっかけになりました)自分の服やアクセサリーも予算内で気に入ったものを気軽に買えるようになりました。

普通の人の普通の生活では当たり前のことが、以前の生活では当たり前ではなく、元夫の独善的な謎のルールに縛られていました。

すべての被害ツマは、麻痺している場所から離れて安心して考えられる環境に一旦身を置き、自分の感情と意志を確認することが必要です。自分がどれほど傷んでいたか実感してそれをケアすることが必要です。離婚や別居やその他具体的なことは、それから考えればいい。

やっぱり人間は幸せを感じるために生きていると思いますし、誰かのために犠牲になったり我慢するばかりなら、それは辞めてもいいし、犠牲を強いてくる関係や相手からは、離れたほうがいいと私は思います。

家庭で危険を感じている人は今すぐ離れられる方法と繋がりますように、また対処共存中の人も、普段と違うこの状況のなかで考えを深めて、自分を見出せますように。



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