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播磨陰陽師の独り言・第489話「おさか」

 前に門司港のことを書いたので、以前に住んでいた大阪のことについても書いておこうと思います。
 皆さん〈大阪〉をご存知ですか?
 もちろん知らない人はいないと思います。しかし、大阪の元々の地名を知る人は少ないと思います。
 古い地名を探ってみると、実は〈おおさか〉ではありません。ひと文字少ない〈おさか〉でした。漢字では〈逢坂〉と書きます。皆さん〈おおさか〉だと思い込んでいませんでしたか?
 この名前で呼ばれたのは戦国時代のことです。やがて地名は〈大阪〉と変わりましたが、読み方は〈おさか〉のままでした。それが文明開花が起こり、わが国に国鉄が通った時のことです。
 列車が大阪駅に到着すると、
「おぉさかぁ、おぉさかぁ」
 と抑揚をつけて駅名を連呼したところ、それが流行った訳です。
 そのことが原因で、いつしか〈おおさか〉と呼ばれるようになってしまい、皆、〈おおさか〉が正解だと思い込んでしまったのです。一度、思い込んでしまったものは、もう、直しようもありませんね。
 確かに駅のアナウンスでは、
「おぉさかぁ、おぉさかぁ」
 と叫んでいます。

 さて、大阪には様々な区があります。しかし、かつて大阪には〈西成〉と〈東成〉しかありませんでした。大阪城を中心に東西に分かれていたのです。それが明治に入って北区や浪速区など細部に分かれて現在に至る訳です。だから今でも〈旧西成区〉と地名が残っているのです。
 江戸時代の文章に、
——福助は西成の人なり。
 とあります。
 福助足袋でお馴染みの〈福助さん〉は実在の人物です。しかも西成の人とあります。しかしこの西成は、今の西成区よりも広いため、どこら辺りかは分かりません。
 また、江戸時代に飼い主の娘を助けた猫のために塚を建てた記録も残っています。猫のため……と言うのが珍しいですね。こちらも西成にあったと言いますが、こちらは今の西成区太子町にあったそうです。残念なことに空襲で焼けて今はありませんが……。

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