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播磨陰陽師の独り言・第476話「世界四大文明のこと」

 子供の頃、学校で〈世界四大文明〉と言うものを習いました。チグリス・ユーフラテス川流域のメソポタミア文明、ナイル川流域のエジプト文明、インダス川流域のインダス文明、黄河・長江流域の中国文明のことです。しかし、この四大文明、日本と中国の一部でしか言われていないのです。多くの世界では通用していません。
 四大文明はだいたい五千から一万年前に発生した文明です。学校で習った時は、
——世界で最初に発生した文明。
 と言うようなことを言っていました。これを習った頃は、まだ、縄文時代のことは原始時代のような感覚で捉えられていたようです。
 しかし最近の学説では、縄文時代は立派な文明を築いていたことが分かり、たくさんの証拠が出て来ました。
 諸説ありますが、縄文時代は一万六千年から四万年に遡る文明です。当時の遺跡から、粘土板を指で押さえて使う計算機が出土しています。最も古い建物の遺構も、現代建築の工法と大差のないものが発見されています。建築には正確な計算と、寸法通りに木材を加工する技術が必要になります。
 縄文時代は平和な時代だとも言われています。人と人とが戦った跡が出土しないのです。誰かに殺された遺体も発見されていません。この平和な時代が一万年以上も続いたのですから不思議としか言いようもありません。
 さて、我々の播磨陰陽道では〈縄文時代は物部もののべの時代だ〉と定義しています。物部は一族の名ですが、そう言う苗字を意味している訳ではありません。藤原氏や蘇我氏なども物部の一族なのです。
 その頃は〈神道〉の時代でした。まだ神道と言う言葉はなく〈かむながらの道〉と呼ばれていました。やがてわが国に仏教が入って来た時、神道派と仏教推進派との間で大きな戦争がありました。聖徳太子と物部守屋公間の戦争です。この戦いに勝利した仏教推進派によって、大阪に天王寺が建立され、本格的な仏教の時代に入りました。
 この時、物部の一族は滅びました。しかし、日本人の心の中に物部らしい道徳感が残りました。そして物部を恐れるあまり〈祟りの概念〉がわが国に生まれ定着した。
 昔からわが国には〈負けるが勝ち〉の気風があります。滅びた筈の物部も、平家ですら、未だその思想が生きています。そして第二次世界大戦に負けたわが国は、どんどん文化を世界に輸出して、負けるが勝ちの世界を創って行くのです。

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