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祈りのカタログ・第三十話「時間の中で変化するもの」

 霊現象を体験すると言うことは喜怒哀楽を刺激するある種の楽しみでもあります。これを行うと言うことは、心が刺激を受けると言うことになります。刺激のない状態が続くと、人の心は変化しなくなります。ただ変化しないだけなら、それはその方が良いのですが、現実はそう言う風にうまく行くことにはなりません。すべての変化をしない物事は心に限らずどれでも同じで、時間と共に衰えて行きます。
 たとえば、ここに窓ガラスがあったとします。見ていても窓ガラスは変化しません。と言うか変化すると考える方がどうかしているようにも思えます。ですがその変化しない筈のガラスも百年くらいすると徐々に変化し続けていて自分の重みで下の方へ落ちて行きます。
 洋風の古いお屋敷の窓ガラスは、微妙な屈折をしていて、ガラスを通して見た世界はレトロな感じがします。これは窓のガラスが長年の目に見えない変化をとげて下の部分がより厚くなり、その分、上の部分が薄くなっている結果なのです。
 厚みが違えば光の進み方も変化します。ですので微妙な味わいが出ているのです。ただ時間の感覚が違っているだけなので感じることはありませんが、すべての物事は時間と共に元の形状から崩壊へと向かっています。
 時間の感覚は物体の構造や重さや大きさによっても少し違って来ます。これは生き物でも同じことです。
 人と、たとえば蜂はかなり大きさの違う生き物です。人には高速で羽ばたく蜂が、空中を自由にそして速い速度で飛んでいるように見えます。しかし、蜂の方にはどう見えるのかと言うと、人はゆっくりと動く巨大な生き物であると言う風に見えるそうです。
「この世には恐ろしくゆっくりとしか動かない、巨大な生き物がいる」
 彼らの感覚ではそんな感じですか?
 そしてかれら蜂は空中を泳いでいるのです。蜂の大きさだと、空気は人にとっての蜂蜜くらいの粘度があるそうです。蜂はその粘りっこい空気の中をゆっくりと羽ばたいてただ単に泳いでいるのです。

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