10月20日塾で働くこと

10月も下旬 受験シーズンまでもう3ヶ月

自分が受験生だった頃を思い出す。秋の心地よさと、夕方の日の落ちる速さのギャップに焦燥感をおぼえ精神的にキツかったような、そんな時期だった気がする。

塾には色んな子が来る

受験のために通う子も学校で良い成績を取りたい子も。ただ一つ同じところがあるとすれば、通う前より成長していることが望まれているところだろう。こどもより親の方がそう思っているはず。

時々思う 何のために良い成績を取りたいのか

もちろん答えは単純で、「将来のため」であろう。少しでも賢い学校に通うこと、少しでも良い仕事につくこと。それが圧倒的正解だと思われているからだ。

わたしは塾が嫌いだ

塾は格差社会の象徴だと思っている。

かく言うわたしも、塾に通った。親に多額の投資をさせた。しかし、期待通りの結果にはならなかった。

それは当たり前であるが、塾に通えば頭が良くなるわけでは無いからだ。

塾は様々な技を授けてくれる。でも、その技を使うためには基礎体力が必要だ。わたしにはその基礎体力がなかったように思う。

ここに現代教育の問題点を感じる

わたしは小学校低学年の頃、あまりにも勉強ができず、塾に行くよう母親は担任から言われたそうだ

わたしの母は日本で育っておらず、父は仕事で忙しく家庭では誰もわたしに教えられなかった。

そこで進研ゼミのお力を借りたわけだが、そこに成果があったかどうかはあまり定かでは無い

そのあとなんだかんだで大手進学塾に通い、中高一貫校に合格する。周りはとても優秀であったので、またしてもわたしは、成績が伸び悩んでしまった。

テスト勉強1時間でわたしの3日分の成果を上げてくるような人が平気でいたのだ

わたしが中高の時に成績が伸び悩んだ理由を大学生になって悟った

それは学校が勉強の仕方を教えなかったからだ

勉強の仕方なんて教えてもらうものでも無いのかもしれない。自然と身につき自然とその人に合ったものが見つかるのかもしれない。

わたしは「勉強の仕方」こそ学校が教えるべき事柄で合ったのでは無いかと思う。

わたしは勉強の仕方がわからなかったから苦手がずっと残ってしまった。その苦手に気づいてくれる先生にもしばらく会えなかったのだ(わたしが勉強を出来ないのは努力をしていないと思われたからだ)。でも、勉強が好きでも、勉強のやり方がわからなければ時間だけが消費され、わかりやすい点数には現れない。学校は点数で生徒を評価し、点数が伸びないのはその生徒の努力が足りないからだとする。違う、勉強のやり方がわからないという初歩の初歩でのつまずきがあるのだ。

塾講師となり、初めて教えた生徒のひとりの話をする

その子は共働きの両親のもとで育ち、両親はその子が過ごしやすいようにタブレット端末を与えていた。その子は、そのタブレットで動画を見ることでひとりの時間を埋めていた。結果として、その子は読解をする力がかなり身につかずに成長してしまった

初めて会った時、本当に驚いてしまった。わたしが担当したのは算数であったが、問題の意味が掴めないので何を教えても身につかない、いや、身につけれられないのだ

小学校の先生はこの子のこの事態をただ、成績が悪い子として片付けてしまったのだろうか。何をしても出来ない子として片付けてきたのだろうか。

その子は自分への自信など1ミリも持てなかった

しばらくすると、その子は勉強の仕方がわからないことがわかった。そしてわたしの最初の仕事はその子にあった勉強法を編み出すことだった。

その子は結果として成績を伸ばし

志望校に合格した

わたしのおかげだとかそういう話ではない。その子はその後もしばらく塾に通ってくれていた。その時の様子はまさに勉強を楽しんでいる様子だった。できることが増え前向きになっていた。

本来これは学校の先生が

その子に教えてあげるべき喜びだったのではないだろうか

その子は、塾に通う余裕があった。しかし、もしその子が塾に通えなかったとしたら、どうだろう。その子はいつまで読解力がないまま、学習を続けていけるのだろう。勉強は自分にとっての敵になるかもしれない。自分に自信が持てずに成長していくだろう。

世の中には塾に通えない子がたくさんいる

そんな子たちは、いつどうやって勉強を心得ていくのだろう。

何も秀才になって欲しいとかではない

生きていく上で、勉強によって得た知見は少なからず有効であると思う。

いや、世の中がまともになっていくためには一人一人が自分の考え方をそれなりに持っている必要があるはずだ

そのために、勉強が必要であるとわたしは思う

しかし、そんな生活に直結した能力も、格差社会に飲み込まれ格差社会の再生産の中で翻弄されている。勉強の仕方がわからず、塾にも通えなかったら(通えたとしても)自分は勉強ができないと信じ込んでしまう。勉強の才能がなかったのだと。

世をより良く生きていくために必要なのは点数ではない。成績でもない。教養だと思う。知的好奇心がくすぐられることだと思う。何かを知りたい考えたい、ちょっとしたことで変わっていくものだと思う。そして、義務教育という制度がある以上誰でも勉強は避けて通れない。全員がある程度の教育を受ける権利があるのだ。その中で、いかに世をされるかが学校教育の鍵なのではないだろうか。

教師の負担が増える中で一対一で向き合い解決していくのは難しいと思う。だからこそ、塾の有用性は否定できないところに来ていて、わたしはそのおかげで収入を得ている。

でも、学びたくても学べない そもそも学び方がわからない そんな子が減っていけば未来は明るいような気がする。







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