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独身ひとりっこの介護、スタート

「いつか来る」とは思っていたが、ついに来た両親の介護。

私には7つ上の姉がいたが、25年前にスキルス胃がんを突然発症して36歳の若さで、ダンナと幼子2人残して他界した。
その日から「いつかは両親の介護&看取りをひとりでやるのか・・・」とウツだったが、忘れたフリをして日々自分のことだけを考え、お気楽に過ごしてきた。
が、、、突然その日は来てしまった。

2019年の暮れも押し迫った12月29日。
88歳の糖尿持ちの母が3カ月ぶりにかかりつけ医に定期検診に行き、数時間後。いきなり医者から私に電話がかかってきた。
「あんたのお母さん、心臓が動いてないよ!」
(・・・ん? 心臓悪いなんて初耳なんですけど?)
理由はわからないが、徐脈というやつで1分に30回しか脈を打っていないという。
「普通の人の半分くらいで、今すぐペースメーカー入れるべきなんだけど年末だし。年明けて4日になったらすぐ医療センター行って!」
おじいちゃん先生は電話のむこうでヤケのように大声で言った。

うちに帰ってきた当の本人は「ぜんぜん普通」というので、そのまま置いておいたが、大晦日に「食欲がない」「気持ち悪い」というので、救急車呼ぶか悩んだときに電話するところに電話して相談したら「今すぐ救急車を呼んでください!」と言われ、救急で医療センターに。
そのままペースメーカーの手術となった。

母は3年前から糖尿だったので、私は食事内容についてはガアガア言っていたが、「食べたいものしか食べない・嫌いなものは食べない」母はまったく言うことをきかず、「じゃあ食べない!」といって、食事の量の減らしていったので、体重が10キロも落ちてしまっていた。
「がんとかじゃなくて?」
と気になっていたが、毎月の血液検査で医者は「血糖は異常なし」と言っていた。だからまさか心臓に何かあるとは思わなかった。

母は2週間して退院してきたが(本当は1週間で出られたが、私がコロナじゃない原因不明の熱が出たので治るまで病院にいてもらった)、今度は異様に食が細くなっている。
「病院の食事がまずくて、半分以上食べなかった」というが、それにしても猫くらいしか食べないのはどうなのか・・・

心配になり、2月にまた病院に。今度は胃の検査でカメラを飲み、その結果は3月1日、母の88歳の誕生日に出た。

女医は画像を見ながらサラッと言った。「胃がんです。スキルスですね」

(えええ!! 姉と一緒やん!!・・・ということは、この人の遺伝子だったのかも。てか、スキルス、進み早いやん! えーーーせっかく大晦日に命拾いしたのにーーー! か、大嫌いな父が最後に残るの??? それも困るウーーーー!!)
と、私は内心大パニック。

女医さんは「もう88だから手術も抗がん剤もねぇ。緩和がおすすめです」とサクサク。
姉が内臓の何割も手術でとって地獄を見たので、うちは「手術はしない」のは賛成だが・・・
「緩和ケア病棟、今、コロナで閉鎖中なんで、家で訪問看護でね。もし大変になったら普通の病棟に入れるけど、今、コロナなんで面会はできなくなっちゃうからね」と女医さん。

(えーーー、面会できないのもかわいそうだから無理だけど、がんてどうやって死んでいくの? それ、うちでできるの? マジで? 私、できるのーーー??? ガクブル!!)

ガクブルしながら、とりあえずいきなり両親の介護に突入。父はまあまあ動けるが、家事は何一つしない昭和ヒトケタの88歳なので、両親の生活のすべてを見ることとなった。
料理もろくにしないで50代になった独女の私。
まずは毎日仕事をしながら、3食の献立を考え、買い物をし、苦手な料理をするだけで四苦八苦。
「世間のワーママ様とかシングルマザー様とかって神じゃない??」と思う今日この頃。
そして、「死に行く家族がいる状況」のウツと戦いながら「誰でも親は死ぬものだから」と自分を納得させている。

&地域包括な時代になっていて良かった!
「どうしたらいいんですかーっ」とケアマネさんとかに聞ける状況なので、ありがたい。。。

とはいえ、すべてが初体験。
後悔のない日々になるようnoteに記録を綴っていこうと思う。。。