他人の不幸は蜜の味なんて言うけれど

 職場で同僚が陰口を叩かれているのを目にすると、どうしても他人事とは思えない。何故なら、自分もそんなふうに言われているのかもしれないからだ。被害妄想だと言い捨ててしまえばそこまでなのだが、バイト先での勤務日を週3日に減らされていた時期がある身としては、他人が言われているのであっても、自分が言われている気分になってしまう。それに、他人が何を考えているのかなんて、わかりはしない。自分の考えを包み隠さず表明するような者は、めったにいない。私はある意味、他人の目に怯えているのだ。

 よく、他人の不幸は蜜の味などと言う。私にも人並みに他人の不幸を願う気持ちはあるし、実際にそうなのだろうと思う。しかし、一度でも辛酸を舐めれば、そのようには思わなくなる。むしろ、他人の不幸も自分の不幸のように感じられてしまう。その典型が、冒頭の他人の陰口を自分のことのように感じてしまうというやつだ。

 私は何故こうも他人の目を恐ろしがっているのか? 他人に関心は無いと自覚しているのに、どう思われるかだけは気にするのはなぜか? 他人への無関心は所詮、思い込みに過ぎないものだったのか? 結局、私は他人から自由になることが出来ていない。

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