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12月19日 座談会 緊急番外編!part1

番外編を行なった経緯(山本伊等より)

僕らはいま、2月のTPAMフリンジに向けて、ワークインプログレスを準備を進めている。12月18日、僕と安瀬さんと小野寺の三人で、そのためのメインビジュアルの撮影を、井の頭公園で行なった。もちろん色々な試行錯誤があったものの、公園に到着してから2時間程度で、安瀬さんが自分の絵を川の中に沈めた写真を撮ったことで撮影は一応終わった。これが元のビジュアル案だ。

メインビジュアル (1)

水しぶきに、タイトルを書いただけの荒っぽさが、僕が今回作品について抱いているイメージと繋がるな、と思った。正直なところ、TPAMのエントリーフォームの締め切りが前日に迫っていて、はやく完成させなければと焦っていたし、その焦りももちろんここに表れている。
しかし深夜、安瀬さんから、「このままじゃ、強度がある作品はできないと思う」と、ラインが来た。

スクリーンショット 2021-01-04 2.05.31

安瀬さんは電話のなかで、「このままじゃ、若い人たちが集まって喋ってるだけになっちゃうよ」と言った。「いい作品にならないと思う」とも言った。

おれ(ここでは「おれ」と言わなければならない)は結構やばいなと思った。これまで、対面稽古ができず、オンラインによる話し合いのみでNO PROGRESSは進んできた。そこでは否応なく、画面という距離が生まれ、発言も遠慮がちになる。それゆえいつも記事にする話し合いは、3時間以上続くこともザラだ。制作を自らの問題として引き込まないと、僕が書いた戯曲について、各メンバーが作ってきたものについて話すのは難しい。やばい。と思って、おれはすぐラインして、次の日、日付けをまわったころ、緊急で話し合いを行なった。
今回は、その様子です。

12月19日 座談会番外編

安瀬:おれ今回、仲間に入れてもらうにあたって、なるべく自分の経験を持ち込まないで、真っさらなままで行こうとかっていうことを考えてたんだよね。でもそうすると、探っちゃうんだよ。「この人たちは今までどういうことをやっていて、どういう関係性で、そこにおれはどうフィットしていけばいいか?」みたいな方に意識がいっちゃうんだよね。現代格闘家のなかに、昔の、肉殴ってた時代のボクサーが入っていく、みたいなことになっちゃって。これって意味ねえなって思ったわけ。昔のボクサーは昔のボクサーとして参加しないと意味がないなって思っちゃって。そういう遠慮が自分のなかにあったなと。「これ言ったらこの人に嫌われるかな」って考えちゃう。それがもしあるんだったら、「面白いもん作れるはずねえよ」っておれが思っちゃった。昨日、かれら君と電話したけど、やっぱり遠慮があったと。できるだけメンバーの生活を殺したくないっていう。おれもそう思う。
自分が見たいと思うものはどういうものかって考えたときに、無理する部分もないと、作品に向かっていくには強度が弱いよなっていう感じ。
かれら君が前に『配置された落下』をやって、次は前と違うことやりたいっていう話を聞いたんだけどさ。おれはツイッター開いたときに見るツイートと見ないツイートがあるんだよね。おれ、かれら君のは見ちゃうわけ。そうだよね、そうだよね」って思う。
そういうのがおれに蓄積されてるから、「かれら君はもっとやりたいことがあるのに、ちょっとセーブしてんじゃないの?」って、おれの中に疑問があって、昨日ちょっと電話してみたわけ。そしたら、そういうこともなくはないと。「じゃあ遠慮しない方がいいよ!」って。

かれら:まず、戯曲を書くうえで遠慮していたわけでは、全然ないです。
でも何だろ、安瀬さんが「今のままだと、若い人たちが集まって喋ってるだけになっちゃうよ」って昨日言っていて、そういうことはnoteの購読者数とかとも直結するなって思ったんですよ。これはzoomだからしょうがないよっていうのも、今はいけないんだろうなっていうふうに感じてます。「対面で稽古できないからしょうがないよ」っていうのは言い訳にならないなと、じゃあどうしたらいいかなって考えてたんですけど。

安瀬:おれは、購読者は気にしてなくて。まず自分たちが「これ超面白いじゃん!」っていうものができれば、もう最高だと思ってる。
収入はあったらあったでもちろん良いんだけど、それでお客さんが少なくたって、「おれら超面白かったよ」って思えれば、それで成功だと思ってるんだけど、そこに至るのにもっともっと行けるんじゃないっていう感じ。
作品の強度が足りないっていうとちょっとネガティブになっちゃうけど、もっともっと外していけることがあるんじゃない?
たとえば、じゃあワンシーン作ってきて、面白かったら採用しようよみたいなのを例えばやるって考えたときに、あれ?って思ったわけ。おれたちの関係性、うわべはわかるよ、さらっとは。だけどなんか「色」が分かんないなって思ったわけ。それぞれの凸凹がまだ全然見えないなって思っちゃった。これどうしたらいいだろっておれとしては立ちどまっちゃった。
かれら君は、それぞれの色を大事にしたいって昨日話してたけど、おれはその色、全然まだ出てない気がした。まあじゃあどうするかっていうのは別にないだけど、単純に現時点ではそう思ってたんだよね。
端的に言うと、喋らないと何考えてるかわかんない。おれは話下手だけど喋ろうっていうのがあるわけ、バカをさらけ出すことで何か伝わるっしょ、みたいな。

かれら:他の人がどう思っているのかっていうのもちょっと聞きたいですね。関係性っていうことで言うと、僕とメンバー各々はまあまあ知り合いだけど、そんなに話したことない。たぶんロビンと山本さんとか、おれは保坂(和志)さんのイベントとかでたまに会ってると思うんですけど、どのぐらい喋ったことあるのか、僕は分からない。

山本:あんまり直接話したことないね、多分ね。

かれら:僕はあんまり何も考えないでワーってただ集めただけなんですけど、遠慮っていうか、こうやって話し合ったり、それから作ったものについて喋ったりする時の話しづらさみたいなものが取れてないなら、

安瀬:や、分かんない、そこがどうなんだろうって。

かれら:取れてないなら重要な問題だと思う。
例えば僕とロビンは同級生同士だし、小野寺とは一緒に住んでるから、ここ以外でも四六時中このNO PROGRESS の話をしてる。
例えば小野寺が震災のこと書いてたけど、「お前、いつも政治の話してるけど、違う話してるときの方が圧倒的に面白いこと言ってるよ」とかそういうことを喋る、それをまだ全員で集まったときにできていないような感じ。もしノってる感じがみんなにあるなら、それは今このタイミングで、一回考えた方がいいかなっていうのはありますよね。
今回、このプロジェクトでは、各々が作った作品について話し合ってますけど、そもそも人の作品について何かを言うってこと自体がとても難しいことだと思う。僕は、そこに対する遠慮の無さが必要だなと思ってる。自分の言葉で言うとプロ意識を取っていくっていうか、僕の知り合いとか友達の中で作って、どんどん言い合って、エゴがぶつかっていく方が重要だと思った。

安瀬:昨日かれら君が言ってて面白かったのが、本気の学園祭だっけ?

かれら:作品をつくるときのイメージとして、「マジ文化祭」みたいになればいいなって。

安瀬:おれもすげー同感する。でも昨日話してたら、劇団としてみんな所属してるんじゃなくて、自分が声をかけて集めた人たちだからちょっと遠慮っていうか気遣いはあるっていうことを言ってて、おれはそれは絶対必要ないと思う。何かを作るってなったらそこはいらないんじゃない?

小野寺: zoomで話しにくいとか遠慮があるっていうよりは、前回の『配置された落下』の稽古と比べて考えると、早稲田の稽古場に森健さんが作った曲を持ってきてくれたときは、稽古前に流している別の音も聴いたり、「こういうパソコンのプログラムでやるんだ」っていう会話をしたり、今読んでる本の話もしたり、そういう周りの情報があった上で曲を聴いていたから、コメントするためのフックが多かった。
だけど今回は、zoomなので曲だけを聞いてコメントすることしかできない。だからあまり立体的に考えられなくて、うまく言えないみたいなところが私はあるな。
リアルで会ってると、直接的には関係ない情報もあった上でそこに臨めた。zoomだから遠慮してるっていうよりも、フックが少なくてうまくコメントできなかったのだと思う。
制作っていう立場で言うと、支援金のこととかお金のことも時間をかけてもやってるし、翻訳のこともずっと打合せしてきたから、NO PROGRESSが全く進んでないみたいには思わないかな。
時間をかけてるっていうのは、やっぱりかれら君の文字起こしもそうだけど、直接この作品の中身には関わらないことで、生活の中のかなりの時間をNO PROGRESSに割いてるという実感はある。
全員が同じくらい時間使ってやればいいということじゃないけど、かれら君は一人でやってるっていう意識が強いんだろうなっていう気はする。

安瀬:文字起こし前提だと、ちょっと構えちゃうとか、余計な話がでてきづらいのかな?
その余計な話って、おれは結構興味あるんだけど、そういうこともあるのかなってちょっと思った。

かれら:うん、そうですね。僕が記事作ってる感覚でも、なんか安瀬さんだけが全く違う話ししていて(笑)、それが面白いっていうのはある。
京大の大学院の友達がいるんですけど、そいつが購読してくれて毎回読んでて、で何かやっぱ「安瀬さんってこの人なんかめちゃくちゃ凄いな」って言っていて。
それは安瀬さんの無駄話の多さ、適当にどんどん喋る安瀬さんの性格、自分の中で熟考してから意見するっていうタイプじゃなくて、何かとりあえずバンバン出してこう、みんなの琴線に触れるものを、トライアンドエラーでやっていくという意思をすごく感じます。

安瀬:このツラで黙ってたら怖いじゃんと思うわけ(笑)。だからなんか喋ろうって。
一応、日本だから年上とか気にしたりするんだろうなって思うし、年上でこの面の奴が黙ってたら、ちょっと怖いよなっていうだけの話なんだよね。文字起こし見たら何も内容ねえなとか思うんだけど、それでも何かしら伝わるでしょ。

かれら:やっぱりどんどん喋れないのが良くないっていうか、2、3時間、喋るじゃないですか。で、文字起こしてても分かるし、普通に今zoomしてるときも分かるけど、例えばロビンとかさ、おれが話振らないとさ、何も言わねえじゃん。で、お前眠いじゃん。眠くなってんじゃん、いつも。

ロビン:うん。

かれら:だから眠くならないために喋んないといけないんだよ。

ロビン:うん。

かれら:ロビンの文章の一番最初にさ、「自分には学がないから面白いことは言えない」っていう風にロビン書いてた。それは一番いらねえからソレは取ってっていうふうに言ったけど、そういう遠慮がこうやってzoomの中でも、みんなの中に何かあるのかな?と思う。
小野寺が言った、立体的に議論を立ち上げるためのフックがないっていうのはその通りで、作品が出されて、そこで何か言うっていうのは難しい。でも安瀬さんがやってるようなアクションを、全員でやっていかないと、作品が動いていかないのかなって思う。
僕が今回、自分の中で不安なのは、演出を客観的に見ることができないから、自分で俳優をやって舞台の中で演出を考えなきゃいけないっていうことが予想できていて、それは多分、結構難しい。
そうなったときに、僕が面白いかどうかの判断をひとりでやるっていうことはなかなか難しいだろうなと思ってます。だからみんなの意見が必要だと思うんですよね。僕は演出をするときに、こういう風にやってくださいっていう指示もあんまりないから、アイデアにも結構詰まることもある。だからそこの流れをもっと良くしないといけないなっていう感じはします。

安瀬:すごいセルフィッシュでもいいのかも、とも思ったんだよね。かれら君の中の、全体のことを考えて主宰者としての立ち振る舞いをしなきゃいけない、っていう意識がおれには見えて、それよりもかれら君が普通にいつもツイッターで言ってたり、ロビン君と2人だとどんな話するの分からないけど、そういう時に喋るような個人的なものを投げていく方が作品は動いてくんじゃないの?っていうのを、率直に思った。
かれら君っていうのがちょっと窮屈に見えちゃったんだよね、すごいなんか制約かかってんだろうな、「まとめなきゃ」とか、だったら気遣いも遠慮もなくやった方がいい。
おれは遠慮って失礼だと思ってる。一緒に作るんだから、もう家族じゃん? って。おれはね、妹に遠慮しないじゃん。で、おかしいよと思ったら、「安瀬さんそれはちょっと静かにしててもらっていいですか」って言ってもらえれば「あーごめんごめん」ってなる。その感じがないと、「あれ、どう思ってるだろう」とかなってっちゃうんだよね。
おれが危惧したのは、かれら君が投げるものに対しての反応がないと、落ちてくだろうなっていう。返事はやくしろよっていうことじゃないよ、何か面白いこと言えよとかそういうことじゃなくて、何かしらのその辺が足りていかないと、ただ集まって、芝居っていう形のものやりました、になりかねないなっておれは勘で思ったわけ。
おれが今できる解決策としては、それぞれ、自分は喋らない人だから……。じゃなくて、とにかく何か喋ってみるとかさ。例えばおれだったら、一生懸命書いた絵を川に入れてみて、いい写真撮れたなってそのときは思ったんだけど、帰ってきて見たら、おれはこれやっぱり違うなって思った。そしたらもう捨てる、そこに情はない。
頑張った時間とか気持ちとかそんなのはどうでもいい、そういうことは大事じゃないかと思う。
おれがストレート好きってのもあるけど、「今ロビン君どう思ってるんだろう」って察しながら話すよりも、「ロビン君なんでしゃべんないの?」って言った方が、パーンと開けるっていうかな。探ると閉じてくっていうイメージ。だから喋れよって話だよ(笑)

山本:じゃあ喋っていいですか(笑)。ちょっと整理してない感じで喋りますけど、安瀬さんのLINE見て、あ、そうだなっていうところは結構あった。
このプロジェクトに踏み込めてない感じというか、自分の生活を乗せられていない、あるいは他の人たちが生活を乗せられてない感じっていうのはずっと若干感じてはいて。それはさっき小野寺さんが「フック」って言い方をしたことかもしれないけど。
まずタスクとして定期的なzoomと、お互いに何かを作ってきてお互いに読んでっていうことを課せられてるわけですよね。その上で、そこから一歩進んだところで上演作品を作っていく、といったときに、どこを起点にして、というかな、ずーっと日々考えていくための手掛かりみたいなものが若干足りてない感じをずっと感じてる。
それは単純に、zoomとかLINEみたいなオンラインのみでやってるからっていうのもたぶんものすごく大きいとは思うんだけれど。
今年は他にもこういう、共同制作みたいなプロジェクトにオンラインで関わっているんだけど、そのときに大体みんな感じるのは、やっぱり発言しづらいとか、あるいはモデレーターみたいな人が凄い気を使う、ほかの人に話を振っていくのにも気を使う。話の場がなかなか作れない、普通に会ってるとうなずきもするしパッと返事もするし、ちょっと合いの手入れるみたいな感じのことも全然気楽にできたりする。あるいはオンラインでも一対一だったらまだ全然普通にやりとりできたりするけど、4人以上くらいになると、かなりもう、どうしようもなく気を使ってしまう人が出てこざるをえない。
システムの問題というかやりづらさみたいなものとしてあって、多分それを打開するために、誰かがガンガン、話しかけていくとか振っていく。そうすると本当に司会になって、それが権力的になっていってしまうことに、みんな気を使ったりするんだけど。
それはLINEもそう。三人ぐらいだったら回ったりするけど、4、5人になってくると難しいっていうのは、自分でグループをやってる時にもよく感じることで。限界があるというか、普通に会ったらめっちゃ話が出てくるのに、LINEとかzoomだときついなっていうのはよくある話だと思う。
そうした中でどうやって回していくかという時に、いま言ったように、話を振りまくって、場や空気みたいなものをどんどん毎回立ち上げていく必要が出てきたりする。多分、実際に会ったら会うだけでその空気ってできるんだけど、それがないから誰かが頑張ってそこを作んなきゃいけない。その大変さは、オンラインでやっていく上で一つあると思う。
今回のプロジェクトに関して言えば、最初に戯曲があり、それを受けてみんなどう考えましょうかって感じではなく、みんながそれぞれに作ったものを起点にまずは喋っていくみたいな感じになってる。そうしたとき、遠慮ではないんだけど、作品となるとちょっと距離が置かれてしまう、みたいなところはあるだろうなと感じてる。
妹に気を使わないみたいな感じでって、安瀬さんが言ってたけど、多分、親しい人が「めっちゃ頑張って作ってきました!」みたいな音楽を聴くという場合でも、「おう……」みたいな感じになる……(笑)。その「おう……」っていう距離感が、企画の出発点になっちゃってるのは、けっこうきついのかもしれない。
例えば戯曲がまずバーンとあって、それをじゃあどう上演しましょうか、という場合には、戯曲がすでに一個の問いのようにきちんと機能してくれるから、「じゃあ僕だったらここはこうかな」とかって意見がどんどん出てくると思う。距離というかな、みんなで共有した問いと、自分の生活のあいだの距離感みたいなものが簡単に築ける、作れる。だけど、今回の場合、どこにどのようにそれを作ればいいのか。みんなが今までに作ってきた作品はいっぱいあるけれど、一つ一つに自分の生活をドーンとぶち込んでそこと対峙しましょう、みたいな感じにまでは強いられてないし、どうやって向き合えばいいのかも微妙に難しい。
一番多分ドーンと向き合うべきとされている、かれら君の戯曲も、制作途中なので、ガーンと向き合うというより、「あ、なるほどこういう感じかあ」、「今こういう感じになってるのね」って、毎回適度なところで止まっちゃう感じはあるなとは思っていて。僕は、自分でものを作りましょうって言われた時に、なるべくそこで自分の言葉というか、自分の感覚に一回ちょっと引きつけないときついなと思って、自分でかれら君のテキストをガンガン編纂するみたいなことをちょっとやった。
結果、自分の中でかれら君の言葉との距離が近づいた、大体こういう感じの構造なんだなっていうのが読めるようになってきたんだけど、まあ、それは自分の問題だよね。自分にとってはそうだけど、僕がそれを作ったからといって、周りのみんなも同じように近づけたかっていうと、そうでもないだろう。
「このプロジェクトってこういう場なんだ」って理解をするのにも、その場をそもそも作るのにも、オンラインだから手間がかかる。お互いの人生が分かってないので……人生って言うと重たい話になっちゃう、人生を乗せたくない人もいるかもしれないけど……僕は自分の人生と結びつけて考えたいっていうところが凄く強くある。自分の人生ていうか、日々の生活に結びつけて考えたいなというところが凄く強くある。
じゃないと、どうやったって大変なものは大変なもの、つまりzoomするのだって2、3時間時間を割くのは大変なんだけれど、でも結局同じ大変さなら、普通に楽しくがんがんやれる、しかもこれってもう自分の人生にとってめっちゃ意味あるなって思えた方がプラスになる、っていうふうにぼくは感じがち。
「仕事として3時間zoomやるより全然楽しいよね」って思えた方がプラスだし、そういうふうに思える手掛かりみたいなもの、取っかかり、あるいは問いが欲しいなっていうふうに感じる。それがあると、「このプロジェクトに自分はこういう立場で関わってるんだな」っていうのが見えてくるし、他の人はどう向き合ってるのかっていうのも分かってくる。
そうなれば自ずと、この舞台ってこういうものなんだなっていう色やイメージまで見えてくるだろうなって。逆に言えば、自分を省みると、あんまりイメージがまだ定まりきれていないっていうのは、あるかもしれない。
かれら君の中では上演のイメージがだんだんできてきているっていうのは聞いてるから、それをzoomのたびに聞いたり尋ねたりして、自分の中で、「なるほどね、河童はこんなふうにセリフを言うのね」とか、「それって自分にとってどういうことなんだろう」ってことを翌日に考えたりしている、もっとその手がかりが欲しい。
砂漠が舞台になるっていうのも聞いていて、「自分にとって砂漠って何だろう」とか「鳥取砂丘行ったことを思い出すな」とか、色々考えたりするけれど、もう一歩二歩、そういうものが欲しいなって思うところはあるかな。それが、単なる戯曲への感想とかじゃなくて、自分の中で問いになるにはどうしたらいいのかなっていうことをずっと考えてる。ともすれば「かれら君こうやってきたんだ、すごくいいと思うよ」みたいな感想になりがちだから、自分の中で真に受けて、自分にとってはこうだって言い切れるような立場とか、場をどうにかもうちょっと作りたいなと。
それってどうやったらいいんだろう。みんなでLINE上で日記を書くとか、そういうものがいいのかな。かれら君がメンバーに対してのタスク量への遠慮があるっていう話があったけれど、それが主というよりも、結果的に遠慮みたいな空気ができちゃってるのかなと。さっき言ったようにzoomやLINEのシステムの問題もあるけれど、同時に、良くも悪くも宙ぶらりんな感じでやっていくと、みんな取っ掛かりがない状態になりがちだから、そこでどうにかして誰かがその形式、あるいは取っ掛かりを与えなきゃいけない。
その取っかかりはどうやって得られるのかっていうことはすごく重要なところだし、それを探るっていうのも一つ大きなものだろうけど、各々の生活とどう結び付いているのかっていうのが、自分にとっても他の人にとっても、見えてきたらもっといいだろうなと。そういうことをなんかグルグル考えてたかな。
あと、メインビジュアルについては、かれら君から相談を受けたとき、安瀬さんの絵を使って作るっていうのは、自分も安瀬さんの絵を見て、良いと思った。
ただ今日の話を聴いて思ったのは、現状やっていることからビジュアルを考えていくっていうやり方でも、全然いいのかな、と。
みんなの音楽とか絵とか文章が、今のプロジェクトにおいては起点になってるというか中心になってるわけだよね。だからビジュアルも、noteとかzoomのイメージから立ち上げるのはありなのかなっていうふうに思った。それは余談というか、さっき思ったことだからついでに言っとくみたいな感じです。別に絶対こうしたほうがいいみたいな話ではなくて。大体そんな感じかな。
いまもそうなったように、やっぱりzoomって一人がバーって喋ってそれをみんなが聞くみたいになりがちなんだけど。

安瀬:おれの場合だけど、好きな女の子とzoomしてたら、話しが途切れそうになったら、めっちゃ助けるじゃん。「おれこの前こんなことあってさ!」って。いま山本君の話を聞いて、好きな女の子に使うパワーぐらい使おうぜって思った。バカなとこ見せてみたりとか、そういう発動の場所みたいな。それってたぶん作る時の大事なスイッチあるんじゃないかってちょっと思ってて。

山本:それは絶対そうですよね。

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