見出し画像

代えが効かないもの、内輪ウケの効能

舞台美術について

かれら:今日はまず、舞台美術の話から入ろうと思います。今日、公演を行うどらま館のひとと話あってきました。ぼくは以前、「舞台全面に砂を敷きたい」という話をしましたけど、劇場側から、砂とか土は、粒が飛ぶのでできればやめてほしいとのことでした。まあ、今回は換気をこまめにしなければならないので、仕方ないかなと思ってます。で、ガーデニング用のチップならいいと言われたんですが、それこそ代替案感がすごいってい
うか。これを砂漠っていうことにしてくださいっていう感じになるじゃないですか。でも僕は砂漠なんか行ったことないんだけど、当時好きだった女の子の地元の鳥取砂丘に行った時に、砂丘の向こう側に日本海が見えるんですよ。で、日本海が見えて、砂と海ってなんかすごいなと思って、海の方まで行こうと歩くと、砂に足が取られるじゃないですか、で、歩いていくとどんどん、くるぶしぐらいまで足が埋もれちゃって、靴にもすごい入ってくるし。絶望でしたよ。あんな観光地の砂丘でさえ、ほんとうに悲しくなって。
そういうのはガーデニングチップじゃダメなんですよ。そういうのも再現したいというか、このなんか歩きづらさみたいなのが舞台上にあったら、それも伝わると思うんですよ。そういう、ごまかさないことは重要だなと思っていて。
「砂漠は暑いというよりも見える」という一文で始まっているんで、「見え」みたいなものを美術をつくる際に意識するという方向で今考えています。鎖を全面に敷きたいっていうふうに小野寺と話したんですけど、照明の光が反射するかなと思ったんですよね。すごくまぶしい空間とかにしてみたらどうかなとか、まあ色々今考えていて。今回は継続支援補助金を申請するので、前回よりもすこし予算があるかもしれないから、やりたい放題、言いたい放題で、やれるかどうかはあとで考えると言う感じでおねがいします(笑)
それから、大きい石か流木を吊るしたらどうかなと思っていて。ワークインプログレスを行うSCOOLは、コンクリートに養生でマットみたいなものを敷いてるだけなので、足で踏んだ時に全然音がしないんですよ。でも、劇場の舞台は中が多分空洞になってるから、地団駄を踏むと結構いい音が響くような作りになっているんです。だから、でかいものを落としたら大きい音がして、迫力が出るなと思ったんですよ。去年の秋、台風がすごかったじゃないですか。それで玉川の近くに生えてた樹がなぎ倒されて、ついこのあいだ行った時も、そのまま放置されてた印象があって、そういうのを勝手に持っていって搬入できないかなと思ってるんですけど(笑)

安瀬:それか、山梨から持ってこうか?2トン車もあるし。

かれら:それだ!それしかない!(笑)最初、舞台上に宙づりにしておいて、途中で落ちてきたらいいなって。

安瀬:面白いね。

小野寺:完全に『パレルモ・パレルモ』やん(笑)

かれら:たしかに、まあ、いまさっきパッと思いついたことだからさ(笑)劇場のひとには、できないことをまず最初に聞いといた方がいいなと思って、タバコは一応、吸えなくもないっていう感じでしたね。新宿消防署にちゃんと許可を得るという感じですね。
僕は、演劇を面白いなと思ったきっかけは、タバコなんですよ。安部公房の演劇を見に行った時に、娼婦がタバコを吸うシーンがあって。その煙が客席に来るじゃないですか。ふぁーって流れてきて、凄い感動したっていうか、本とか映画とかだと、そういうのはあり得ない。それは演劇でしかできないなと思ったんですよね。演じてる女のタバコの煙が直に来るっていうのが、凄くいいなと思ったんですよ。

戯曲の加筆修正について①

かれら:前回と比べて、全面的に書き直してみました。何かこう、まだ一回目、二回目では探り探りの状態で、今回でこの感じかなというのがすこしずつ掴めたできっていう感じですね。
前のバージョンでは、冒頭にランチの話があったと思うんですけど、読み返してみるとつまんないなと思ったので(笑)修正しました。最初はこの〈砂漠は暑いというよりも⾒える。「イヌじゃない。」腕の中で死ぬとあれほど言っていたにもかかわらず、とうとう叶うことがなかった優美があるきつづけていると〉というふうに変えました。〈砂漠は暑いと言うよりも見える〉というセンテンスは、前回はシーンが切り替わるところで出てきたものですけど、読み返してみると、これは多分、ト書きとして機能するんじゃないかと思ったんですよね。
それから、前回は〈夫は視力が悪い〉となっていたところを〈視力が悪い〉というふうに。主語を消しました。主語のない文章をある一定量書くと、メンタルにくるんですよ。これは自分でもどうしてか全然わからないんだけど、とにかくつらくなる。ただ、なんで消すかっていうと、こういう書き方は、何かを思い出す時に似ているなと思うんです。僕が鳥取の砂丘のことを思い出すと、右後ろに海鮮丼の店があって、その前に砂丘の広がりと客寄せのラクダが二頭いて……という、その風景を想像している時には、自分は像としては存在しないんですよね。主語を消すというのは、自分のなかで、そういうやりかたを起動させるスイッチになる。

そのあと、⑤は、「まだいない。青いフォルクスワーゲンが止まっていて、中には女がひとり乗っている」というふうに書いていて、ここは、前回の小野寺のテキスト「否定を予兆する演出する方途」を背景に書きました。
で、そのフォルクスワーゲンは、ここはね富澤さんが話していた、シャルロット・デュマの結石、あるいは馬そのものですね。生きていて、でも生きているということは同時に死んでもいて、そういう矛盾が、女には見えているわけです。
あと、ぼくの文章だと、「まだ馬は見えない」とか「そんなふうに言った時にはもう馬は轢かれている」とかっていう、「まだ」とか「もう」っていう、時間に関わる言葉がいくつも出てきます。馬がいる/いないっていう、存在が点滅するようなことっていうのは、時間に関わるのだろうかっていうことをいま考えてますね。
ただ、結局分からないっていうのは大切で。つまり、観客も分かんないんだけど、僕も分からない。馬は今いるけど、いないっていうふうに書いているかとか、そういうことではない。
そうじゃなくて、いるとかいないっていうことを一回崩す。ぼくの方で、本当はいるとかいないっていうことを知っていて、それを観客に分からなくさせるような技術、あるいはなにかしらの意味があって書いているのではなくて、僕も分からない、観客も分からない、そこが出発点になるっていうことなんですよね。観客とぼくらと、同じように立てる場をつくる。
で、⑤のところに、「そう言うと二メートルの女を見ることができない」という記述がありますが、「そう言うと見ることができない」っていうような記述が、この短いあいだにいくつかあって、言うと見えなくなるっていう、言うことは、見たことや聞いたことをなかったことにするかもしれない、と思ってるんですよ。「なかった」とはまた少し違う、「なかったことにする」ということ。
これは、女の人による、見えていることの実況中継なんですよね。それを観客とかその隣にいる人が聞いていて、それは伝聞と近いということは、すごく大切な気がするんですよね。

ここから先は

863字
2020年11月末日までに購読を開始し、東京本公演(2021年4月下旬〜5月上旬を予定)の月まで継続してくださった方には、 ☆本公演チケット 1,000円割引 (他割引との併用不可) ☆ 2021年3月(予定)のワークインプログレスへの優先的なご予約 ☆山本伊等の前作『配置された落下』の映像・戯曲/上演台本を視聴、閲覧 などのご優待がございます!

NO PROGRESS

¥500 / 月 初月無料

——この不完全に、戦慄せよ。「NO PROGRESS」は、リアルタイムで演劇の制作過程を見ていただくことにより、より制作者に近い観点から演…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?