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振り返り その⑥

 私は外国人による日本語弁論大会に参加したのは、今から12年も前のこと。2008年の5月に予選審査があり、6月14日に川越で大会が行われた。スピーチのテーマは「若者・馬鹿者・よそ物」だった。尊敬する当時の海士町の山内町長がよく使っていた言葉でもあった。

 私は海士町で働き始めて一年目のとき、「海士見聞録」というブログみたいなもの書いていた。島のいろいろな出来事、自分が思ったままに書いていくようなもの。それが町のホームページに掲載される。今から考えるとなんとも恐ろしい。

このスピーチの内容もそのブログに書いていた、色々なエピソードをうまくつなげたものである。

アイディアもエピソードも原稿も私のものですが、そのとき時指導してくださった、松田先生がいなければ、とても私はこのような大会で優勝することはないと思う。

このとき私は初めて、プロの凄さを実感した。真面に日本語を勉強したことがない私でも、ここまでいかせる、指導の仕方ってあるんだなと、本当に刺激になった。ゴールを決め、そのゴールにたどり着くために自分に何が足りないのか、与えられた時間のなかで、それをどういう風に一つ一つクリアするのか、本当に勉強になった。お風呂でも、トイレでも、単車に乗りながらもひたすらこの原稿を暗記していたのが今もよく覚えている。多分今も何回か練習すれば、私はこのスピーチが紙を読まずにできると思う。

このような素晴らしい体験ができたのももちろん海士町に住んだのがきっかけであり、松田先生のご縁がなければ、絶対にできてないことである。海士町にも松田先生にも本当に感謝の気持ちしかありません。

このスピーチはこんな風に始まる。「お客さんに民宿を案内するとき、「お客様、携帯の繋がる民宿と、繋がらない民宿、どちらにいたしましょうか?」と聞きます。

携帯という便利なもの価値と「携帯が繋がらないこと」の価値と、そのときそのとき、状況によってものの価値が変わる。今までなくてはならなかったものが、邪魔になったり、要らなくなったりする。コロナ君が表れてから、そんなことを考えさせる日々を過ごしている。

本当に生み出したい「価値」とはなにか、今だからこそ考えるべきだと、書きながら思った。

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