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グループという概念から離れて、随分と生きやすくなった

知人から、知人が所属している「仲良しグループ」の悩みごとをきいた。互いに嫌われることを恐れて、本音で話せない、と。

そういう悩みを久しく自分が抱えていないなと、気づいた。

そもそも、自分が「グループ」に所属している実感があんまりない。
そして、「グループ」という概念から離れてからというもの、随分と生きやすくなったな、
と、ふと思った。

この発見が個人的にすごく面白くて、文章にして残しておきたくなったので、書いている。

グループに所属する感覚が無いってことは、独りだったのか、と言われると、そんなこともない。
これまでのいろんな活動を通して、中長期的に、長く、深く関わっているコミュニティは複数ある。

でも、

ゲストハウスの住み込み期間は終わったし、

会社に所属しているけれど、それは「グループ」より「組織」という感覚だし、

大学のゼミも卒業したから、純粋に「同じ時期に活動した人」みたいな感覚。それは、学生団体も同じ。

GWで5日間ともに過ごした、インタビューのワークショップのメンバーも、「あのとき、一緒に山登りをした人」と認識していて、「グループ」だとは感じていない。
※インタビューのワークショップは<みんなでひとつの「山」を登るようなものだ>と、主催者の西村佳哲さんが言っていた

今挙げたコミュニティの経験はどれも思い出深いし、大切な記憶だけど、そこで一緒に過ごした人たちと自分との関係を、わたしは、「グループ」とは捉えていないようだ。

というより、そのコミュニティにいた「個人ひとりひとりと、わたし」という、1対1の関係。
「グループ」ではなくて、「あなたとわたし」の関係で捉えているんだと思う。

再掲。「グループ」という概念から離れてからというもの、随分と生きやすくなった、と、感じている。

そのわけは、グループに所属している感覚があったときは、
「嫌われたらどうしよう」 とか、「定期的に遊んで、仲良しでいなくちゃ」みたいなことを、無意識に考えていたからだと思う。

最近会っていないから仲が悪くなっているんじゃないか、みんなが参加するイベントに行かないと、今後自分が誘われなくなって、疎遠になるんじゃないか、みたいなことを不安がっていた。
実際に、「グループ」にいた感覚があったときは、自分が溶け込んでいないと感じることがあった。

どのグループにも自分がいない気がしていた。

でも、大学2年生くらいから、
「その人との親密さは、会う頻度や連絡の頻度に比例しないのでは?」と考え始めた。

特に自分が慕っている人たちとは日常的に連絡を取っていなかったし、ごはんを食べに行ったり、出かけたりするのは半年に1回くらいだった。
LINEも、会う予定を立てるときにやりとりするくらい。

でも、一緒に旅行に行くし、定期的に会うし、(相手はどうだか知らないけれどわたしは)相手のことをとっても大切だと思っている。

そして、そういう人たちと会うときは、二人で会うことの方が圧倒的に多い。
二人で話す時間を自分が気に入っているし、「あなたとわたし」の関係で深まっている感覚がある。

わたしは、グループより、「あなたとわたし」の関係のほうが、好きで、心地よく感じているらしい。
そりゃあこれまで生きづらかったよな、と、なんだか腑に落ちた。

ドラマ『いちばん好きな花』は、二人組になれない人たちの物語だけど、わたしはむしろ「グループ」のほうが苦手で、二人組のほうが好きだ。

どうして「あなたとわたし」の関係のほうが好きなのかというと、そのほうが、相手に向き合うことに集中できるし、その時間が好きだからだと思う。
それに、嫌われることを恐れて気を遣うことよりも、大切な人を大切にすることに心を注いだほうが、ずっと健康的だと、今は考えている。

「あなたとわたし」の関係を健やかに築けているときは、この人に嫌われたらどうしよう、とか、考えない。その時間を、ただ楽しんで、味わっている。

つまるところ、心が健康でいるためには、自分が一緒にいる人とは相思相愛であることが大事だと思う(恋愛に限らず)。
それができない人とはご縁がなかったのだと思う。

だから、自分が大切にしたい人はめいっぱい大切にするし、自分が大切にしたい人が、自分を大切にしてくれるなら、その感謝は伝えそびれちゃいけないし、余りなく伝えたいな、と、思っている。

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