チャンスを掴むということ(ある小説家の場合)

巡ってきたチャンスを掴めるかどうかで人生は大きく変わってくる。

この事実に異を唱える人は少ないと思うが、人生というのはどこが分岐点で、どこがチャンスだったのか、意外とそのときにはわからないものである。

けれど小説家という仕事は、これがわりとわかりやすい。いま自分は分岐点に立ってるなと気づけるし、このチャンスを掴めるかどうかで今後の作家人生が違ってくるなというのが自覚できる。
そしてチャンス(分岐点)というのはいちどきりでなく、何度も巡ってくる。もちろん大小の差はあるし、つづけているからこそ次が巡ってくるわけでもあるが。

今回はそんな話をしようと思う。

この話があなたの人生の役に立つかはわからない。しかし、ひとりの小説家がチャンスを掴めたり掴めなかったりする足跡として、楽しめる読み物にはなるはずだ。
自分は売れっ子ではなく、かといってデビュー後すぐに消えたわけでもなく、わりと珍しい道のりを辿っており、浮き沈みがあってそれなりにおもしろいと思う。


まず、いちばん最初の分岐点はデビュー作だ。

これが最初にして、最大最高のチャンスだ。このデビュー作が爆売れするか、そこそこ売れるか、売れないか、まったく売れないか、それでその小説家の運命はほぼ決まってしまう。近年は特にその傾向が強い。

かつては苦節十年なんて小説家は山ほどいたが、いまはどの出版社もそんな余裕はない。とりあえず光るものがある奴は片端からデビューさせて、売れたら大事に育てるが、売れなかったら即廃棄。
出版社によってはすぐに見捨てるまではしないとしても、二作目を出すハードルは確実に(そして異常に)高くなるし、編集者(出版社)からの扱いがぞんざいになるのは覚悟する必要はある。

艱難辛苦を乗り越えて二作目を出しても、版元は力を入れて売ってくれないし、デビュー作でコケた作家の本など誰も(特に書店員が)注目しないので内容に関係なく売れるわけがない。
もちろん例外はいくらでもある。ただ、小説家ロードが最初の分岐次第でハードモードに(あるいはナイトメアモードに)なるのは間違いない。それがいまの小説界の現実だ。


自分は第8回の『このミス』大賞(一般から小説を募集する公募新人賞)を受賞し、『パチプロ・コード』(宝島社)で2010年にデビューした。

これがコケた。まあ見事にコケた。
自分は最初にして最大のチャンスを掴むことはできなかった。

題名にもあるとおり、パチプロを主人公としたミステリーである。パチンコ業界の暗部なども描いている。デビュー前にリアルにパチプロをしていたので、その知識を活かして受賞を勝ち取ることはできたが、結果的にはそれが仇となった。
敗因はわりとはっきりしている。

「本屋に小説を買いに来る客層と、パチンコの相性は最悪」

光合成しかしない植物に、飯もの小説を売るようなもんである。
もちろん、それがすべてではないと思う。題材的に不利であったとしても、それを補って余りある魅力があれば少しは売れただろう。でもそこまでの力は、自分にも、作品にもなかった。ま、大賞ではなく優秀賞(銀賞みたいなもの)だったわけだし。

念願叶ってプロにはなれたものの、すぐさま厳しい現実を突きつけられた。当時すでに「小説家はデビュー作が九割」という事実は業界内外に知れ渡っていたし、暗澹たる気持ちになった。
上記のような敗因が見えてくるにつれ、なんでこんな(売れもしない)作品でデビューさせたんだと、審査員を恨みたくもなった。(完全な逆恨み)


最大のチャンスを掴み損ね、実際に自分は茨の道を進むことになる。どんな小説を書けば売れるのかわからず、迷走がはじまった。

2作目の『21面相の暗号』(宝島社文庫)はグリコ・森永事件を題材にしたミステリーだが、1作目で好評だったゲームっぽさを引きずっていて、社会派と呼ぶには軽すぎ、なんとも中途半端な小説だった。

3作目の『AR』(宝島社)は当時としてはまだ目新しかったAR(拡張現実)を題材にしていて、みたびゲームっぽいミステリーだった。当時、自分のよさはここだと思い込んでいたのだ。

個人的にはどちらも小説としてのおもしろさはあったと思うし、実際に賞賛してくれる書店員さんもいたのだが、どの層を狙っているのかが不明瞭で、なにより商品としての力が弱すぎた。

実際、どちらもさっぱり売れなかった。

この2作を出すのに、実質的に3年近くかかっている。けっして筆が遅かったわけではない。企画やプロットで何度もリテイクを喰らったし(半分書いてボツになった原稿もあった)、原稿を送っても平気で3ヵ月も4ヵ月も待たされるのだ。もちろん自分自身の力のなさが大きいのだが、それが「デビュー作で売れなかった小説家」の現実でもある。
けっして批判しているわけではなく、当たり前のことなのだ。編集部のリソースがかぎられている以上、売れそうな作家、売れそうな作品を優先して出していくのが企業として当然のあり方である。

いまなら「商品力のある企画を立てられなかった」自分の未熟さがはっきりとわかるのだが、当時はなにを書けばいいのかが見えず、つらく、苦しい時期だった。
ほかの出版社との付き合いはなかったので、返事を待っているあいだはできることもなく、悶々と過ごすしかなかった。かなり自暴自棄にもなったし、もう辞めてしまおうかとも真剣に考えた。

それでもいま振り返ると、当時はまだマシだったかもしれない。もしデビューが5年遅ければ、3作も出せずに消えていたと思う。むしろ稚拙な自分を見捨てず、辛抱強く付き合ってくれたと当時の担当編集者には感謝しかない。


ともあれ、3作連続で小説家「伽古屋圭市」は結果を出せなかった。放逐されても納得するしかない状況だ。正直ほぼあきらめていたし、自分の才能や実力にも自信が持てなかった。

ただ、3作目の校正作業(出版前の最後の仕上げ)をしているとき、天啓のようにあるアイデアが閃いていた。ミステリーの核心となる叙述トリックと、その最高の料理法だ。これを上手く育てることができれば、上手くまとめることができれば、必ずや傑作になるはずだという手応えがあった。
いま振り返ってみても、小説家として5年にいちどあるかどうかというレベルの閃きだった。

先ほども書いたように、当時はほかに付き合いのある出版社はなかったので、もし出せるとしたらデビュー版元しかない。けれど3作つづけてコケた人間に、4度目のチャンスを与えてくれるかは大いに疑問だった。
このときもし先述のアイデアが閃いてなければ、あきらめていたと思う。あきらめていなくても、4作目を出せずに廃業していたと思う。

泣きの一回のつもりで、閃いたアイデアを軸に渾身の企画書をまとめあげ、担当編集者にメールで送った。送信ボタンを押すとき、いま自分は作家人生の分岐点に立っているという自覚があったし、それは間違ってなかったと思う。
一週間ほど待たされたあと、ようやく返信が届いた。特に内容には触れず、契約等を含めて「直接会って話をしましょう」という内容だった(たいていの打ち合わせはメールか電話である)。

終わった、と思った。この時点で完全に「戦力外通告」を覚悟した。いまでもはっきりと覚えている。半蔵門への足取りがこのときほど重かったことはない。

ところが、かつてないほどに担当さんはノリノリだった。率直に「おもしろそうなアイデアです」とも言ってくれた。その席で、大正時代を舞台にするという素晴らしいアイデアも出してくれた。
デビュー後で最もトントン拍子に、順調に作品づくりが進んだ。大正時代のことなどなにひとつ知らないので読み込むべき資料も多かったが、それも苦にならなかった。これがラストチャンスだとわかっていたし、持てる力をそそぎ込んだ。


そうして完成したのが4作目『帝都探偵 謎解け乙女』(宝島社文庫)である。

自身初の大正時代を舞台にした連作ミステリーで、核心となるアイデアが閃いたときの感触のまま、最後まで突っ走ることができた。傑作のイメージを保ったまま完成させることなど、滅多にないことだ。渾身の自信作だった。

自分はこの作品で、ついにチャンスを掴むことができた。

初刷の部数が多かったので増刷(重版)こそ実現しなかったものの、売れ行きはこれまでと比べて格段によかったし、読者の評価もひじょうに高かった。そしてなにより、三つの出版社から「いちどお会いしたい」とオファーが届いたのである。

4作目にしてようやく、プロの作家になれた気がした。
同時に、ここが勝負所だと気を引き締めてもいた。

デビュー版元から何冊か出すことを仮に1周目としたら、それ以外の版元から出す数冊は2周目である。1周目で脱落する小説家は多いが、じつは2周目で脱落するケースも意外に多い。3周目に入れない、すなわちデビュー後にオファーをもらった版元から2冊目、3冊目を出せずに消えていくケースだ。

おれはここでもチャンスを掴むことができた。

5作目『からくり探偵・百栗柿三郎』(実業之日本社文庫)は引きつづき大正時代を舞台にして、より本格ミリテリーに振った作品だった。

こいつがまた売れてくれた。そして人生で初めて増刷(重版)がかかったのだ。版元からはすぐに続編の依頼が、しかも雑誌(文芸誌)連載という、これ以上ないかたちで来たのである。もちろん初めてのことだ。
デビュー以来目標にしていた、増刷と雑誌連載を、立てつづけに達成することができた。


書き下ろしと、連載の差は大きい。

文芸誌に掲載されれば原稿料がもらえる。そこから本になればさらに印税がもらえる。ほぼ同じ労力で、収入が倍ほど違ってくるのだ。
(どのような媒体に連載し、本がどれくらい売れるかによるが、2,3万部と売れないかぎり、たいていは原稿料のほうが大きい)
書き下ろしだけで食べていくのはほぼ不可能で、雑誌連載を手がけて初めて飯が食える世界である。当然、皆が狙っているポジションだが、パイは小さく、連載を勝ち取れるのは本当にひと握りの小説家だけである。

5作目にして、ついにその高みへと至ることができたのだ。

これとは別に、全編ではないものの部分連載の依頼も受けることができた。半ば腐って内臓と腐臭を撒き散らしていた2,3作目のころとは雲泥の差である。

ただ、ここが現時点での(小説家の稼ぎとしての)最高到達点だった。


6作目『なないろ金平糖 いろりの事件帖』(宝島社文庫)は三度目の大正ミステリーで、装画も素晴らしく、内容や題材などパッケージとしての完成度は過去最高だと自信満々だった。

が、これがいまいち売れなかった。

そして再び迷走がはじまる。


7作目『落語家、はじめました。』(TO文庫)は久しぶりに現代を舞台に戻した小説で、落語家を目指す女の子が主人公のお仕事ミステリーである。

このころようやく、本当の意味での「プロの小説家」になれてきたと思う。どんなジャンル、どんな題材でも、おもしろく、一定水準以上のものを書き上げる自信があったし、同様に「商品となる企画の立て方」もわかるようになってきた。けっして独りよがりではなかったと思う。

編集者はプロ中のプロである。いちばん最初の読者であり、いちばん厳しい読者である。慈善事業でなく、ビジネスとしてやっている。売れそうもない企画には絶対にゴーサインは出さないし、つまらない原稿には容赦なくダメ出しが入る。

その編集者を相手に順調に仕事を進めることができていたし、読者の感想や評価もいい感じだ。

ただ、いまひとつヒットが出ない。


8作目『からくり探偵・百栗柿三郎 櫻の中の記憶』(実業之日本社文庫)は雑誌連載を経て、満を持しての続編である。
内容は売れた前作を確実に超えていたと自負している。これで売れなきゃ嘘でしょ! と思って自信を持って送り出した。

しかし、なぜか売れなかった。

担当編集者と飯を食いながら反省会をしたのだが、失敗の理由はさっぱり掴めなかった。内容は悪くないのだ。もちろんいくらでも理由は挙げられるし、実際に挙がった。けれどそれが正しいのかどうかを確かめることができない以上、けっきょくのところ「わからない」のである。また別作品でがんばりましょう、的な気まずい雰囲気で別れた。


そして9作目『散り行く花』(講談社)を迎える。おれの小説家人生で巡ってきた、最も大きなチャンスだった。

4作目以降はずっとライトなミステリー、いわゆるライト文芸にカテゴライズされる作品を手がけてきた。(狭義のライトノベルではない)
しかしこの作品では重厚なミステリーを書いた。連城三紀彦を彷彿とさせる哀切さや、悲しさの漂う小説である。大正ものであり、犯人が最初にわかっている倒叙ものであり、本格ものである。ひとりの画家を主人公(探偵役)にした、ほぼ類例のない新しいタイプの倒叙ミステリーが完成した。

おれにこれだけものが書けるのだと自分で驚いたくらいの傑作に仕上がった。だから、ぜひ単行本で出してほしいと担当編集者に直訴した。(依頼時点では文庫書き下ろしだった)

年末に発表される各種のミステリランキングを本気で狙えると思っていたし、もしかしたら賞レースにだって絡めるとすら思っていた。そのためには単行本で出す必要があった。
文庫と単行本(ハードカバー)は、同じ文芸小説であっても、まったく別の世界と言っても過言ではない。ランキングや賞レースなど、いわゆる文壇の中心では文庫書き下ろし小説(特にライト文芸)などはゴミクズとしか見られていない。

読書家や、ときにはプロでも知らない人が多いのだが、単行本で出すことはリスクもある。なぜなら、単行本で出して売れなければ、当然文庫化もされないからだ。出版社によって大きく異なるし、はっきりとした数字はわからないのだが、会社によっては文庫化率は5割を切るとも聞いたことがある。得てして大手出版社のほうが低かったりもする。
文庫化されなければ、多くの人の目に触れる可能性を切り捨てることになる。確実に売れて、確実に文庫化される売れっ子作家は別として、かなり一か八かの側面があるのだ。

このことは把握していた。けれどそのリスクを負ってでも勝負したいと思った。それくらい作品には絶対の自信があった。
担当編集者も完成した小説に惚れ込んでくれ、おれの気持ちに応えてくれて、単行本(ハードカバー)で出すことを決意してくれた。プルーフ(関係者や書店員に配る簡易製本の見本誌。自身初の経験だった)などもつくってくれて、販売にも力を入れてくれた。


が、この勝負に自分は敗れた。

人生最大かもしれなかったチャンスを掴めなかった。

売れなかったし、評判になることもなかったし、ランキングに載ることもなかった。文壇からは完全に無視された。惨敗である。
タイトルどおり、散って行った(だれうま)

読んだ人の評価は高かった。すこぶる高かった。業界関係者も、一般の読者も、どちらもだ。これがランキングに入らないなんておかしい、腐ってる、という声は直接、間接を問わず(ネット上の言説含め)何度も聞いた。憤ってくれる人も多かった。発売からずいぶんと経つが、いまだに賞賛の言葉を聞く。嬉しい。本当に嬉しい。

でも同時に、複雑な気持ちにもなる。では、なぜ売れなかったのか。なぜ文壇で評価されなかったのか。なぜチャンスを掴むことができなかったのかと。

もちろん、それが正しいのかどうかはわからない。そんな作品はいくらでも存在するのかもしれない。真実はどうあれ「多くの人に読んでもらえなかった」ことも引っくるめて、作品の実力であり、『散り行く花』は足りなかったのだと納得はしている。
いずれにせよリスク承知の勝負であった以上、結果に対しとやかく言うつもりはなく。

そうして好むと好まざるとにかかわらず、文壇の表街道には再び背を向けることになった。文庫書き下ろしの世界で、ライト文芸の世界で生き残ることに全力を傾けることにした。


以下、今年(2018年)刊行された3作を一気に。

10作目『断片のアリス』(新潮文庫)は仮想空間を舞台にした近未来SF。
実も蓋もない言い方をすると「大人のSAO」で、ミステリー性よりサスペンスに振った。個人的には書いていていちばん楽しい作品だったが、なかなか編集者のOKが出ず、最も難産の作品でもあった。
そのせいで迷走もしかけたがすんでのところで踏みとどまり、結果的には満足のできる作品に仕上がった。

11作目『ねんねこ書房謎解き帖 文豪の尋ね人』(実業之日本社文庫)は得意の大正もので、当時の古書店を舞台にしたお仕事ものである。反省会の日の約束どおり、「からくり探偵」のリブートのつもりで書いた。

そして12作目が先日発売された『冥土ごはん 洋食店 幽明軒』(小学館文庫)である。
自身初の飯もので、ハートフルな人情ものを目指した作品である。評判はすごくいいし、売上も悪くはない。おれも、担当編集者も、続編を書きたいと強く願っているが、まだなんとも言えない微妙なところでもある。


「からくり探偵」の1作目以降、目に見える結果は残せていないので、ここ2,3年は常に「廃業」の文字がちらついている。そろそろ次の結果を出さなければまずい、という焦りはある。

とはいえ、焦ったり落ち込んだりしたところでいい小説が書けるわけでなく、いま自分にできるベストを尽くすしかないだろうという、ある意味では諦観と呼べる境地には達した。8年もプロをつづけてりゃ、そうなる。
いちどは死んだ身で、ここまでつづけられただけでも超のつくラッキーだ。あとはなるようにしかならないし、12作も出させてもらえれば不完全燃焼ということもなく、ダメならダメで仕方ないと素直に思える。


以上、チャンスを掴んだり、掴めなかったりの小説家人生を振り返ってみた。チャンスというのはどんなに気合いを入れても、全精力を傾けても、掴めるときは掴めるし、掴めないときは掴めないとしか言えない。

ここまで長文を読まされて結論がそれかよ、と怒る人もいるかもしれないが、努力が正当に報われるのはゲームとフィクションだけである。人生とはままならないもので、それがまた楽しい。

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