見出し画像

私とアセクシャル

こんにちは。

タイトル通りです。
その時々で感じることがあると思いますが現状です。

今回はきっかけというか、自認のタイミングというか。

まず、私は自分以外のアセクシャルの人に会ったことが無く、説明をするとそれなりに驚いたりされますので、世間一般で知っている人自体の人口が少ないかと思います。

アセクシャル・・・他者に対して性的欲求・恋愛感情を抱かないセクシュアリティ

周りに似たような方はいらっしゃるでしょうか?

性的欲求だけない人、恋愛感情だけない人、両方ない人がいますが、私は恐らく両方無いタイプです。


私が恋愛感情に違和感のようなものを持ちはじめたのは中学生くらいでしょうか。

そんな年頃になると、周りに付き合い始める子たちがいて、特に恋愛の話で盛り上がって。自分も周りの女の子たちの話になんとなく混ざって聞いたりしていましたが、当時はぼんやりと

人を好きになるのはわかる。私も家族のことは好きだし、友達も好き。でも、付き合うってなに?恋人になるからってなんなんだろう。恋人になったらそれまでの2人と何が変わるんだろう。なんて考えていたと思います。

高校生になって、仲の良かった男の子とお付き合いすることになりました。実際自分がその立場を経験してみたら考えが変わったり何か発見があるのかな、なんて思っていました。

2人で出かけたり、夜通話してみたり、バレンタインに友達と交換するのとは別に作って渡してみたり。今考えられるそれらしい行動ってそんなものだと思うのですが、当時の私も友達でいた時と差を感じませんでした。付き合ったからってなんだろう。

お付き合いしていた期間はそんなに短くはなかったかと思いますが、だんだん相手と自分の感情の熱量の差のようなものに気がついていきました。私の好きと、彼の好きは同じラインにないのがわかったような。

その時になんだか急に怖くなったのと、彼に申し訳なくなりました。


相手が私に向けるのと同じだけの感情を持ち合わせていない。不誠実だ。彼に赤い色をもらっても私は青色しか返せない。

思い返すと今まで恋愛感情を持って人を好きになったことなんてないのかもしれない。
その人の人間性に惹かれても、付き合いたいと思ったことは1度もありませんでした。

私ほんとはすごく冷たくて酷い人なのかもしれない。



もしかして私は、みんなが当たり前にしていることができないのかもしれない。


今まで生きてきて、苦手な事はあっても完全にできないと思ったことはなかった当時の私にはだいぶ大きな衝撃でした。

そのあとは周りの話になんとなく合わせながら、少し息苦しような。

人には言えなかったので、しばらく悩んで、ネットで検索をしました。便利な時代に感謝ですね。

体の性と心の性が違う人がいることも、同性愛の人がいることも知っていましたが、LGBTという言葉はその時初めて知りました。

その分類の中にアセクシャルがありました。

すぐにすぐは自分でも信じられませんでした。
好きな人ができて、結婚して、子供を産んで、歳をとるのが当たり前なんだと思っていました。

そもそも親世代とかはそれが当たり前でしたから、そういう考えの人に育てられたらある一定の年齢までか一生、その自分の常識は心のどこかにあるんだと思います。

私の今の平常が「恋愛感情がない」なのはわかっていますが、世間の常識のようなものは私の片隅に多分このまま一生残るんだろうと思います。
何故だか親に申し訳なく思うことが、時々あります。

高校生の私が、自分を欠陥品のように感じたのはよく覚えています。

でも、言葉が存在するということは、自分以外にも同じような状態の人が存在しているということです。

名前が付いていることに、本当に安心しました。


その辺りから、「私はアセクシャルかもしれない」と思いながら過ごしていました。

大学に入って、20歳を超え、自分の生活の中に飲み会などが入ってくるようになりました。
恋愛の話になることもあります。その時々なんとなくで自分の状態を説明しますが、

「なんで彼氏つくらないの?」興味がないから
「もったいない!」私は恋愛をしていなくても好きなことがいっぱいあって楽しく過ごしているのに?
「そんなに女の子らしいのに!」見た目やかわいい服装やメイクが好きな事は関係ないでしょ
「本当に好きな人に出会ってないだけだよ!」そうかもしれないけど、今興味がないって話をしてる。そもそも本当に好きな人ってなに?
「じゃあ、好きなタイプくらいはあるでしょ?」対象がないのにどう分類すれば良いって言うの?


「もったいない」は何がどうもったいないのかわからない時もあります。
この楽しさがわからないなんて、だったらまだ楽しさを教えようとしてくれてるのかな、とか考えられる余裕がありますが
若いのにとか、そのあと強引に「好きな人つくろ!」なんて言われてしまうとなかなか理解が追いつかなかったり。
人生の中で価値を置くものの割合の差かな、なんて最近考えたりします。

「女の子らしい」という言葉はちょっと扱いが難しいので、なんとも言えませんが、
一応あなたの目の前にいるのは恋愛を含まない女の子です。
(子って言う年齢でもないですね。笑)


一言一言、相手の言いたいことがわからないわけではありません。
その人の性格なんかを考えてポジティブに捉えようとすることもあります。

でも自分に全く無いものを形だけでも捉えるって難しいことだと思います。

相手に悪気がなくても一言のダメージが大きいことってありますよね。
それはどんな話題でも。

ありがたいことですが私は戦争も暴力もフィクションでしか知りません。
家庭内の色々も、自殺したくなるほどの苦しみも、想像することしかできません。
本当に体験した人の感じたことは目の当たりにしないと理解はできないんだろうなと。お芝居をしてても思います。

話を戻しますが、恋愛に関して人の話を聞くのは全然平気です。
幸せそうな友人たちを見ていると嬉しくなります。

でも、話題としては今でも少し苦手です。
自分の感覚を言葉にはできますが、周りの期待している反応や返答にはおそらくなりません。


アセクシャルを隠すつもりはあまり無いですが、
下手に自分から話すと悲しい思いをすることが多々あります。

(なのでnotoにだけ書いて、Twitterにリンク貼るだけにしてあります。notoのツイートとかもしてません。)

自分の話をしようとした際は、仲が良かろうが相手のことをよく知らなかろうがあまり関係ありません。

「そんな、自分のことを病気みたいに言わないで」と言われたことがあります。
心の底から心配したような表情と声でした。
人によっては病気に見えるのか〜と、ぼんやり。
なんだか俯瞰したような気持ちで聞いていたのを覚えています。

「え?そんなことある?流石に全くないわけじゃないでしょ?」と言われたことがあります。
あるんだよな〜これが!少なくとも今の私はそうだしね!
…流石にってどういう意味だろう、と考え込んでしまいました。


その時否定するより怒るより悲しくなるより、「まあいつか変わるかもしれませんからね!」って笑って誤魔化しました。
この話はもうおしまい。
これ以上聞いたらその人たちのこと苦手になってしまいそうでした。

私はどこに対してフォローを入れて誤魔化したのか、時間が経つほどわかりません。
普通でいなきゃ、って思ったんですかね。
私にとっての普通のはずなんですけどね。


自分のことおかしいなあと思って苦しくなったことはあれど、「恋愛できるようにならないと!!
!」「変わらなきゃ!!」なんて思ったことはありません。

そんなにいけないことかしら。


病気だったら、治す必要があると思われたのでしょうか。
私の今までの人生は病気のまま過ごしていたんでしょうか。
流石にって、冗談でふざけたと思ったんでしょうか。
面白おかしく思いましたか。

家に帰っていい歳してちょっと涙が出ました。

大学の心理学の授業の一部でセクシュアリティを扱うものがありました。
その中でセクシュアリティは変容しうるものだと、異性愛者が同性を好きになることだってあると。

そこで腑に落ちたような気持ちになりました。

人生何が起きるかわかりませんからね。
 変わるかもしれないけど私はアセクシャルだって言えばいいんだなと。

ちなみに「変わるかもしれませんしね」と前置きをする事で知らない人にも少しニュアンスが伝わりやすくなったと思います。
(「いつか本当に好きな人が」という追及を諦めてくれる人もいます。)

相手を責めたりできないのは、自分に当たり前にあるものが、全く無い人がいたら理解ができないこともたくさんあるというのは私にも想像がつきます。

無理に理解しなくても大丈夫です。少し覚えていてくれたら、その気遣いが私は嬉しいと思います。


なんだか柔らかくなりましたね。

ここまで読んでくださってありがとうございます。それではまた。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?