好きな曲の話(WANNABE/ITZY)

先日少しだけ呟いていた、好きな曲の話をしようと思います。

今回は、「ITZY(イッジ)」というKPOP女性アイドルグループの『WANNABE』という曲について。


初めて書くnoteということもあるので、ちょっとお恥ずかしいのですが少しだけ自分語りをすると、今年度に入るまでわたしはKPOPというものを避けて生きてきました。

というのも、灰色の青春を拗らせて二十代半ばまで生きてきてしまった私にとって、KPOPというのは手の届かないものの象徴みたいなところがあって。

当時、斜に構えることで自分を守っていた私には、ハイティーンの流行最先端のお洋服とお化粧を身に纏って歌い踊る女の子たちがみんな同じように見えていたし、(今思えば)とっても眩しくきらきらしていたんです。

そして、その後の人生でもあの時の感情がぶり返してしまうのでついつい避けてしまっていた、という。

今を生きるわたしからするととっても惜しいことをしたなぁ、と思ってしまうのですが、十代の私が生きていくにはそれしか方法がなかったのも事実です。


そんな忌避の感情を見直す切欠になったのが、昨年秋ごろから今年の春にかけて放映されていた某オーディション番組でした。

このオーディション番組の話をするとまた長くなるので今回は割愛するとして。そこでミッション曲として扱われていたKPOPアイドルの曲を聞いて、日本語歌詞にも目を通して、「あれ、なんか昔のイメージと全然違う……?」と思い始めたのです。

改めて考えてみると、私が知ろうともせずに勝手なイメージで決めつけていただけなのですが。


そして、その中でも特に印象に残ったのが「ITZY」の曲でした。

彼女たちのグループはコンセプトがすごくはっきりしていて、「他人の目なんて気にしない、私は私で完璧」というものです。

もうビジュアルから力強さと意思に溢れているのですが、PVの途中に見せる笑顔や微笑みに可愛らしさなんかもあって、そのギャップにもドキドキしてしまう、そんな魅力のあるグループです。(気になったらぜひ、youtubeでPVを見てもらえるとわたしが喜びます)


そしてようやく本題、『WANNABE』について。

この曲は、繰り返し歌われる

I don’t wanna be somebody
Just wanna be me, be me
I wanna be me, me, me

という歌詞が印象的な一曲です。(一個人の主観です)

この歌詞が、曲やダンス、歌い方含めて本当に格好良い。

「私は私だから」というのは、自分を律する言葉にも、堕落させる言葉にもなり得るものです。続きで「~しょうがない」なんて口にしてしまったら、それはもう思考放棄でしかない。

けれどこの曲は、「I wanna be me」としていることで、すごく前向きに感じます。「私は私」だけど、それは「今の私」というだけじゃなくて、「私がなりたいと思う私」なんですよね。そのための努力や研鑽を惜しまない。そして、その姿もまたありたい私、という。

他人の意思は一切介在せず、ただただ「自分が思うままの私になりたい」。


でも、それを貫くのは、内面的な理由でも、外的な要因でも、すごく困難なことだと思います。


ここからはまたちょっとだけ、わたしの話を。

まず、内面的な理由について。

わたしという人間の心は悲しいことに、「協調性を持ちましょう」とか、「オタクは迫害されて然るべきもの」とか、「皆と違うことをするのは良くない」みたいな土壌から齎されるちょっとばかし歪んだ養分を吸って育ってきてしまいました。

なので、つい「自分はこうしたい」と思っても、「協調性のある振る舞いはどの選択肢だろうか」、「これは痛いと思われるからやっちゃだめだ」なんていう強迫観念が「私」にセーブをかけてしまいます。

要は常に、自分の中に他人の目を飼っているんですね。それはまぁ処世術として役に立つこともないわけではないですが、正直過去を振り返ると自分の首を絞めてばかりいます。

自覚をして以降は、ちょっとずつその目を捨ててやりたいように振る舞っているんですが、偉い人とか、目上の人とか、逆らうとあとあと面倒くさそうな人とかが相手だとにょっきり顔を出してくる。(ちなみに三番目の人は、大概逆らわなくてもあとあと面倒くさくなるのでお手上げです。)

今後も戦っていく必要があるな、と思います。

そしてもう一つの内面的な理由は、もうすっぱり「承認欲求」と、それに伴う「他者への憧れ」です。

認められたい、あわよくば褒められたいという願望は、大なり小なり皆持っているものだと思います。少なくともわたしは自分の作ったものに対してそういう感情を抱きます。

そしてそれが満たされないとき、つい自分の持つ願望を叶えている誰かを羨んでしまうことがあります。どうすればあのひとみたいになれるだろうか、なんて考えてしまう。

本当にすべきは知識の吸収と自分の作品をいろんな人の目に留まるようにする努力であるはずで、誰かになろうとしてもどうしようもないことだというのはわかっているのです。結局のところ、現実逃避の一環。そもそも考え方や思想が違うから、誰かになろうとしたって自分の心にガタがくるだけだというのもこれまでの経験で痛いほどに知っているのですが、本能はままならない。

これに関しては、ただひたすらに自分をコントロールしていくしかないですね……。


要は、「私になる」ためには常に「他者に作られてきた/憧れる」自分と戦い続けないといけないということです。


そして最後に、外的要因についてです。

人って、どうしたって他人に自分の思うとおりになってほしいと願う節があるなぁと思います。本当に簡単なことだと、「あなたには赤が似合うと思う」とか、そういう。一見ポジティブな意見に見えるけど、言われた「あなた」は青を着たくて、赤はあんまり得意ではないかもしれない。

結局は言った側の主観なわけで、それを受け取るかどうかは言われた側の勝手です。なのにそのあと相手が完全に赤を避けてたら、「似合うって言ったのにな」って言った側は勝手に失望したりする。そういうことが、人と人との関わりには多かれ少なかれあると思います。

そしてそれは、呪いになったりする。「うるさい私は私の好きなようにする」と思っていても、心にできたささくれが化膿して、じゅくじゅく残り続けてしまう。

相手に自覚があるのも面倒だし、自覚がないのは余計に厄介。

しかも、外的要因の一番嫌なところは、現在進行形で常にいろんな方向から他人がぶつけてくるというところです。一個なんとかできたところで、不意打ちで新しい呪いができたりする。

ほっといてくれ……って言いたいけど、そのエネルギーさえ吸い取られることもある。


内面をなんとかしようと自分と向き合い続けると、「なんでわたしこんななんだろ」って突然限界を迎えて泣いてしまう時があって、

他人にかけられた呪いをふっと自覚して、解ける気もしなくて、先の道行きに絶望を感じることもあって。

そんな時こそ聞きたいなぁ、と思うのが『WANNABE』という曲なのです。

だって、バッチバチに格好良くキメた女の子たちが、言いたいこと全部言ってくれるから。

「なんで他人の人生にそんな関心あるの?」とか、「ほっといて」とか、「申し訳ないけど、気にしないでくださる?」とか。

改めて自分と向き合う気力をもらえるし、自分に干渉してくる人たちを軽快に(心の中で)蹴り飛ばす元気ももらえるし。

最高にかっこいい女の子たちがこんな歌をうたって応援してくれてるんだから、いろいろ面倒だし全部捨てちゃおっかな、なんて投げ出したい日も、とりあえずおいしいもの食べて、入浴剤の入ったお風呂で体ほぐして、ヘアサロンとかネイルサロンの予約入れて、寝て、明日からまたなんとか人間しよう、という気持ちになれる、という話でした。(まとまらない)

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