見出し画像

みんな忘れてしまったとき残るものはなんだろう

おばあちゃんは認知症で数年前から施設に入っている。
そんなおばあちゃんが久々に家に帰ってくるという。

新型コロナウイルスの影響で面会の制限があったり
面会すらもできなかったりするなかで
5類に移って施設からおでかけの許可が出たということだった。

おばあちゃんが来るのは午後。
午前の法務を終えた父が帰宅し
わたしのお昼ご飯をつくった後
バタバタと草刈りに行ってしまった。

晴れてるときは外仕事に行く父。
夕方からまた法務なのにタフだなー
とお昼ご飯をのんびり食べていた。

おばあちゃんは懐かしさなのか寂しさなのか
泣きながら送迎の車からでてきた。
赤ちゃんかわいいねと言いながら
わたしのことは誰か分かってなさそうだった。
もう「えっちゃん」と呼んでもらえないのかもしれない。

ばあちゃんがひいばあちゃんになるなんてなんか不思議


おばあちゃんは花がとても好きな人で
元気だったころは畑にいっぱいの花を育てていた。
身体が弱ってからは花の心配をし
いろんなことが分からなくなってからは
みんな花が綺麗だって言ってくれるんだと
呪文のように繰り返し話していた。

帰りがけに庭のカラーの花を見に行った。
着いた時から「綺麗だ」と言っていたらしい。
送迎の車に乗って少しごねはじめたので
帰りたくないのかと思ったら
「花がほしい。本堂にお供えしたい。」と。
本堂にはお供えしたよと2.3本を切って渡した。
カラーの周りは綺麗に草が刈られていた。

いろんなことを忘れてしまっても
お花と仏さまはおばあちゃんの中にあって
忘れたくないとか大事にしたいとか
そんな自分の感情じゃないところにあるのかもしれないと思った。

仏さまへのお花が心配なおばあちゃん
花のまわりの草刈りをする父
前日からぜんざいを仕込んでいた母

いろんな心残りや後悔があるんだと思う。
だけどみんな今の自分にできる精一杯と折り合いをつけながら
思い通りにやれない自分と向き合って
なんとかやりすごして生きてるんだと思う。

モノも感情も、なにももって還れないんだから
残った生き様が在りたい姿であるように
日々を必死に生きる努力をしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?