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誰と一緒にいたくて、誰といたくない?#15

家族とは、「与えられるもの」ではなく、「選ぶもの」なのだ。 もしも改善の余地がない関係だったとしたら、たとえ親子であっても、その関係を断ち切ってかまわないのだ。

と「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。」という本の中で、幡野広志さんが書いていました。幡野さんは、多発性骨髄腫というガンを発症し、30代で余命を医師から宣告されている方です。

そんな幡野さんは、本の中でご自身の母親ともう二度と会うつもりがないことを書かれています。家族、それも母親との関係でさえ「選ぶもの」だということにつながるのかもしれません。

「ほんとは誰といたくて、誰といたくないんやろうか?ちゃんと、選んでいるんだろうか?」

と、本を読んでいて、改めて思わされました。よく周りの人から「誰かに誘われると、断ることができない。」という言葉を聞いたりもするけれど、ぼくはまったく反対で「断りすぎて、誘いを受けることもない。」ことのほうが、多かったりもします。

そういった意味では「誰と一緒にいたくないか?」という意味では、比較的選んで動いてきたような気もします。でも、反対に「誰と一緒にいたいか?」は、あんまり考えたこともありませんでした。

そしてそれは感情論ではなく事実として、たまたま生まれた家族の場所の運が良かったこと、その結果として、そんな疑問を本気で考える必要がなかっただけなんだと、本を読んでいて痛感しました。

だから「誰と一緒にいたいのか?」という疑問に、無理やり答えをひねり出してみれば、

「自分が誰よりも大事だとわかっていつつも、どこかで、自分よりも相手を優先してしまう人。そしてどんな形であれ、変わり続けたいと思ってる人。」

とかなのかもしれません。

読んでくれた方ありがとうございます。一緒にいたい人は、ほんとは自分がありたい姿のことで、全然そんな姿になりきれていない今の自分自身が目に映ると、ちょっと落ち込むよね。

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