缶に誘引されてしまう
読みもの「缶に誘引されてしまう」
缶はズルい。
ノスタルジーで
一種異様な
引力を持っている。
買うつもりがなかったのに
缶のおかげで
つい購入してしまうものがたくさんある。
とりわけ、
クッキーやチョコレートの缶などは
その愛らしさを競い
食べ終わった後に
何を入れようと妄想するまでが
一連の流れであるから、
ああ、私は今
いわゆる「体験を購入している」と
気づいたりもするのである。
実際は
大きく膨らんだ
缶の使用方法の妄想とは裏腹に
入れるものが
意外と無かったりする。
それでも
すてきな缶というものは
捨てられないものだ。
*
さて
ここまでで述べた
「缶」は
ある程度大きくて、
中身を食べ終わったら
何かを入れて使うという前提の
「すてきな缶」であるが、
缶の中身を
永遠に補充して使用している
例外とも言える缶が
一つある。
長野で売っている
八幡屋礒五郎の七味唐辛子である。
中身を食べ切ってしまったら、
中身を買ってきて
また詰めるのだ。
缶の蓋をくるりんと回すと
七味の小さな出口が登場する。
もう少し回すと
それは蓋となって閉まる。
回転ドアのような仕組み。
そのシステムは
今っぽくないけれど
そこがまた
たいへん愛おしい。
*
ただ
味わい深さにはリスクが伴う。
まだ娘が小さかった頃
親戚みんなで出かけた長野の蕎麦屋で
「天ザルはいくつだ」などと
大人たちが注文に気を取られている隙に
娘は静かに、
いつの間にか
八幡屋礒五郎の唐辛子缶
(しかもでっかい方の缶)を
その手に保持していたのである。
そして
事件は起きた。
娘はすばやく
缶の蓋を上方向に思いっきり引っ張り、
その勢いのまま
中身を全てぶちまけたのだ。
ミーンミーン……
静けさや、蕎麦屋に染み入る蝉の声。
そんな長野の思い出。
*
一族てんやわんやの中、
お店のおばちゃんが
片付けを手伝って下さったのだが、
あったかやさしく対応してくださり、
あまりのありがたさに
キュンとした。
蝉の声のみならず
長野の人の優しさがぐんぐん沁みた。
そんな
本当に忘れられない思い出。
*
缶は人を誘引する。
子どもも、大人も。
八幡屋礒五郎、ずっと買い続けています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?