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缶に誘引されてしまう

読みもの「缶に誘引されてしまう」


缶はズルい。

ノスタルジーで
一種異様な
引力を持っている。

買うつもりがなかったのに
缶のおかげで
つい購入してしまうものがたくさんある。

とりわけ、
クッキーやチョコレートの缶などは
その愛らしさを競い

食べ終わった後に
何を入れようと妄想するまでが
一連の流れであるから、

ああ、私は今
いわゆる「体験を購入している」と
気づいたりもするのである。

実際は
大きく膨らんだ
缶の使用方法の妄想とは裏腹に
入れるものが
意外と無かったりする。

それでも
すてきな缶というものは
捨てられないものだ。

さて

ここまでで述べた
「缶」は

ある程度大きくて、
中身を食べ終わったら
何かを入れて使うという前提の
「すてきな缶」であるが、

缶の中身を
永遠に補充して使用している

例外とも言える缶が
一つある。

長野で売っている
八幡屋礒五郎の七味唐辛子である。

中身を食べ切ってしまったら、
中身を買ってきて
また詰めるのだ。

缶の蓋をくるりんと回すと
七味の小さな出口が登場する。
もう少し回すと
それは蓋となって閉まる。

回転ドアのような仕組み。

そのシステムは
今っぽくないけれど
そこがまた
たいへん愛おしい。

ただ
味わい深さにはリスクが伴う。

まだ娘が小さかった頃
親戚みんなで出かけた長野の蕎麦屋で

「天ザルはいくつだ」などと
大人たちが注文に気を取られている隙に

娘は静かに、
いつの間にか
八幡屋礒五郎の唐辛子缶
(しかもでっかい方の缶)を
その手に保持していたのである。

そして
事件は起きた。

娘はすばやく
缶の蓋を上方向に思いっきり引っ張り、
その勢いのまま
中身を全てぶちまけたのだ。


ミーンミーン……
静けさや、蕎麦屋に染み入る蝉の声。

そんな長野の思い出。



一族てんやわんやの中、
お店のおばちゃんが
片付けを手伝って下さったのだが、

あったかやさしく対応してくださり、
あまりのありがたさに
キュンとした。

蝉の声のみならず
長野の人の優しさがぐんぐん沁みた。

そんな
本当に忘れられない思い出。

缶は人を誘引する。
子どもも、大人も。

八幡屋礒五郎、ずっと買い続けています。






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