見出し画像

夢から覚めないあなたへ

 生物は寝ているときこそが本来の姿で、我々は意識を持つように進化してしまったらしい。

 鳥はできれば飛びたくないとはよく言ったものである。

 では、『いつになったら目覚めるのか』と母にキレられたことのあるわたしの話を聞いてほしい。

明晰夢というものをいいものと思ってはいけない

 筆者にとってオールカラーの夢はデフォルトなのでむしろ色のない夢など想像もつかない。

筆者にとって夢は実に身近な存在だ。

 例えば目を閉じれば異世界にある大きな木が空に見えたりするし、ある程度なら夢の実況ができる。

 これらは寝ぼけた脳が聴覚視覚などを誤認しあるいはモダニティを超えて視覚を聴覚と間違えていたりその逆と言った普段絶対やらないエラーの結果だと認識し、

(※当然だが普通の人は音に色を感じたりはしない。寝ぼけていなければ)

 また人間の知覚や身体、精神の知識を放送大学の勉強を通して得たから筆者は最近日常生活に支障を起こさなくなってきたのであって、そうでないときはかなり大変だった。

あなたは職務中に道路にダイブする日常が想像できるか

あいつは夢と現実の区別がつかないと夢がちな方々を揶揄する人がいるが、アレは宝くじが当選してほしいとか株でFIREしたいとか、際限なくギャンブルやソシャゲのガチャしたり、どっかの情報商材屋が連呼する『銀行預金など無意味だから全額投機せよ』など(※実際は融資額に影響するし、不動産購入時の信用に影響し、自己資本なので超格安で九割借りてIPOなどなど色々使えるのでカードローン不要になる)、夢と現実の区別がつかないと言われる人の多くは単に勉強不足や現実を見たくない可愛らしい人のことでしかない。

 筆者は人様からみて夢のような、現実離れした体験をするが、これは記録や他の客観的事実があるから『夢でないし妄想でもない』と筆者体験談である無笑シリーズに書けるのだ。

 単に記憶にないはずの体験や友人などならいくらでもあるしいる。数年間母校の存在しない盛り土山に布団を敷いて寝ていた思い出、存在しない友人や恋人や彼らとの冒険、妙な構造をした四国にある別宅、教師に直談判して再入学した高校の思い出などなどだ。冷静に考えてあり得ないので、客観的資料がないなら自分の記憶など信じてはいけない。

もちろん事実もある

 例えば雨のふる土曜に『雨に濡れたくないから』と店の軒先に軽トラごと突っ込んできて『支払いにきた』という愚か者の話はちゃんと業務日報にある。

 ……それはそれで問題だが。

筆者は自分が見えているものを信じていない。

 なんせ普通に歩いていても、夢がその映像を見せていて、車に轢かれかけるのだ。

(※だいたい繰り返し映像なので『最近は』わかるようになってきた)

夢はあなたを殺しにくる

 明晰夢を見る方法とか夢日記とかをやるのは筆者的にはお勧めできない。あなたが夏目漱石や黒澤明なら戻ってこれるだろうから止めないが多分そうではないだろう。

想像できないだろう

 苦痛を再現し、臭いがあり、視覚と聴覚で現実そっくりなら、普通の人にとっては現実である。

しかし、筆者にとってはそうではない

 まあ、筆者もだいたい『臭いがない。味しない』とある程度判断するのだが、これは夢側のフェイントであり、筆者は夢は味や臭いを再現して筆者を殺しに来ることがあるのをちゃんと知っている。

 筆者は昨今こなれてきて金縛りにあっても根源的な恐怖や身動きできない恐怖に苛まれ全身に力が入らない無力に歯噛みしつつ、あるいは宗教でこれらのお化けを追い払うだけの信仰を自身が持っていない事実も認識している。

なので、知人のSM嬢が客の股間を飾るべく指紋がなくなるまで磨いた針を夢に出して悪夢のもとをブッ刺したりする

 夢に言わせると『それは反則だろ』らしい。曰く君ののトラウマや見たくない己の醜さや苦悩を消化する必要があって見せてるから、そんなことされたら君は成長できないし、色々困るよらしい。

 正直すまんこった。でも君は時々無茶苦茶するから仕方ないだろ。

 それに『聖剣とかのイメージでは私は殺せないし、おまえの信仰心ではお経は効かない』と言ったのは君だ。

進撃の明晰夢(※幻覚)

 一種の精神異常なのだろうし、心療内科案件なのかもしれないが、筆者が勇気を絞って精神科に行ったら『君が甘ったれているからに過ぎない』と断言されて以来、筆者は自力で勉強し自己救済を余儀なくされた。

 明晰夢が日常な筆者は、現実の見聞きしているものが寝ぼけて見えているものかわからないことが多い。

 普通に見えてるつもりで、道路にダイブしかけたことなど毎日あり得るわけで、今の今までよくサバイブしてきたと呆れる限りである。

 筆者は高校の化学がわからなかった。全く理解出来ず早く終わって欲しい科目であった。

 この夢を筆者は時々見る。

 何を言っているのか聞こえても意味わからないし、つまらないし、繰言に感じる。

 あまりにもつまらないのでつまらない授業と夢の中の教師に抗議した。

『おまえが何も学ばないからだ(※だから高校の時のつまらなく内容理解できない授業の夢を見せてる)』

 これは夢の教師の発言である。当時はネットゲームでよくイベントを主催したり事前に情報得たりしていたのに、脳にとってはルーティンにもならない刺激や勉強とも言えない体験だったらしい。

 他にも『夢だからと好き勝手できると思うな』とか『おまえが何も学ばないから高校の時のつまらなく内容理解できない授業の夢を見せてる』とか、他にもガチ苦痛や匂いなどを伴って筆者が明晰夢をより見るようになるほど夢は現実を偽装し反撃してくるようになった。

明晰夢はお勧めできません

たとえ悪夢でも夢は普通に見たほうがいいです。

 悪夢はあなたの見たくない部分であなたを成長させてくれます。いいじゃないですか自分が死ぬ夢も。あなたがほんとに死ぬことが減りますとはどっかの漫画雑誌で見た読み切り漫画より。

ピアノの達人は寝ている!?

 筆者は眠りながら剣道できたりする。一応映像は見えてるらしい。時々見えて意識的に動くこともあるけど意識朦朧しておりだいたい自動反撃。

 なんか最近の漫画の登場人物にそんな人がいるらしいが少なくも筆者は空は飛べない。パルクールやボルタリングなら習ったことがあるが。


 何故こんなことできるかというと暴力の応酬が嫌すぎて私が意識を手放してしまうから。嫌なことが起きると筆者の脳は筆者の意志と関係なくロックダウンする。


 ピアノの達人は脳科学的には寝ていたりするみたいだが、これはソースを出すことができなかった。ひょっとして筆者はこの記事を夢の中で見たのかもしれない。

結論は出せるが説明責任を果たせない

 オードリー・タン氏は著作にて、寝て考える体験を記している。寝て考えるのはディープラーニングと同じく通常の思考と異なり、AIが結論に至った過程を説明できないように自らもその結論はえたものの、大臣として皆に説明しないといけないと書いている。全く論理的思考は大事だ。しかし問題解決にはアートが大事だ。両輪なくばならない。

 筆者は幼少期の答え合わせの授業で、独自の返答をした生徒の手法が3回使えたら公式として使っていいと言う方針を示す教師によって数学の楽しさを教えられたが、のちに中学生になってから結構教師に叱られた。

筆者にも理解できないが、解答だけがわかってしまうのである

 カンニングの疑いをかけられた筆者は一人で再試験した。

 もちろん筆者はスラスラと回答を書いた。

 ただ回答しただけでなく、間違いもある。

 そこがさらに教師たちの理解を超えた。どうもコイツはカンニングせず、解答だけなぜかわかると言う。

『思考過程を記述しないと採点しません』『横暴だ!』

 いや、これは仕方ないよ当時の筆者。おかげで今助かっている。

 オードリーさんだって政策を説明するとき『夢でみたから』とは言わない。ちゃんと説明するのと結論を出すのは別だ。少なくとも筆者には。

説明すること、思いとどまるためのシステムを作ることが人生には必要である

 いわゆる天啓や気づき、悟り、インスピレーションととかく思いつきを人は大事にするが、筆者が思うにこれらは寝ぼけているか、あるいはその人の体験以上のものを呈することはまずないと断言できる。

 筆者はいわゆる天才な人と会話したことがあるが、そう言う方の一部は陰謀論も大好きであることを知っていて全面的に信じてはいけないと理解している。

 そういえばドラえもんの出木杉くんもオカルト大好きだな。のび太くんしか真面目に相手してくれないから普段押さえているし、現実世界で生きる上でナンセンスと理解している節がある。パスカルの賭けというものだろう。

パスカルの賭け(パスカルのかけ、フランス語: Pari de Pascal, 英: Pascal's Wager, Pascal's Gambit)は、フランスの哲学者ブレーズ・パスカルが提案したもので、理性によって神の実在を決定できないとしても、神が実在することに賭けても失うものは何もないし、むしろ生きることの意味が増す、という考え方である。『パンセ』の233節にある。『パンセ』は、パスカルが晩年にキリスト教弁証学についての書物を構想して書き綴った断片的ノートを死後にまとめたものである。

 筆者にとって明晰夢とはパスカルの賭けであり、あるいは嘘つきや説明不能の結論である。

 現実世界を生きる上で、刺激になっても困難極まるので、筆者のような人生はあなたにはお勧めできない。


自称元貸自転車屋 武術小説女装と多芸にして無能な放送大学生