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声が聴こえる

プロローグ

 埃の焦げるような甘い香り。緊張のあまり呑み込む唾液もない。『山中 華』は慎重に『まうす』を動かす。気を抜くと華の視界から小さな小さな矢印が消えてなくなってしまう。ふうふうとため息をつき、指を何度か動かす。ダブルクリックという動きができない。

 慌ててカチャカチャとやっていると彼女の『やじるし』がどこかに消えている。どこに行ったのか。やじるしを取り戻すべく出鱈目にマウスを動かす華。かちゃん。

『終了しますか』

 突如現れた表示に驚く華は「ちがう。ちがう。あなたきえて」とつぶやいて出鱈目にそのポップアップを消そうとする。娘の『まいこん』は指をあてて消えたはずだ。彼女は知らないがこのディスプレイにはそのような機能はない。そして娘が使っていたものは『まいこん』ではなく、iPadである。

 出鱈目にクリックやドラッグを繰り返したので大きく文章を選択してしまい、それが一気に消えた。

「あーん! 先生きてきて!」

 ついに泣き言を放つ華に彼女の娘より若い『先生』は小ばかにしたようにつぶやく。『なんでわからないのですかね~~』といいつつ魔法のように治す。


「やだやだやだ! 時計なんて読めなくても何の役にも立たないから大丈夫だよ!」

 幼い子供をあやす華。
 とりあえず読めたほうが良いという意味になるので彼女の娘が錯乱しているのは間違いない。

「じゃ、お昼ご飯は」
「おなかすいたらたべる」

「友達と遊びに行くときどうするの」
「お母さんがおしえてくれるもの」

 ぼーん。ぼーん。
 古時計が鳴る。

 華はカップラーメンのふたとなっていた皿を取り除く。前々から用意していた野菜類と肉を追加し、期待に目を輝かせる娘に微笑む。

「三分たったから食べるけど、それじゃ伸びたりカチンコチンの麺を食べないといけないわね」
「いいもん! それでもお母さんのごはん美味しいもん! だから時計の勉強は許してお母さん!」

 哀願する少女に苦笑する若き日の華。

「わからなくてもいいから、三分だけ教えるわ」

嫌なことは三分だけ。三分の幸せは永遠に

 ――お母さんへ。
 私が子供の時の事を覚えていますか。
 小学校の時計の勉強で挫けていた私に『わからなくていい』とお母さんは教えてくれました。

 でも、少しだけわかるようになっていれば、毎日やればいつかはわかることが楽しくなると教えてくれました――

「いーち。にーい。さーん……ろくじゅう」

 カップ麺を前に鼻息荒く、早く食べたそうにぐずる娘に微笑む若き日の華。

「まだあと57秒と2分あるわ」
「100とかならわかるけど60とか納得できない!」

 そうよね。なぜ60なのかしらねぇ。
 華は苦笑いしつつ分度器を持ち出そうか思慮して辞める。60進法などわからないだろう。

「じゃ何故ろくじゅうびょうが一分か考えようか」
「えっと、わたしに嫌がらせするため!」

 そんなはずがない。

 だが、時計は親子の会話の間に三分を刻み、彼女の娘はおいしそうにそれを食べる。


「やった! やったよ! 先生まいこんが動いた!」
「そりゃ動きますよ……ってうわわ!」

 喜んだ華の振り上げた杖がディスプレイの端をたたき、倒れかけたそれを先生は慌ててそれを支えた。幸いにもヒビは入っていない。それでも怒りの表情を浮かべた先生は。

「やーまーなーかーさーん!?」
「……ごめんなさい」

「いっときますけど自分のおばあちゃんみたいな歳のひとにあれこれ言いたくないのですけど機械音痴にもほどがあります。だいたい向上心ってものがなさすぎますしそもそも覚えようという気力があるのですかまったくそれから山中さんには同じ失敗を何度すれば」

 後はよく覚えていない。
 歳をとるのは便利なものである。

 そういえば娘も頻繁に怒っていた。

「お母さん! またお母さんが洗ったお皿の裏が汚れている!」
「あら? 気付かなかったわ。ごめんね。裕子」

「ほんとお母さんはどんくさいのだから! 二度手間もいいところよ?」

観光客が去った京都にて


 華は杖をつき、市バスに乗る。
 やたら大きくなってしまった京都駅。コロナだかなんだか知らない病で外国人観光客が少なくなった。おかげで皮肉にも市バスは大変便利になった。

「あ、おばあちゃんどうぞ」
「あら、ありがとう学生さん。だけど学業に専念しないといけないあなたと違ってわたしは身体を鍛えていますからお友達と一緒に」

 コロナ騒動前と違って各段に席を譲ってくれる人も増えた気がする。

 ぺこりと頭を下げた男子学生と逢瀬の邪魔をされずに済んだ彼女と思しき女の子に微笑む華。

「そういえば眞さんともああして出会ったのだっけ」

 尤も彼女が学生だった頃はなかなか隣に座るなど大胆かつ破廉恥な真似は出来なかったが。

 あの時はテニスをこなし結構活発な女学生だった。
 今の華は古式ゆかしい地味ながら上品な着物を季節に合わせてきっちり着こなし、148センチの体格と老眼鏡もあって善良そうな雰囲気をもつ。
 誰に似たのか164センチの大柄で悪い意味で京都人らしく恋人に対してもイケズな娘とは好対照だったが、若いころの活発さが似たのかもしれない。


「お義母さん。あれはツンデレというのです」

 東京出身の義息子はそう述べたが華にツンデレとやらは理解できなかった。

 例えば今大量に出現している窓とかのように。
 ポップアップウインドウとかいうものだがやっぱり華には覚えられない。覚えたくても新しいものに脳が拒否反応を起こす。

「あわわわ……消えて消えて……。えっと『ウィルスが発見されました。すぐにこのプログラムを消してください』……え、こっちは『ウィルス反応がありますからこのプログラムを入れてください』。えええ100まんえん振り込んでって……そんなお金ないです」
「やーまーなーかーさーん」

 こんな事態は娘のお産の時以来だ。
 自分も経験があるから内心はこれくらい慌てていたが表面上は堂々と対応できていたかもしれない。

 仕事で席を外している義息子が駆け付けるまでに救急車を呼び道具を揃え、娘を連れて三条通を抜けた。

 あちこちたらいまわしされる間、娘が細い指を絡めてくる。皺のある指が娘を撫でる。

「ぜったいだいじょうぶ! うちがまもる!」


 そう誓った命は本当に小さく、弱弱しく。親指より小さなてのひらで彼女の指をつかんでいた。

 赤くて、小さくて、髪の毛もまばらで。
 でもその鳴き声は生命力に満ちていて。

 娘に似ても似つかないのに娘そのもののように愛おしくて。

 華は泣いた。うれしくて愛おしくて泣いた。
 それは娘の誕生の時とはまた違った嬉しさがあった。

 そして今の華は別の意味で泣きたい。

『???????????』

 すまほというものが全く分からない。
 娘は言った。

「だから、洋一と話すのにLINEがあったほうが便利でしょ。で、LINEを入れてWi-Fiを繋げば電話代がかからないの。お母さんどうせ家の外であまり電話かけないでしょ。だからスマホで、LINEはスマホじゃないとLINEペイとか使えないよ? ZOOMとかTwitterとか私もやっているからそれも入れてほしいしあとSkypeもやってくれないと洋一にコロナうつしちゃうかもしれないしうつされちゃうかもしれないでしょ。だからスマホくらい」


「よくわからないけど携帯電話じゃだめなの」
「今どきガラケーなんてAUでしか買えないよ?! この間私が契約みたらアニメだの映画だのよくわからない契約ばかりじゃない。一か月たったら解約手続きしないとドンドン無駄なお金を使っちゃうよ! お母さんは機械音痴なんだしこれからどんどん大変になるよ! ロボット掃除機とか食洗器とかドラム式洗濯機とか使えたら孫と遊べる時間も増えるじゃない。もうちょっと頑張ってくれないと」

 孫に会いたいのにコロナとかいう病気で難しいらしいのはわかった。娘曰くうつされたら会社を首になるそうだ。そのためにはずーむとかすかいぷ? だのをやらなければいけないそうだがその区別がつかない。

 膨大なマニュアル。新聞紙の裏に書いたメモの山。
 整理もできずに呆然としている華の脳裏に娘の声がよみがえる。

「あとあと、『小説家になろう』ってサイトで私も小説書いているからポイント入れてほしいけど私のパソコンでポイント入れるとバンになるからそれはやめてほしいの」

 本当に当時の娘が何を言っていたのかわからない。
 とりあえず華はまいこんが相変わらず苦手だ。

「裕ちゃん。わたしあなたの声がもっと聴きたいよ」


 ――お母さんがスマホを受け取ってくれた! すごくうれしい。これからもっと話ができるよね! 洋一もおばあちゃんがLINEグループに入ってくれてすっごく喜んでいるの――


 しかし華がそのLINEグループとやらに返信することはなかった。そもそも携帯を起動しなければいけないし、電池は消耗すると聞いた。もったいないから充電なんてできるはずがない。前の携帯電話は週に一回充電すればよかったのにこれは一日持たないらしい。家に電話があるのだから無理に充電してしまったら高い商品である大切な電話がもったいない。

 時々娘が電話で怒鳴りつけてくる。

「充電しなきゃいけないでしょ!」
「だって裕ちゃん。裕ちゃんのくれた大事な電話の充電が切れちゃうじゃない」

「充電が最初からきれているでしょ! なによその勿体ないって。連絡つかないし持ち歩かないのに携帯電話持っても意味ないでしょ。洋一だってばあちゃんとお話したいって言ってるのに!」

 華は今も古びた新聞紙の裏のメモを必死で探す。ろぐいんぱすわーどとやらを大量に覚える必要がある。華には覚えきれないので適当なメモ書きを使う。


 華はその日、最近できた家電量販店の前を通っていた。孫にゲーム機を買ってあげる約束をしたのだがファミコンがない。確かスイッチというらしいけど。

「スイッチをください」

 華が訪れた先は部品コーナーである。

「花札を作っているとこのスイッチがあるみたい」
「?????」

 店員も困っている。

「いや、お母さん。花札メーカーはスイッチ作らないよ」
「ごめんなさいね。お忙しいところ邪魔をして。でもあるって娘たちが言っていたのです。今日こそは買ってあげるって孫にも」

 変なことをいう老人に困り果てた店員は誰かを呼んでくる。相談を受けた四〇代と思しき店員も任天堂が花札メーカーであることを知らない。

「なんか変なばーさんに絡まれているのか」
「クレームウザいです」

 そうじゃないのだけどどうしてかしら。華は悲しかったがそれを如何にして若い人に伝えるかわからない。


 華は電話に出る事だけは出来る。

 おしゃべりな友人たちは頻繁に電話をかけてきて自由な時間を欲しがる華をずいぶん辟易させてきたが、携帯電話を持ったことで最近はさらにその傾向を高めている。

 だから、その日も携帯電話を持たずに外に出た。
 娘がくれた大切な電話を無くしてしまったり盗まれてしまっても大変だから。


 そして、それが裕子。彼女の娘との永遠の別れになった。


「お婆ちゃんにはつながらないの!?」

 洋一が泣いている。
 雄介は妻に何度も声をかける。

「今、お義母さんをよんだから! よんだからがんばれ裕ちゃん!」
「雄……ちゃん……かあさん……」

 家族三人の買い物をため込むべく大量に買い込んで足元も見えない状態の裕子はよそ見運転でウォーク系アプリを楽しんでいた電気自動車に撥ねられたのだ。


 雄介は必死に電話をする。
 義母の家には黒電話しかない。

 何度も何度も電話をする。
 空しく音が響く。

 裕子の心臓の動きを伝える電子音が響く。
 洋一は母にすがり、泣きつかれたようにしている。

「母さん……母さん……おばあちゃんがくるから! 絶対絶対助かるから頑張って! がんばれ!」

「――お母さん。私ね。すっごくすっごくお母さんのことが大好きなの。なのになぜ……もっともっと優しく……いえ……」

 急に意識を取り戻した裕子に喜色を浮かべる雄介と洋一。
 スマートフォンを取り落として愛する妻に、母に抱き着く二人。

「あのね……ようちゃん……わたし……いっぱい……なろうに……あとツイッターとかこえろぐとか……」
「お母さん……」

「さびしく……ないからね……私いつもきついいい方ばかりでお母さんみたいに穏やかにしゃべれなくて……自分があんまり好きじゃなかったな……」


 投げ出されたスマートフォンはそのまま華の自宅に電話をかけ続けていた。
 一方そのころ、町屋に住む華はご近所の人に電話がうるさいと叱られていた。

「ハナちゃん。あんたインチキ電話に注意しなよ。今日は何度も馬鹿にかかっているから無視しなさいよ」

 教えてくれてありがとうと礼を言うと華は慌てて帰宅すると悪い人に騙されないよう電話回線を引っこ抜いた。これで安心。

 ならない電話が縁側においてある。

 華はいつものように夕暮れを眺めながら愛猫のシロを撫でる。シロは夫である眞が拾ってきた猫だ。今でこそ老猫で人間に換算すれば華より年上だがあの頃は手のひらに収まるほど弱々しい存在だった。

「シロ。良い夕陽だね」

 華は夕陽を眺めながらお茶を用意する。
 もうおせんべいは楽しみにくくなったけど孫がかってきてくれたもみじ饅頭がある。本当は八つ橋が好きだが喉に詰まると娘が食べるな食べるなとうるさいのだ。他にも娘は最近、自転車に乗ると斜め横断するから禁止とうるさい。ちょっと急いで赤信号が変わる前に走っただけなのに。


 華は変わり果てた娘の前にいた。
 傷は縫い合わされ、病院の看護師が化粧を施しその容姿を整えた姿は結婚式のあの幸せそうな裕子と変わることはない。違うのは白いドレスが白い院内服に代わっているくらいだ。

「ゆうちゃん……」

 充電池が損耗しないように大事にしていた宝物。娘のくれたスマホを取り落とす。

「ゆうちゃん……」

 よたよたと杖を突く。
 走りたいのに走れない。

 がたがたと揺れる杖はあちこちをつき、大好きな娘のもとにつれていってくれない。

 移動ゲームアプリを楽しんでいた犯人は現場から一度逃走し、無実を訴えているらしい。そんなことは今の華には関係がない。

「お義母さん! なぜ充電しなかったのですか!」

 思わず責めてしまう雄介。

「おばあちゃんのばか! お母さん呼んでいた!」


 何度も何度も洋介がその小さな拳を彼女の腿に当てる。家にスイッチは置いてきた。そして今やそんなことは華にはどうでもいい。

「ばあちゃんが悪いんだ! スマホを使ってくれないから! パソコンを覚えようとしないから!」


「お義母さん。ぼく何度も何度も電話したのですよ。相変わらず携帯に電源が入っていないから、家に何度も何度も……なぜ出てくれなかったのですか。隣の源六さんが家にいたって」

「だって……わたし」

 確かに華は家にいた。

 ただ、オレオレ詐欺がかかってきているらしいから電話回線のコードを言われるままに引っこ抜いていた。

 華がシロと夕焼けを楽しんでいたころ、裕子は息を引き取っていた。
 妻が死んで義母の事を考えるどころじゃなくなった雄介と洋一はハイエナのように待機していた葬儀屋と交渉したり親せきに声をかけたり、義母の家に源六さんを使いに寄越したりと大変だった。


 雲が消えていく。
 白い雲が斎場の煙突からたなびいている。


『あの雲のように自由に』

 裕子はそのような作文を書いていたらしい。毎回『きょうえんそくにいきました。おわり』という内容の作文を書いていたのに小説を書いているとか不思議だったし読みたかったが老眼でパソコンを開いても文字が追えない華には早々にあきらめざるを得なかった。

 華は空を見た。
 憎らしいほど青い空に白い雲。

「ゆうちゃん」

 喪服の裾を気にせず、草履を運ぶ。

「ゆうちゃんの声が聴きたい」

 空に向けて手を伸ばす。

「ききたいよ」

 この歳になってはじめてしった。本当に悲しいときは涙も枯れるのだ。

「華さん。死に目に会えなかったらしいよ」
「スマホ使えないから電源切っていたって。ありえないよね。うちのお母さんはちゃんとしつけておかないと」


 その話を聞いた人々はどよめく。思わず声が大きくなってしまったらしい。

「なんかオレオレ詐欺にかかるからって裕子ちゃんが死んだ日は回線抜いていたって」
「うわ。トシでしょ? 死ぬ前なのに娘よりお金が大事なのね」
「ま、大したお金もないだろうけどね」

 華はそのような言葉を黙って受け止めた。
 ただ、その日は娘の為に来てくれた人々にお礼の言葉を述べた。


 数日後。
 華は同じ建物の前を何度も何度も往復していた。

『パソコン教室。高齢者の方もお気軽に』

 裕子は声優志望だったことがある。『声優さんってずいぶん学費がかかるのね』と呆れたものだ。俳優さんになりたいならばもっとこう演技とかしないと。

「お母さん! 今の声優さんはアイドルみたいなものだから!」

 そういって発声練習をする裕子は楽しそうだった。自分の声をたくさんの人に届けるとうれしそうだった。


 娘は『ばーちゃんゆーちゅーばー』などということもしていたらしいが、全く分からない。その動画の娘は珍奇な二頭身キャラクターで親のひいき目もあるだろうが正直娘のほうが可愛い。華には娘のセンスがわからない案件だった。


 発声練習をしていた娘の時よりも華は緊張した声を出したろうか。

 必死だった。

「あ、あのその……ここはまいこんを教えてくれるところですよね」
「あ、はいそうですけど……まいこん? パソコンならそうですね。あとスマートフォンとかZOOMとか」

 華は必死で青年に頼み込んだ。

「おしえてください! 今からでも!」

 裕ちゃん。
 裕ちゃん。
 お母さん。あなたの声が聴きたいよ。

 華は必死だった。
 慌ててゆうちょ銀行に行き授業料を工面する姿にオレオレ詐欺と間違えた郵便局のひとが静止する程度に。


 華は挫けなかった。

 例えポップアップが大量に出てフリーズしても。
 例えSNSで被害者たたきが始まっていると知っても。

 例え犯人が無実を訴えているとわかっても。

 華は憎まなかった。
 華は泣かなかった。

 だが、こころから。

「裕ちゃん。裕ちゃんの声が聴きたい。裕ちゃんの小説を読んでみたい」

 その言葉を聞いて先生も奮起した。
 先生は華にパソコンやスマートフォンを教える傍らあっちこっちの裁判資料を揃えてくれた。

「でも、娘さんのスマートフォンのパスワードはぼくにはわかりませんよ」

 これだけはお手上げ。
 先生はそう告げた。

 華は裕子の書いた小説を読んだ。母と幼い娘の奮闘の物語。娘が子供を得て初めて分かる母の気持ち。


 華は娘のVtuberを見た。
 毒舌で愛らしく、お母さんネタを時々放つフランケンのようなぬいぐるみが如何にたくさんの人に愛されていたのかを知った。

 華は娘のTwitterを見た。
 日記とTwitterを見ると娘の本音が分かった。

「お母さんにきつく言っちゃった。死にたい」
「子供を育てる自信がない」

「ごめん。お母さん」

 華は娘の残した声のアーカイブを聴いた。

「お母さん。大好き!」

 娘が。彼女が最初の最後に演じたキャラクターの声。
 夫である眞が亡くなった時もあの子は黙って抱きしめてくれた。

「本当は大好き。お母さん大好き」
「雄介が好き。洋一が好き」
「最高のお母さんだと思う」

 娘のTwitterには明るくて優しい言葉があふれていた。華は娘のスマートフォンを取り出した。
 きっと、今ならあの子のパスワードはわかる。


「はち、なな。やつはし」

 8784。華の名前と好物。

「いーこ」

 15。裕子は甘えん坊でよくそうやってなだめていた。

 年輪の刻まれた指が愛おしそうに娘の使っていたiPhone6を操作する。

 今ならわかる。最新のを手に入れたから要らないと華に送ってきたのは最新モデルだった。良いものを使うのがいいこととする娘らしい。

「……開いた」

 呆然とする先生。彼は慌てて雄介に電話をする。

「奥さんのスマホ、ロックが外れました!」

 華は見た。
 よちよち歩く洋介。
 夫婦でふざける雄介の笑顔。
 初めて立って歩く洋介とそれをハラハラ見守る自分。そして。

「はい。ようちゃんこっち。ママこっちだよ」


 娘の声。

「……ゆうちゃん」

「ままこっち。ままこっち。ばあちゃんが好き~~!」
「おばあちゃんって言わないで」

「お義母さん。おばあちゃんなのは間違いないのだから」
「歳とってみえるでしょ」

 拗ねる自分の声と『歳を取るって素敵でしょ』となだめる娘。

「だよな~そうやって俺ら歳とってずっと仲良くいような~~洋介もな~~」

 雄介の声が聞こえる。
 その雄介が仕事を抜け出して駆けつけてきた。

「母さん! 手がかりとかあった?!」
「そんなことより雄介さん……娘の……裕ちゃんの」

 こえがきこえるの。
 かおがみえるの。

 みんな笑っているの。
 すごくうれしそうで。たのしそうなの。


 ほろほろと華は泣いた。
 悲しさじゃなく、うれしかった。

 裕子に逢えたよろこびで、彼女は再び泣いた。

エピローグ

 数日後。新たな証拠により事件は大きく動いた。裕子に過失はないと証明できる動画が見つかったらしい。その写真は裕子のスマートフォンにはなく、別の学生がたまたま撮ったインスタグラムの動画にあった。


「おばあちゃん。酷いこといってごめん」

 洋介が泣いていた。
 華は黙って洋介を抱き上げてやった。

「ほらほら。みんな大好きだってママも言っていたわ」

 華は笑って洋介を撫でてあげる。嗚咽を漏らす雄介にも華は優しく手を伸ばす。185センチある雄介の頭は撫でてやれないが、さすってやることなら華にもできる。

 ――お母さん。雄ちゃん。洋一。私は、お母さんはみんなのことが大好きです。いつも素直になれないけど、本当に大好きなの。この気持ちは勇気が出たらいつか改めて伝えたいので録音しておきます。――

自称元貸自転車屋 武術小説女装と多芸にして無能な放送大学生