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#漫画 #きつおんガール #レビュー #感想

吃音はあなたの物語である。

 同じセリフを繰り返してしまったり、理解しているはずの言葉がつっかえて出なかったり、あるいは肺のポンプが声を出してくれない吃音の経験。

俺は吃音になったことはないという方へ。

 いや、このような経験は実の所誰にでもあると思われる。
 少なくとも筆者鴉野は英語を話すときは大いに吃音が出る。出ない日本人は少ないと思うがあくまで私感だ。

あ~~! 自分も習った英語が話せない! 

 そう思うと途端に『吃音』は特殊な、哀れな、障害者とかいったカテゴリに入れていた人たちだけが経験するといった認識や偏見のベールが剥がれないだろうか。あなたの経験として実感を持って思い出せないだろうか。

『あ~~! 自分も習った英語が話せない!』『音楽の授業でピアノとかピアニカとかリコーダーとか習ったけど楽譜とか覚えていないし今演奏できない!』等など唐突に思い当たる方は多くないだろうか。

この物語は『吃音』というあなた自身の物語になる。

 誰もが経験する『覚えた事、言いたいこと、やりたいことがあってもなぜか身体が動かない』に苦しむあなたの為の物語である。

もう必修図書にしてしまえ。

 空手が上手くても実際に暴力沙汰に巻き込まれると身体が動かず力が出ずへなへな脱力しボコられたりするのはよくある。
 技術があっても発揮できるようになるためには修羅場をくぐらなければならない。

役に立たないものこそ人生の支えになる。あなたの人生こそが自身になり自信となる。

 私事である。
 筆者鴉野の姉の話になるが、彼女は幼少時ピアノを習っていた。
 もちろん化学者である彼女がピアノを弾くことは現在無い。しかし。

『スコア(楽譜)を読みつつ、メトロノームを管理して見て、フットペダルを踏み、左右の手で別々に鍵盤をつま弾く経験がマルチタスク能力になって子育てで超役に立っている。お母さんありがとう!』

 彼女は上記のように申しており。

 書籍、『カンマの女王』にて著者メアリ・ノリス氏が述べていることだが、学びは別のところで役に立つことが多々ある。

「自分の仕事で好きなのは、人となりのすべてが求められるところである。文法、句読法、語法、外国語、文学の知識だけでなく、さまざまな経験、たとえば旅行、ガーデニング、船、歌、配管修理、カトリック信仰、中西部、モッツァレラ、電車のゲーム、ニュジャージーが生きてくる」(序章より)


他人の評価ではない自らの人生そのものが真の力になることを我が姉は教えてくれた。

 では、私事はほどほどにし、作者小乃おの氏が最も躓いたであろう会話に話を絞ろう。

 じつのところ誰もまともに日本語文法を意識して話していないし、接続詞や助詞に敬語五表現等など我々は全ていい加減に使っているしそれでも世の中何とかなっている。

悩むな。つっ走れ!

 鴉野は小説投稿サイト『小説家になろう』にて時々激しく読みにくい小説に遭遇する。
 多くはそのような話し言葉を『そのまま』小説に書いてあることに由来する。
 確かに現実の人間はいい加減な日本語表現でも身内に通じればいいが、『読者』である鴉野からみたらわかりにくいことこの上ない。

 では、如何にすればどもりつつも伝えたいことを言えるのか。
 経験を如何にしてアウトプットし、あふれてつっかえて出せない想いを伝えればいいのか。

 本書に出て来る吃音に対抗して作者が編み出した技術や言い換えなどの生活の知恵は普通に外国人に外国語で話しかけるときに使えるテクニックであり、スピーチにおけるもっとも実用的な知識の集大成である。作者は数々の講演やアニメの言い回しなどから吃音を制御し吃音が武器になる話し方を得ている。

幸せと不幸はセットでやってくる。

 しかしその習得までに至った過程が如何に幸せなことか。
 また幸せは不幸と共にあることを痛感せざるを得ない。

 彼女は幼少期両親があえて『気にしない』ことにしてくれたので幸せに過ごせたという。

 しかし長じて揶揄われ、あるいは躓き、言い換えの技術を身に付けてそれでも自分が悪いのか親が悪いのかと外部の目を気にせざるを得なかったようだ。振り返って考えてほしい。あなたにそのような経験が無いと言えますか。

学びを実践にするための障壁は誰にでもあるがその高さには個人差がある。

 その壁との付き合い方を身に付けるのは本当に大変だ。
 ロシアの格闘技『システマ』はわざと限界まで息を止めることで意図的に修羅場を経験して自分の心の闇に触れることを学ぶらしい。人間は自分の闇に触れることを極端に嫌う。教養はその闇に眼をそらさない勇気をくれるのにだ。

その人たちは教養がないからひどいことを言うんでしょうね。

 さて、作者にとっての人生における転機は『そういう吃音の人が世界中にいると解っても他人をバカにできる輩には教養がない』とバッサリやってくれ、吃音の存在は悪いものでもない。確かに困ることもあろうがいいときもあるように言ってくれた人に会う事だったのだろう。それでも何年も経ってなお、同じ経験に苦しむ人の為にこの作品を書くとき涙でペンが握れなかったという。

明るく優しく。そして悲しく強く。

 それでも朝日が昇るなら堂々と。

 きつおんガールの物語は今日に震えるあなたとともに続くのだ。
 学ぶ者、悩むもの、実践するあなたへの教本として広くお勧めする。


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自称元貸自転車屋 武術小説女装と多芸にして無能な放送大学生