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僕は魔法使いになりたかった

ホグワーツに入りたいとか、そういうことじゃない。
勇者を助けて、一緒に魔王を倒したかった。自分の前を走る誰かを追いかけて、その人の理想を叶えるために力を使いたかった。

1、体育祭が嫌いなこども

感情に波がない。一人を好む。他者に無関心。

僕はシゾイドパーソナリティ障害の兆候に当てはまっている。
個性の一つと言ってしまえばそれまでなのだが。
幸か不幸か、僕は自分の性格についてそれほど悩んだことがない。

友人もいるし、恋人もいた。
幼少期はそれなりに楽しく過ごしていたし、家族仲も良好だった。

それでも、「一生懸命に打ち込んだものがない」ことに対して、どこか劣等感を抱いていた。

皆で集まって何かをする、というのが昔から苦手だ。
体育祭、文化祭、グループワーク。

協調性を求められる学校行事が嫌いで、当然のように高校、大学はぼっち生活だった。
じゃあそれが辛かったのかと聞かれれば、別にそうでもない。
家に居場所はあったし、何より物語が僕を救ってくれた。

映画、漫画、小説、アニメ、ゲーム。
学生時代に触れた多くの物語は僕にとっての生きがいだった。

2、人助けが嫌いな理学療法士

「先生は優しいね」

患者からそう言われることが多い。
でも僕は自分のことを優しい人間だと思ったことはない。

僕が一番嫌いなのは、善意を人に押し付けるタイプの人間だ。

さも「私は正しいことをしています」という顔で、「社会的に善と見なされていること」を発言し、実践する。
何かといえば「患者さんのため」という言葉を使って自己正当化を図る。

綺麗事じゃないか、それは。
そんなものは本物じゃない。

優しさは他者が感じる感情であって、自分から人に与えるものじゃない。

僕は、他人に対して優しくあろうとは思っていない。
一人の大人として、理学療法士という職人として、自分に恥じない生き方を模索しているだけだ。

ただ、ごく稀に。
確かな信念を持って人助けを実践している人物も存在する。
そんな人たちは尊敬に値すると思っている。

彼ら(彼女ら)は勇者だから。

僕はどうやったって勇者にはなれない。それは分かっている。
でも、だからこそ憧れる。

自分の進むべき道を見つけて、そこに全力を注いでいる者。

僕の目にはそんな人たちがとても眩しく映る。

3、人生の目的は幸福になること

お金を稼ぐことでも、結婚することでもない。

どちらも幸せになるための一要素ではあるけれど、必要不可欠なものではない。僕はそう思っている。

そして、自分にとっての幸福とは何か?
それを探し続けている。

ここ数年で分かったことがある。

人と会話するのが意外と好きだった。
理論が明確な知恵と知識に触れた時に心が踊る。
自分の考えを文章にして誰かに読んでもらえるのは嬉しい。


僕は賢者になりたい。

一緒に冒険に出ることはできなくても、ふと立ち寄った薄暗い洞窟で勇者の道程を照らす知恵を語り聞かせることができる、賢者。

そのためにしている活動を、今の僕は楽しいと感じている。

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僕は初めから理学療法士という職業が好きだったわけではありません。
実習中も含めて、やめようと思ったことは何回かあります。

その都度考えが変わるきっかけがあったわけですが、
導いてくれた人がいたから出来たことです。

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元ぼっちの理学療法士が200万の借金を背負った結果、仕事が好きになった話


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