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障害者に対してわざわざ「同じ」とか「同じ人間」と言わないようにしている理由。(パラリンピックをきっかけに)

障害について語る時に、個人的に気をつけていることを書きます。

「障害者は同じ人間だ」ということは、強調するほど「名誉白人」の例のように、同じ人間とみなす・同じ人間であるかのように扱う、というメッセージを含んでしまう可能性があります。

健常者に対して、同じ人間だと強調することありますか? 有るとしたら、差別や貧困や戦争など、何か背景がありませんか。自明なことは、わざわざ語られませんよね。

また、障害の困難さは当事者しか分からないのだから、私なら無闇に踏み込んで何でも「同じ」とは言いません。大きな苦労を背負っているのに、0にしてしまうの傲慢だと思うから。

誰かが認めるまでもなく、障害の有無に関わらず、同じ人間だし、人権も同じであることは事実です。抱えた障害による困難が有ることと、その人が人間であることは矛盾せず両立します。

例えばパラリンピックで感動したなら、こういうアスリートに感動した、(触れたいのであれば)、その人はこういう障害を持っているんだと話すのはどうだろう。

無意識に悪気なく「違うけど同じだと認める」というメッセージを発しないよう、私は自戒しています。


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